From Chuhei
2022年、世界の90歳台たちと但馬の森を駆け抜けたい

15年前の2006年7月8日。世界マスターズオリエンテーリング選手権大会 (WMOC)の最終日だった。男子75歳台クラスの競技に参加していた私は、 オーストリアのウイッスベルグの森にいた。広い森の中のスタート地点の前には、 大勢の各国の選手たちが、自分のスタート時間を待って群れていた。

そんな時、私は一人の老人選手の胸のナンバーカード(ゼッケン)を見て、思わず 声をかけた「オオ、ナインティ!」、胸のナンバーカードは彼が90歳台のクラス であることを示していた。「オオ、ジャパン!」と返した彼は、手を振ってスタート 枠に入っていった。彼はフィンランドのランタモ・エリッキさんで、この時91歳、 スキーオリエンテーリングでも、幾度か優勝をしている有名な選手であった。

その当時日本では90歳台の選手が、山地の森の中を2・8キロも走るなどは、到底 考えられなかったので、私はヨーロッパには凄い選手がいるものだと驚いた。ところが ヨーロッパのオリエンテーリング大会では、多くの老人たちがそれぞれの年代に分 かれて、生き生きと競技をしていた。この時のオーストリアのWMOC大会でも、60 歳台では男女678人、65歳台では男女570人、70歳台では男女338人、私の 出場した75歳台では男女138人だった。日本の大会と比べて圧倒的に多い高齢 競技者の人数だった。80歳台となると少し減るが、それでも男女で45人、85 歳台は男女12人。そして90歳台はエリッキさんの一人だった。が、この時は 90歳台も85歳台もコースも距離も同じで、その中で一番短い時間でゴールして いたのはエリッキさんだった。

その翌年の2007年、フィンランドの北の町クーサモのWMOC大会でもエリッキさん は、90歳台最高齢の選手として活躍していた。彼がゴールしてくるときは、放送の声が 一段と高くなる。すると会場にいる人たちは一斉にゴールラインへ駆け寄る。そして、 歓声と拍手の中を、エリッキさんが元気な足取りで走りこんでくるのである。私も懸命 に拍手した。彼はまさにフィンランドの英雄であった。

2013年、私はイタリアのトリノで行われたワールドマスターズゲームズ(WMG) に出場した。これは国際マスターゲームズ協会が主催し、4年に1度、開催される成人 ・中高年のための『生涯スポーツの世界最高峰の国際総合競技大会』で、「老いも 若きもみんな誰もがスポーツを楽しみ、生涯にわたって健康で生きがいに満ちたライフ スタイルの実現を目指す」ことを目的としている。この時は第8回目の大会で世界 107ケ国から19000人の選手が集まった。30の競技種目があり、その中での オリエンテーリング競技は、この4年ごとのワールドマスターズゲームズ(WMG) と、毎年行われるワールドマスターズオリエンテーリング選手権(WMOC)が、 併設して行われた。クラスは年齢別に5歳刻みに分かれていて、メダルを取ると 両方の協会から2つもらうことになった。この時私は男子80歳台クラスの選手 として出場した。日本からは東京の高橋厚さんが同じクラスで出場していて、 スプリント競技で銅メタルを取った。

この時はもうフィンランドの英雄、エリッキさんの姿はなかった。90歳台男子には、 スイスのジャコブ・ハグさんと、エストニアのリチャード・ローデンさんが出場し、 90歳台女子にはスエーデンのアスロイド・アンダーソンさんとイギリスのジョワン・ ベッキーさんが出場していた。そしてこの時驚いたのは、95歳台で男子が一人、 出場していた。アインシュタインによく似た顔のスエーデンのルネ・ハラルドセンさん だった。

