From Chuhei
80歳台Aクラスのレジェンドたち、富士山麓を走る
―全日本ミドルオリエンテーリング大会―
今年の全日本オリエンテーリング大会は、6月の岐阜県中津川のロング大会に続いて、
ミドル大会が、10月28日、富士山麓の森林、静岡県板小屋林道周辺で行われた。
今回の大会では男子85歳台クラスはない。年代別のクラス分けも60歳台、70歳台、
80歳台と10歳毎に分けられている。世界の基準では5歳毎の刻みが原則であるが、
日本ではまだまだ、参加者数が少ないからであろう。そこで87歳の私でも今回は80
歳以上の人たちと一緒のクラスで競わねばならない。距離2・3㌔も私の場合はロング
競技の時とほぼ変わらない。コントロール(標識)の数は12とロングよりむしろ多かった。
前日の27日、静岡で新幹線から東海道線に乗り換えて富士駅の南にあるビジネスホテ
ル禁煙館に宿をとった。同じM(男子)80A(80歳台Aクラス)に出場する札幌OL
C(オリエンテーリングクラブ)の原田さんも同じ宿だった。その原田さんのおかげで、
翌朝、近くの温泉館ホテルに宿泊していた札幌OLCの山崎さんの運転するレンタカーに
一緒に乗せてもらって、会場入口の自然公園こどもの国草原ゲートへ行くことが出来た。
バスは一日に2便しかなかったので大いに助かった。会場までの道は雪をかぶった富士山
が真正面に見えて、それに向かって車でぐんぐん登ってゆく感じだったが、会場に近づく
と周りは杉の森となり、山は見えなくなった。
草原ゲートから20分、坂を歩いて皆が集まっている広場の受付で、胸につけるナンバー
とコントロールの通過を記録する電子カードを受け取り、ユニホームに着かえ、スパイク
のついた靴を履くと、身体も心も戦闘モードとなった。会場の広場からさらに丘を登り
山麓の森の中を走る道路が交わる勢子辻を過ぎて北東に伸びる小道の途中から西の森の中
に入ったところにスタート枠があった。決められたスタート時間になると、ここで自分の
クラスの位置説明を受け取り、電子カードを計測ステーションからはなし、自分のコース
の地図をそこで取上げて、まずは地図上のスタート地点にあるスタートフラッグ目指して
走るのである。
私がスタートを待っていると、大阪OLCの瀬谷梨花さんがカメラを持って駆け寄ってき
て、「クラブのレジェンドと写真を撮りましょう」と私と並び、近くの人にシャッターを
押してもらった。瀬谷さんはW(女子)50Aに、夫君のM50Aの瀬谷全那さんと出場
している熱心なクラブ員であるが、この日は、2人とも事前申し込みが出来ず、当日参加
クラスで出場する。この写真は彼女がフエイスブックに「レジェンド小嶋さんをスタート
前にゲット」と説明を書いて載せられていた。レジェンドは「伝説の人」を意味する。私
の場合、44年の歴史がある大阪OLCのなかで、今はもう初期の頃の会員の競技参加者
はいなくなったが、私一人だけ生き残ってまだ大会に出場しているという意味のレジェン
ドであろう。そう思えば、この日の男女とも80Aに出場する人たちは、みんなそれぞれの
クラブの生き残りだ。それだけではなく、立派な実績のある本物のレジェンドたちばかり
であることに気づいた。
87歳の私はこの日、M80Aのクラスを12時1分にスタートする。その1分後に札幌
OLCの84歳の原田さんがスタートする。昨年全日本ロングM80Aの優勝者で今や札幌
OLCのレジェンドとして申し分ない。そのまた1分後に京葉OLC、81歳の永元さんが続
く、東京湾岸地区の人が多いクラブで古くから活躍しているレジェンドである。その後に80
歳の植木さんが続く。千葉県で大活躍しているレジェンドである。その後12時5分スタート
は多摩OLの高橋さん88歳である。国内は勿論、海外の優勝経験豊富なレジェンドの王様で
ある。その1分後の愛知OLCの石田さん84歳も凄い競技経歴を持つ。今年6月の全日本ロ
