From Chuhei
 
京都迎賓館へ行ってきました。写真はその正門と聚楽の間です。
 
 
   
 
夕映の間の「愛宕夕照」の綴れ織りです。
 
           
 
藤の間の「麗花」です。
 
 
和の晩餐室、桐の間です。
 
 
 

 

      京都迎賓館     

 

 

 迎賓館は、外国の王族や元首などの接遇をするところですから、めったに行けることは

ないと思っていました。

 

 たまたま私が京都銀行西宮支店に立ち寄ったときに、参観の応募のパンフレットがあっ

たので、往復はがきを出して申し込んでみましたところ、当選の返事が来ました。当たる

倍率は25倍から30倍と聞いていたので、これはラッキーでした。

 

 場所は京都御苑のなか、御所の東側にありますが、明治以前ここは公家の屋敷のあった

ところです。今でも御苑には、五摂家といわれた近衛家や一条家、九条家、鷹司家などの

屋敷跡の標識があります。この迎賓館の場所にはその昔、園家、柳原家、櫛笥家などの複

数の公家屋敷が建っていて、公家町とも呼ばれていました。園家といえば23代の次女、園

祥子は明治天皇の典侍となり、親王・内親王をもうけ、幕末の柳原家光愛の次女、柳原愛

子(なるこ)は大正天皇の生母となりました。また大正三美人といわれた歌人柳原白蓮は

その姪に当たります。このように皇室と関係の深い家々があった場所でした。

 

 京都迎賓館が開館したのは、平成17年4月17日でした。東京赤坂の洋風の迎賓館とは対

照的に純和風様式となりました。

 

 参観指定の日時は7月2812時〜1330分、私は地下鉄今出川駅で降り、同志社大学

の正門前の今出川御門から御苑に入り、迎賓館に向かいました。正門も土壁も御所に合わ

せて作られていて、違和感が全くなく御苑の中の自然に溶け込んでいました。

 

 参観は南門から入るように書かれていましたので、回り込みますと門の前で、係の人が

はがきをチェックしました。そこから、ガレージとして使われると思われる地下道に入り

ます。そこで、手荷物検査を受け、飛行場の搭乗口とそっくりのセンサーを通ります。そ

して身分証明の確認があり、カメラ以外の荷物は全部ロッカーに預けます。

 

 私はカメラにケースをしていたのですが、ケースもはずして置いておくように言われま

した。

 

 そこから、前庭に出て正面玄関からスリッパに履き替えて入ると、大きな生花が私を迎

えました。

 

 順路は中央の池のある庭園を囲む4つの主な間を左回りに巡り、最後に池に渡された廊

橋を渡って戻ります。

 

 初は「聚楽の間」です。ここはロビー溜りとして位置づけられています。有職織の布地

の安楽椅子を並べ、飾り台には、人間国宝早川尚古斉の竹工芸、「花籃」が置かれていま

した。

 

 次いで廊下を通り「夕映の間」に入りました。ここは大臣会合の会議や晩餐会の待合と

しても使われます。東の壁面には、月が照らす比叡山「比叡月映」、そして西の壁面には

愛宕山に夕日が沈む様子を描いた「愛宕夕照」の綴織り、共に縦2.3メートル、横8.6メート

ルがあり目を奪われました。箱崎睦昌氏の下絵を基本にした作品です。

 

 平成20年6月2627日にわたりG8京都外相会合がこの間で開かれました。日本からは

その時高村大臣が議長として出席しました。核の不拡散・北朝鮮拉致問題・イランのウラ

ン濃縮活動停止問題等が取り上げられました。比叡や愛宕の山の織物が会合の論議にどの

ような影響があったのでしょうか? 私はそんなことをふと思っていました。

 

 次の「藤の間」は最も大きな部屋で、晩餐会や、歓迎セレモニーの会場として使われて

いるところです。ここの壁面装飾は鹿見喜陌氏の下絵を下に綴織の技法で作られた西陣織

で、日本の草花39種類が散りばめられた「麗花」でした。この間の入口にアフガニスタン、

カルザイ大統領のこの場所での写真がありました。今年平成22年6月20日京都を訪れた大

統領は同志社大学での大学院生との対話集会に出席し「アフガニスタンは経済・インフラ・

教育面での大きな進展をしており、日本からの援助を効果的な事業に使いたい」と語った

とされています。しかし、まだまだ未解決の問題をかかえる大統領を、壁面の草花はその

癒しとなったのでしょうか? 天井は指物と和紙による、柔らかな照明「光天井」でした。

 

 私は壁面の写真を撮ったときに、係の人から「フラシュを使わないでください」と注意

されました。フラシュ禁止モードに設定していたのですが、一旦電源を切ったときに、標

準モードに知らぬ間に変わっていたようです。参観者の行動対して係の人もピリピリ緊張

していました。そんな空気の中でカメラのメディアの交換が必要になりました。広間の真

ん中で何かをやっているとまた注意されそうですので、次の間への廊下の途中で入れ替え

ました。それでも他の係が「何をしておられるのですか?」と聞きに来ました。

 

 次の「桐の間」は純粋の「和の晩餐室」です。24名までの会食が可能とされ普通、京料

理によるもてなしがされます。また舞や琴の演奏などが行われます。座敷は掘炬燵式で正

座をしなくても座れるように作られています。

 

 迎賓館が出来て間もない平成171116日、小泉首相とブッシュ大統領との日米首脳会

談が行われ、その後、この桐の間の奥につながる和室で小泉総理主催の社交昼食会が行わ

れました。 

 

 会談は日米関係、特に米軍再編や、日本の経済改革の問題であったのですが、この会談

に対して、京都円山公園では「戦争と基地強化のための日米首脳会談反対! 111516

京都行動」の集会があり約6百人のデモが行われました。ブッシュ大統領の口に京料理は

合ったのでしょうか?

 

「池には山古志村の錦鯉やその子鯉がいます。が、写真を撮るのはここまでにして下さい」

と係の人がいいました。楽器の琵琶が飾ってある「琵琶の間」を横に見て、その池の鯉の

群れを見下ろして廊橋を渡り、正面玄関に戻りました。他に池の北側に宿泊棟がありまし

たが、これは参観禁止でした。

 

 基本的には洋風に作られた東京の赤坂の迎賓館に対して、京都の迎賓館は純和風で今に

伝えられた日本文化の技術の粋が建物の各所に見られました。今まで国賓4回、公賓2回、

賓客48回(平成17年〜平成22年5月)の接遇をしていますが、日本独自の文化を各国の国

公賓客に知ってもらうには、最適の場所だと思います。

 

 しかし実際に大切なのは、建物ではなく、今後この迎賓館をどのように活用して、本当

の日本の独自の心、多くの日本人の考え方や思いを広く世界の重要な人達に如何に伝える

か? ではないかと私は思っています。

                       (平成2288日)

 

 

下記の写真はG8外相会議 です。

 

   

   

 

 

 

 

■■◆      宙 平
■■■     Cosmic Harmony
■■■