From Chuhei1980年に第6回全日本オリエンテーリング大会が、山梨県鳴沢村ジラゴンノで開かれました。3月23日でしたが、そのとき春の大雪が降りました。下記はその時の写真とH43Aクラスのコースの地図です。31年前のことで、私はその時の資料を失っていましたが、オリエンテーリングクラブコンターズの辻村さまにご提供いただきました。お礼いたします。これはポスト位置説明とプログラムです。ジラゴンノ・春の大雪全日本オリエンテーリング大会は、今年で37回になる。開かれるのは毎年3月の半ば過ぎ、全国の各地が選ばれる。今年は富士山の南西、溶岩によって形成された片斜面、富士市大渕地区と決まった。3月20日、私は75歳以上の男子クラス、M75Aに出場する。ところが、私の心配なのは天候である。いつもこの時期には、「寒の戻り」の日があって急に真冬のように気温が下がり、雪が降ったり嵐になったりすることがある。1980年の第6回の全日本オリエンテーリング大会も3月23日、この富士山で行われた。あの時は北斜面の山梨県鳴沢村ジラゴンノであった。当時、私は47歳、H43Aという、43歳以上の男子クラスに参加した。ジラゴンノの富士緑の休暇村が会場となった。
この時、大雪が降ったのである。前日から降り続いた雪は、道も畑も灌木地帯も埋め尽くし、
白一色の世界となっていった。
朝には雪は止んでいたが、こんななかで競技ができるのか? 裾野といっても富士山に近づく程、
傾斜も急になり、深い沢や穴もあり積雪も50センチ以上の所もあるようで危険だ。
連絡が入り、遠くの深い雪の2か所のコントロール(標識)を除き、コースを変更して決行するこ
ととなった。参加者は2187人、それぞれのクラスに分かれ、コース別に地図上に示されたい
くつかのコントロールを、実際にコンパス(方位磁石)を使って回り時間を競う。スタートはコース
毎に、1分おきに一人ずつ順番に出てゆく。H43Aのクラスの距離は6・5キロだが、途のない
ところも進むのでかなり厳しい。103人が登録していて、スタートは9時37分から始まった。
私は18番目、9時54分スタート。クラスの地図をもらい雪の中に飛び出してスタートの基本
となる場所までは行ってみたが、そこから先は雪が深く白一色。コンパスを頼りに目標の@目指し
て東南に進むが、膝まで入る雪の中ではどこに深い落ち込みがあるか分らないので、早く進めない。
雪の進軍 氷を踏んで
どこが河やら道さえしれず…
古い軍歌を口ずさみながら、やみくもに進むと、なんとか小道の横の凹地に半分雪に埋もれた@
のコントロールを発見した。ここから東南にAの沢を目指してコンパスで方向を定め、雪の森の中
に入ってゆくのだ。
雪の森は暗い。時々岩か、茂みかが雪をかぶってお化けのように私の前に立ちふさがる。
《うわ! 怪物ジラゴンノ!》
だいたい、こんな地名がいけない。手に持つ15000分の1の地図のタイトルもジラゴンノだ。
もともと噴出した溶岩の白が「ジラ」に変わり、今野が「ゴンノ」に変わったとか、鳴沢の開拓者
の「次郎権現野」がなまったとかいわれている。が、その日の私にとっては全く「白困野」だった。
しかし、当時の私は今よりも元気で、競技は「バンバン直進主義!」だった。コンパスの針の示
すところ、少々の沢だろうが、溝だろうが、藪だろうが、乗り越えて真っ直ぐ行くのが、本当のオ
リエンテーリングだと思っていた。この日も雪まみれになりながらも、その調子でAを見っけた後、
Bの尾根、Cの岩となんとか進んだ。
ところが、それからが大変だった。バンバン進んだつもりの尾根に、Dはない、周りは深い雪の
森。来過ぎたのかと後を見ても、付近には誰もいない。少し焦ってきた。膝までの雪に足を取られ
ながら、沢を下って隣の尾根を登ってみたがそこにも無い。普通なら競技用地図には岩とか穴とか
参考になる特徴物が書いてあって、それで現在地を確認するのだが、この雪ではそれも分らない。
失敗した! ともう一度沢の方に進んだとき、ドサッと足元が崩れ雪の中に身体が落ち込んだ。穴
か亀裂かにはまり込んだのだ。私は一人胸までの雪に埋もれてもがいていたのである。
こうなると「白困野」などと言っておれない。正に白い怪物「地乱ゴン」の餌食になって凍死し
てしまう。私は必死になって周りの雪をつかんで這い上がった。これは明らかにルートを間違えて
いる。現在地が分かるところまで戻ろう、と思った。
自分の踏み跡を辿り、始めの尾根に登り、そこからコンパスを来た時の正反対に向けて戻る。し
ばらく進むと南北の道らしきところに出て、そこを少し南にたどると多くの人の踏み跡に出くわし
た。新しく出来た雪の踏み跡だ。その踏み跡について進むと、その先に目的の尾根Dのコントロー
ルがあった。
なんのことはない。私がルートをそれて一人雪の中で苦闘し時間を浪費している間に、後からス
タートした人達によって雪の道筋がよりはっきり出来てしまっていたのである。先にスタートした
者と、後から出た者との格差、不公平! しかし、それた方向にじゃんじゃん直進した私が悪かっ
たのだ。
今日の競技のコントロール数は12個の予定だったが、雪のためEとFがカットされて10個と
なっているので、次はGの穴だ。こうなると雪の踏み跡は実に有難い。この時間に直進とばかり新
雪の中に入ってゆくとダメなことは私でも分ってきた。斜面を上りGをチェックした。ここからは
北に向いて下りとなる。道の終わりのHも尾根のIも慎重に踏み跡とコンパスを見比べて進みチェ
ックした。
Jの穴は西へ踏み跡を快適に直進しチェック、森を抜けだし最後のKは広場の端。
そしてゴールへ、太陽が白い野を輝かせて最終の舞台を作っていた。スタートの時には雪におお
われていた小川も、今はもうさらさら流れていた。地獄極楽紙一重というが、寒冷地獄でもがいて
いたのが、ウソのように感じられた。ここはすでに「地楽歓野」だ。
この時はDの尾根の失敗で時間を取ったために、私は2時間2分57秒の46位となった。1位
は1時間13分37秒、ラストは4時間5分23秒、で他に完走できない人が3人いた。当時とし
てはこの順位は残念だったが、今となると、ジラゴンノの地名とともにこの大会は懐かしい思い出
となっている。
各地の全日本オリエンテーリング大会には、その後も数多く参加した。関西での開催の時は運営
のスタッフもした。
今年の37回の大会では、75歳以上のクラスでも、最高齢者に近づく年齢となってきた。さて
3月20日の富士山大淵はどんな天候で何が起こるのだろうか?
(2011年2月27日)
☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆
:★:cosmic harmony
宙 平
*−*−*−*−*−*