ングM80A優勝者で海外の大会には毎年夫婦で出場している。この日も夫人(83歳)がW
80Aに一人出場している。夫婦揃っての偉大なレジェンドである。コースは違うが夫人は
この日、12時12分のスタートである。そして7人目の12時7分スタートの小畑さん84
歳は山口県在住であるが、かつて北九州のオリエンテーリングクラブで活躍された、優勝の経
験豊富なレジェンドである。
私はスタートした。その後、1分ごとにこれらのレジェンドたちがスタートして、私を追いか
けてくる。追いつかれると、70歳台の時の私なら必死になって逃げきりを図るだろうが、今
は自分のベースで全力を尽くすしかない、と思いながら目の前の坂を上った。
森の中、茂った下草の棘が足を刺すので私は慎重になって、①(沢の下部)を目指して北東に
進んでいた。沢が前方に見えた時、スタート1分後の原田さんが追い付いてきて、一緒にチェッ
クした。この①までの時間は、原田さん5分42秒、私は6分44秒であった。②の(沢)は①
から北北西に進んでチェック。そこから西南西の③の(沢)は昔の溶岩と火山灰が固まった沢と
いうより凹みが一杯ある複雑な微地形で、少し手間取ったがチェックした。問題は次の④(岩崖
の根本)ヘのルートであった。今思えばそのまま、西南西に一直線に進めば良かったのだが、地図
の④の南にある小道が目についた。とにかく南の小道に出た方が分かりやすいのではないか、と
考えてしまった。そこで方角を南にとった。いや取りすぎたのである。ここで再び原田さんと一緒
になって南に進むと小径に出たのでそのまま進んで行くとなんと広い林道に出てしまった。林道か
ら小道を辿れば迷うことはないが、大変な大回りをしたことになる。④の手前で4分後スタートし
た高橋さんに追いつかれてしまった。この区間、私は20分38秒、原田さん20分26秒、高橋
さん9分36秒、直進してきた高橋さんにここでリードを許してしまった。この11分2秒の高橋
さんとの差が最後までたたることになるのである。
⑤(尾根)と⑥(開かれた場所の東角)は簡単にチェックして、100㍍ほど林道を走り、南側の森
に入り微地形地帯の⑦(沢)を取ると、南東に磁石を向ける。⑧の(凹地)へは藪に行く手を阻まれ
るが、藪の切れ目から抜け出てチェック。ここでW80A石田夫人の姿が見えた。私より11分後の
スタートだが、コースが違うので、追いついたか追いつかれたか分からない。しかし、同じ方向に向
かっているので、これからは同じコースを進むのだろう。④で抜かれた高橋さんの姿はもうどこにも
ない。先を進んでいるのだろう。途中水飲み場があって、紙コップの水を飲み、森の中に⑨(真ん中
の沢)をチェック。ここから小道を横切りアップダウンのある森を東北東に進む、前方左側に石田夫
人、右側に原田さんが、懸命に草をかき分け前進しているのが見える。
その中を若いクラスを走る連中は、まるで猟犬のように駆け抜け、あっという間に消えてゆく。私も
必死に追いつこうとするが、岩まじりの地面と雑草にさえぎられて走りにくい。⑩の(浅い沢)をチ
ェックして、さらに雑草の茂っている斜面を下って⑪(北東の藪の南)をチェックすると、林道に出
て坂を登り、こどもの国自然公園の敷地の中に入って、やっと石田夫人、原田さんに追いついた、と
思ったが石田夫人はすぐに南の斜面を走り下りて行った。そこになんと私の6分後スタートの小畑さん
が現れた。追いついてきたのか、とその時思ったが、後のラップ解析表で分かったことは、小畑さんは
④までクラストップの速さで順調に進んでいたが、⑤から⑪まではチェックしないでここまで来ている。
原因は分からない。身体は元気そうに見えた。そして公園の小道を東に進んで行った。私は再び原田さん
の背中を見ながら斜面を下り、さらに会場を見下ろす斜面上にある⑫(北の植生の南角)をチェックして、
会場に入り最後の80㍍を走ってゴールした。
