2月24日 宙平 エッセー 弾道と機銃の恐怖

2月24日 宙平 エッセー 弾道と機銃の恐怖
From Chuhei
アメリカ戦闘機の機銃掃射に、私は武庫川大橋の下に逃げ込みました。
P-51戦闘機(左)は硫黄島から直接飛んでくるといわれていました。
右のF4FやF6Fは航空母艦から発進する艦載機でした。
   
工場地帯に、B-29は水平に飛んで爆弾を落としました。
   弾道と機銃の恐怖   

 今年の一月、大阪の舞浜の公園でオリエンテーリングの競技大会があった。
広い公園の中に設置された13のコントロールをゆっくり走って回った。ゴー
ルの後、着かえてふと空を見ると、今まで公園の上を回っていた飛行船が広場
の向こうの空から、一直線に私に向かって飛んでくるように見えた。その瞬間、
私は何故か恐怖を感じて、横のトイレの建物に身を隠そうとしていた。

《あーあ! 馬鹿みたい! 今の時代、あんな宣伝用の飛行船から爆弾が落ち
てくるわけがない》私は一人で苦笑した。
 
 しかしあの瞬間に感じた恐怖は昔、実際に爆弾が投下され、その落下する弾
道の想定が私のいる場所に焦点を合わせて迫ってきたときの記憶がよみがえっ
たものでなかったか?

 昭和20年の7月、中学生の私は尼崎の阪神電車の電工工場で働いていた。
空襲警報が鳴り、退避しようと工場を出て広場から空を見上げたその時、B―
29爆撃機の編隊が、南から北へ一直線に私の真上に向かって、飛行してきて
いた。そして前方上空75度の所でなにか光るものを落とした。

「危ない!」仲間とともに、近くの防空壕に転がり込んだ。爆撃機の高度、飛
行速度にもよるが普通、75度の前方上空で落とされた爆弾は爆撃機が真上に
来た時に、その真下の地上で爆発すると言われていた。

 果たして、爆弾が空気を裂いて落下してくる音が、壕の中に響いてきた。長
く感じられた。「一緒に死のうや!」と誰かがいった。

 両手で目を抑え、両親指で両耳を抑えた。目玉が飛び出し、鼓膜が破れるの
を防ぐためである。そして近くに爆弾が落ちると、壕が大きく揺れて、砂埃と
ともに爆風が入り口から入ってきた。
 
 そして、一週間後再度の空襲のとき、この防空壕のあった場所に爆弾が落ち
て、そこには直径20メートルぐらいの穴がぽっかり空いていたのであった。

 私の身体には、もう一つの恐怖が住み着いている。先日の日曜日、香櫨園浜
をジョッキングしていると、後ろからヘリコプターが飛んできて、バタバタと
音を立てた。私は思わずそこにしゃがみ込んでしまった。

 ヘリコプターは何事もなく飛び去ったが、これは、アメリカの戦闘機の機銃
掃射の恐怖の思いが、そうさせたのであろう。

 やはり、昭和20年の7月のことだ。その日は電工工場から、武庫川左岸尼
宝線沿いにあった阪神電鉄の農場に手伝いに行くように命令された。ここには
当時、職業野球の大会が中止になって、軍隊に入らず残っていた阪神タイガー
スの選手たちが、作業に従事していた。投手でもあり、打者としても有名だっ
た台湾出身の呉昌征選手も確かにここで働いていた。
 
 その日は昼過ぎに作業は終わり現地で解散となった。私は友人と阪神国道か
ら武庫川大橋まで歩いて、河原に下り水泳しようとしていた。服を脱いで水に
入ろうとしたその時、突然! 空襲警報のとぎれとぎれのサイレンが鳴った。
と、同時にアメリカの戦闘機が川下から低空飛行で突っ込んでくるのが見えた。

「逃げよう!」敵機の機銃の視線を背中に感じ、裸で服を抱えたまま河原を走
って大橋の下に二人で転がり込んだ。恐怖が背筋を走った。「ダダダダダッ」
機銃掃射の音が耳をつんざき、敵機は橋の上をすれすれに越えた。橋の下にい
ても、すぐに見つかりそうであった。敵機は再び戻ってきて、別の目標を見つ
けたのか対岸の堤の向こうに機銃掃射を繰り返していた。

 後ろに機銃の視線を感じて逃げること程、恐ろしいことは無いと私はこの時
思った。
 
 この頃になると、敵航空母艦発進の艦載機のほか、占領された硫黄島からも
直接P―51戦闘機が飛んできていた。地上で動くものを見つけると即、機銃
の雨を降らせた。学校の運動場で逃げ場を失って犠牲になった小学生もいた。

 敗戦の日から20年位たった昭和40年頃。職場の親睦ハイキングのため、
裏六甲の蓬莱峡へ行った。周りが砂岩に囲まれた大きな広場の真ん中に、グル
ープ20人位がかたまって弁当を食べることにした。そのとき一人が周りを見
渡しながらいった。

「ここで狙われたら全滅するぞ!」
 
 先輩の武常さんだった。この冗談とも本気ともつかぬ言葉に、皆キョトンと
したが、私には、突きこんでくる戦闘機の機銃掃射が頭をよぎった。

「ここは真ん中すぎるなぁ! あの端に移ろうや」
 
 私はみんなを端の方の木陰まで誘導した。

 武常さんは普段は何も語らなかったが、戦地で戦った軍人だった。耳に傷が
ある。その傷の由来は、戦闘中銃撃により、頭にショックを受け、気を失って
いるとき捕虜になった。気がついた武常さんは抵抗したので、両手を縛られた
うえ耳に穴を開けられ、その穴に針金を通してつながれていた。スキをみて、
耳の一部を引きちぎって逃げ、縛りを歯でほどいて復帰したということであっ
た。その武常さんの意識の中には、戦場を離れても、狙われている機銃の視線
の恐怖が常にあったに違いない。
 
 私の意識の奥深いところで、いまだに戦争が生き続けている。もはやいくら
年月が経っても無くなることは無いだろう。

               (平成24年2月24日)

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:★:cosmic harmony
      宙 平
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