4年後、次の第9回のWMG2017大会は南半球ニュージーランドのオーク ランドで、28競技、100ケ国、28578人の選手を集めて行われた。この時 もオリエンテーリング競技はこのWMG大会とWMOC大会とを併設して行われた。 私は男子85歳台クラスに出場した。高橋厚さんも同じクラスだった。日本人の メダルはスプリント競技で、男子75歳台の尾上俊雄さんが金メダル、男子85歳台 の私が銅メダルだった。90歳台の出場者は男子の2人、オーストラリアの ハーマン・ウエルナーさんとスエーデンのルネ・イザカッソンさんで、2人共に すべての競技を完走して、金・銀メダルを取った。

そして次の4年後、第10回のWMG2021大会は、日本の関西で35競技59種目、 5万人の選手を集めて、大規模に行われることが決まった。そして、オリエンテーリングは、 WMOC大会と併設して兵庫県で2021年の5月21日から29日まで、スプリント 競技は神戸ポートアイランドと神戸大学六甲台キャンバス。フォレスト競技は但馬の 杉の沢高原、兎和野高原、峯山高原で行われることになった。

私がこの2021年の大会に出場するとすれば、男子90歳台のクラスになる。 考えてみれば、2006年、オーストリアのウイッスベルグの森で、あの90歳台 のナンバーカードをつけたランタモ・エリッキさんに敬服して声をかけたときは、 私がまさか90歳台に出られるとは、思ってもいなかった。90歳で山地を走る ことができる人は、よほど特別な身体能力を持つ人に限られると思っていた。しかし、 私も年を重ね、次の大会では90歳台に出ることができると分かると、なんとか、 毎日運動して身体の維持ができれば、競技することはできると思えるようになった。 ニュージーランドでの大会が終わり、オークランドを去る日、私は高橋厚さんと、 「次のWMG日本の関西での大会では、ぜひ一緒に男子90歳台クラスに出場 しましょう。日本人が国際大会で90歳台に出場するのは初めてになりますから」 と語り合った。

実は私は2014年に心筋梗塞で入院して心臓の動脈にステントがいくつか入っていて、 毎日血液をサラサラにするバイアスピリン錠などを飲み続けなければならなかった。 そのほかにも眼、歯、腰、前立腺など衰えの症状が進んでいる。身体の故障の都度、 もう競技は止めよう、と思ったこともある。しかし今までは世界の高齢者を受け 入れるWMG大会に参加することを一番の生きがいとして止めずに続けてきた。 そしてさらに、2021年の日本でのWMG大会参加という目標ができたことで、 体の衰えを乗り切って、より積極的にオリエンテーリングの競技参加に、向かって いこうと、強く思いながら生きてきた。

しかしWMG関西大会前年の2020年の3月以降は新型コロナウイルスのため、 オリエンテーリングの大会や練習会は延期や中止が相次いだ。5月に予定されて いたWMG/WMOC2021関西のプレイベント大会は10月に延期になり、 さらに10月には台風のためフォレスト競技の2日間は、11月14日と15日に 延期された。そしてとうとう、WMG関西2021年の大会そのものが、新型コロナ ウイルスの影響で1年延期が決定して、2022年5月の実施予定となった。90 歳台競技者としては、体力をさらに1年維持して生きて、勿論コロナのサバイバル にも、乗り越え打ち勝たなければならなくなった。

そんな時、私がインタービユーを受けたことのあるWMG2021関西の組織 委員会広報部情報課の吉田さんの紹介で、朝日放送テレビのスポーツ局スポーツ 部の井浦さんから密着取材の申し込みを受けた。これはWMGの関西開催に当たり、 その趣旨である世界中の誰でもみんなが参加するスポーツ、そして生涯スポーツ の観点から、関西のオリエンテーリング競技者では最高齢の私がどう競技出場に 取り組んでいるのか、取材を受けることになったのだ。WMGが延期されたこと でもあり、放映は何時か分からないが、長期的な密着取材となる予定である。 そして早速、11月14日に但馬のハチ北高原で開催されるWMG関西のプレ イベント大会には取材参加するということになった。ハチ北高原はスキー場でも 有名で、私にとっては久しぶりのフォレスト競技である。コロナ下でも、 ここは参加して力を尽くして駆け抜けねばならない。