私の記録は1時間15分48秒であった。原田さんは1時間14分32秒。この日は原田さんと決して一
緒に回ったわけではないが、追いつ追われつ、お互いの姿を遠く、あるいは近く見ながら行動していたので、
この結果となったことは納得した。高橋さんは1時間7分12秒であった。これはこの日のM80Aの優勝
タイムである。私とは8分36秒の差、原田さんとは7分20秒の差である。あの③から④への大回りによ
る11分2秒のロスがなければ、原田さんが優勝し、私が2位に入る可能性もある競技であった。このロスは
今後の課題として次の大会に生かさねばならない。
そしてこのロスした時間のもう一つ悔しかったことは、競技時間が70分制限だったことである。制限
時間がロングの時のように120分であれば原田さんが2位で銀メダル、私は3位で銅メダルの表彰を
受けられたところであった。結局、私も原田さんも競技時間オーバーとなり、M80Aの表彰は7人中
高橋さんの1人のみとなってしまつた。
オリエンテーリング競技のガイドラインによればミドル競技の各Aクラスは、優勝時間を30分から
35分を目途としてコースを設定することになっている。しかし、今回のM80Aの優勝者の時間は
それを大きく上回る、1時間7分12秒(ミス率18・0)。このコースはM70Aと同一のコースで
あり、今回のM70Aの優勝者の時間は31分36秒(ミス率20・4)である。M70Aには適正な
コース設定であったといえるが、今回のM80Aのコースとしては、ミドルの競技とするのに、設定に
少し無理があったと私は思う。これは6月のロング大会と比べても、80歳台にとって、今回はロング
に匹敵する。ロングであるならば競技時間は120分にすべきである。と、私は一人で文句を繰り返し
てつぶやいていた。M80Aのレジェンド石田さんは1時間48分42秒で完走した。植木さんは1時間
37分38秒という時間だったが、⑥を飛ばしてチェックしていないとして、失格となった。永元さんは
最初の①だけをチェックして帰ってきている。1時間11分50秒の失格。小畑さんは1時間13分02
秒の失格となった。W80A石田夫人は1人出場であるが1時間4分37秒で優勝、立派であった。
こうして80歳台Aクラスのレジェンドたち、男7人、女1人は色々な体験をしたが、結局、全員怪我
することなく、無事富士山麓を走り続けゴールに帰ってきた。優勝者も完走者も完走できなかった人も、
ゴールした後は明るい顔でお互いに声を掛け合っていた。
この大会の出走者数は男女合わせて608名。内20歳台が411名(10歳台14名を含む)を占めた。
30歳台から40歳台が37名、50歳台が49名、60歳台が33名、70歳台が24名、80歳台9名、
他当日参加等で年齢不詳45名。高年齢になると参加者数は減ってくる。80歳台のレジェンドたちの
競技参加は何時まで続けられるか、私は全日本大会へ80歳台以上の人たちが参加を続けることは、実は
残り少なくなった命に生き残りをかけたサバイバル競争をしていることなのだと思っている。
次の全日本大会は2019年4月14日、栃木県日光で行われる。そしてオリンピックの年2020年
にも、行われる全日本大会を経て2021年には兵庫県でWMOC(世界マスターズオリエンテーリン
グが選手権)が、4年に1度のスポーツの祭典WMG(世界マスターズゲームズ)と兼ねて行われる。
80歳台のレジェンドたちは、これらの大会に参加するのか、参加したらどんな活躍をするのか。
「これから超高齢クラスは面白くなるぞ」私は何時になくわくわくしながら、札幌OLC山崎さん運転
のレンタカーに乗せてもらって、山を下った。
(2018年11月24日)
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宙 平
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