From Chuhei
有名な東城鉦太郎の「三笠艦橋の図」です。明治38年5月27日早朝、Z旗を掲げて
世界最強といわれたロシヤバルチィック艦隊と対峙する直前、東郷連合艦隊司令長官
を中心に13人の旗艦三笠での艦橋上の姿を描いています。
日英同盟
NHKのドラマ『坂の上の雲』の最終回はロシヤのバルチック艦隊との
日本海海戦が主要な場面となった。
私は小学1年生の頃から幾度もあの『皇国の興廃この一戦にあり……』
や、また『……本日天気晴朗なれども波高し』という有名な言葉を聞いて
いた。そして毎年の5月27日は海軍記念日で、いつも講堂に集まって校
長先生の話の後、歌った。
我皇国の興廃を 此一戦に担ひつつ
日本海上強敵を 砕き沈めて万代に
国の礎へ定めたる 輝く今日の記念日よ
そして音楽の時間にも歌った。
敵艦見えたり、近づきたり
皇国の興廃、ただ此の一挙
各員奮励努力せよ、と
旗艦のほばしら信号揚る
みそらは晴るれど風立ちて
対馬の沖に浪高し
そのような記念日の日、学校から帰ると母が英語の歌を歌っていた。
God save our gracious King
Long live our noble King
God save the King
Send him victorious
Happy and glorious
Long to reign over us
God save the King
(今はQueenとして歌われている)
このイギリスの国歌は、母がよく歌っていたので、私も自然に覚えて
いた。が、アメリカ.イギリスとの戦争が始まっていた時でもあったか
ら、「なんでそんな敵国の歌を歌うんや?」と聞いた。
「むかしはイギリスと同盟を結んでてね。この歌は女学校で習ったのや。
今は敵国になってしもたね」
その時、母は意識して歌っていたかどうか? 今はもう分らないが、
日露戦争、特に日本海海戦と日英同盟とは深い関係があったのである。
明治時代の日本海軍はイギリスの海軍を模範として、組織整備を進
めた。私は東京渋谷区の東郷神社会館の展示室で、イギリス留学時代
の東郷平八郎の英語のノートを見て、その緻密さと達筆に驚嘆したこ
とがある。そして、当時日本の連合艦隊の主力艦の多くはイギリスで
作られたものであった。司令長官として東郷の座乗した戦艦三笠など
は、イギリスのビッカース社で設計建造されたが、最新技術で補強さ
れて世界最強の戦艦と言われていた。
また同盟により、ロシヤのバルチック艦隊の極東回航に際しては、
イギリス領での石炭・水などの補強を拒否してくれた。当時半年以
上かけて喜望峰を回る大航海であったから、ロシヤの艦隊がイギリ
スの妨害で相当疲れていたことも、事実であろう。
そして膨大になった日本の軍事費をまかなう戦時国債をロンドンと
ニューヨークで公募することもイギリスの協力がなければ、出来なか
った。
日英同盟が結ばれたのは、明治35年のことである。そして第2次
・第3次と更新され大正12年まで続いた。明治39年生まれの母
の高等女学校生時代は未だ日英同盟が続き、裕仁皇太子のイギリス訪
問などがあり、一層親密さが深まっていた頃なのであろう。
この同盟が結ばれたとき、日本は大きな自信と安心を持ち、日本列
島は祝賀ムードに包まれた。この同盟を「貧乏人が金持ちと養子縁組
が出来て有頂天になった」といった夏目漱石の言葉がある。また、伴
野朗の小説『霧の密約』では次のような当時の歌が紹介されている。
一、旭輝く日の本と
入日を知らぬイギリスと
西と東に分かれ立ち
同盟契約なるの日は
世界平和の旗上げて
祝ぐ今日の嬉しさや
二、両国握手の目的は
清韓二国を扶植して
東洋平和の楽園と
なさんとするの義侠心
天地に愧じぬ契約を
表はす心の勇ましや
この歌の中の扶植するというのは、勢力、思想などを植え付けるこ
とである。当時のイギリスは清国に扶植してきた自国の利権に対す
るロシヤ勢力の猛烈な南下政策を怖れ、対抗して取られたのがこの
日英同盟であった。同じく日本も韓国・清国に対するロシヤの勢力
拡大を阻止しようとして同盟に踏み切った。
この同盟により、明治三十七年に始まる日露戦争の開戦は既に決
まってしまったように私には思える。そして、日本はロシヤに対し
イギリスの代わりに代理戦争を戦ったのだという人もいる。しかし、
なにはともあれ、日露戦争で日本が勝利をつかんだその背景には、
この日英同盟があったことも事実である。
後年、日本は歌にある「清韓二国を扶植して」ということが、行
き過ぎてしまい日中戦争にのめり込んでしまう。そのことが反枢
軸国の反発を招き、その果てに英米相手の無謀な大戦に突入してゆ
くのも、この日英同盟締結の目的であった扶植政策にその始まりが
あったのである。
私の母は昭和35年7月、54歳の時、大阪梅田の路上で、脳出
血で倒れそのまま病院に運ばれたが家に帰ることなく亡くなった。
あれだけ、よくイギリスの国歌を歌っていたのには、女学生時代に
何か歌にまつわる楽しい思い出があるに違いないと私は思っている
が、今はもう知ることが出来ない。
墓は丹後の宮津にあるので、その前で大きな声でイギリス国歌を
歌えば、何かの方法で私に教えてくれることがあるかもしれないと
思っている。
(平成24年1月7日)
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:★:cosmic harmony
宙 平
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