From Chuhei
 
 
戦争で、野球試合は中止、食べ物はなく、球場も使えない時期がありました。
それらに対するハングリー精神からあの阪神タイガースダイナマイト打線が
生まれたのです。写真は当時のダイナマイト打線の面々です。
 
  
左から土井垣・金田・別当・藤村・呉昌征です。
 
 
 

ダメ虎脱出!        

 

 

 どこまで続くダメ試合、チャンス作るが決められず、ため息深し甲子園

 

 古いタイガースフアンだから「どこまで続くぬかるみぞ!」の軍歌の替え歌を

負けたときに歌うのだ。そしていつかは、歓喜の湧き上がる甲子園となることを

信じて疑わない。

 

 昭和20年6月、学徒動員で働いていたのは阪神電鉄の農場だった。そこで、

タイガースの選手に出会った。呉昌征、辻源兵衛、本堂保次らが働いていた。印

象に残っているのは呉だ。配給される満州大豆の弁当の欠席者で余った分を持っ

てゆくと、本当に嬉しそうな顔をして、それにむしゃぶりついていた。ハングリ

ーだったのだ。

 

 戦争が終わり、進駐軍が甲子園を明け渡すと、ハングリー精神旺盛な彼等は大

活躍し優勝したのは昭和22年のことだ。1番呉、2番金田、3番冨樫、4番藤

村、5番土井垣、6番本堂、7番玉置、8番長谷川、9番はピッチャー若林、梶

岡、御園生、投手でもよく打った。これが伝説のダイナマイト打線の始まりだっ

た。敗戦の沈鬱から一気に元気を取り戻した。

 

 今年6月阪神の親会社阪急阪神ホールディング株主総会で「不良債権のような

選手を抱えている」「今年は熱気がない」という意見が出た。

 

 次の総会では「排除するべき不良債権はコーチ、監督、球団にもあるぞ! 実

力主義を徹底して、ハングリー精神を会社全体にみなぎらせることが必要」と発

言するぞ! 優勝するまでは、毎日毎日会社全員、戦時中の大豆弁当を食べるの

だ!。阪神タイガースは今や「公共財」だからだ!。

 

                                        (平成23年10月7日)

 

 

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:★:cosmic harmony
      宙 平
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