当日の朝、京都駅発7時32分の特急城崎1号に取材班と一緒に乗り込んで、 八鹿駅に着き、そこから大会専用バスで会場のハチ北高原へ着く間、バスの中 でマスクのまま距離をあけて、取材が始まった。この日の競技の話が主だった。 私はこの日の最高齢者のクラス男子85歳台A級クラスに出場する。4名が 参加登録していて、スタートの時間は12時13分、石田恒弘さん(愛知 LC)。12時15分、高橋厚さん(多摩OL)。12時17分、原田憲夫さん (札幌OLC)。12時19分、私、(大阪OLC)で日本各地区のOL クラブ生き残りのレジェンド同士の競合となった。全員過去の大会では優勝 経験があり、海外の大会の経験も豊富な大ベテランで、WMG90歳台に出場 する年齢になるのは高橋さんと私である。競技時間は90分。その時間を 超えると失格となる。コントロール(標識)は8、それを順に目指して山地 の1・5㌔を走り時間を競う。

会場に着き、消毒、検温、体調の申告を終え、広場にビニールシートを敷いて 荷物を置いた。着かえて競技用のスパイクシューズの紐をしめるところも、 取材撮影のカメラが回っていた。12時には取材の井浦さんとスタート地区 に向かった。スキー場のゲレンデに枠があり、スタート4分前から1分ごとに 枠を進み、85歳台は石田さんがスタートしていったが、次の高橋さんは、 この日欠席となっていた。私の番となり、井浦さんは私のスタートしてゆく ところも撮影していた。

スタートフラッグから、南南東に進み①を取り、次いで南東に向かって森の 中の②を目指した。尾根上にあるのを沢と勘違いして斜面を下ってしまい少し 手間取った。次いで南南西に切り開きを越えて③に向かったら、2分前に スタートした原田さんに出会った。④を先に見つけてしまい③を探している 様子であった。③は思っていたより東にあった。真西に向かい④を取り、北の 方向に⑤を目指した。雪のためか曲がった木が進むのをさまたげた。そして 北北東に⑥へ、原田さんと追いつ追われつで、森からスキーゲレンデに出た。 見通しの良い場所なので、すぐ見つかるはずの⑥が見つからない。ここで 18分もかかってしまった。気が付くと、取材の井浦さんが私と原田さんが、 あちこち探し回る姿をカメラに収めていた。土崖の角にあった⑥から東に⑦、 北東に⑧を取り、ゴールに駆け込んだ。私は⑥での18分などがたたり、 56分57秒、石田さんは34分40秒、原田さんは58分49秒だった。

2位の表彰台では、取材の撮影が続いていたので、大阪OLCの旗を広げた。 その後の取材で今後の競技活動の目標を聞かれた。私の目標は延期になった WMGのオリエンテーリング男子90歳台クラスに出て、全日程完走して入賞 することだと答えた。それまで身体の維持が心配だが、それについては毎日運 動を続け、力を尽くすと付け加えた。

私はコロナウイルスのために本番のWMGが延期になるときに、このプレ大会 が開催できて、各地から選手が集まり、取材もできたことは本当に良かったと 思った。そして、願った。「2022年5月のWMGには、なんとしても幾人か、 世界の90歳台競技者が日本のこの但馬に集まってほしい。その時こそ、5月 の風の中、世界の90歳台が、但馬の森を駆け抜けて、『Sport For Life』生涯スポーツの素晴らしさを世界中に知らせることができるとき なのだ」と。

この、WMGプレイベント大会のスプリント神戸市総合運動公園大会は、 10月4日に、そして、フォレストのハチ高原大会は一泊後の11月15日 に参加できた。共に男子85歳台で2位だったが、10月4日大会に併設して 実施された関西シニアマスターズ大会では1位の賞をもらった。これは関西の オリエンテーリングでは現時点の最高齢競技者の印のようなものである。

(2021年1月5日)

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宙 平
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