M80Aクラス
―オリエンテーリング競技、男子80歳以上の上級者クラス参加の記―
日本のオリエンテーリングの大会で、80歳以上のクラスを設けているのは、東京オリエンテーリング
クラブの主催するベテランズ大会だけである。この大会は今年で10回目となり、8回目の2009年に
M80Aのクラスを新設した。私は今年このクラスに出場できる年齢に達したので参加したのである。
オリエンテーリングは19世紀後半スカンジナビアで行われていた斥候兵の訓練に起源があるものとさ
れている。
例えば、敵の陣地があるとされる場所を偵察するのに、まず素早く気づかれないように森を進み、A
地点の小山の上まで行く、そこで視察し、続いて地図を見てB地点の岩陰までコンパスで方向を定めて
到達して、再び敵情を視察して、すぐに早く味方の陣に戻って来なければならない。
つまり、味方の陣地をスタートとすると地図と磁石を使って、A地点とB地点を回りいかに早く戻っ
てくるかの競技となったのである。今ではコントロールと呼ばれる標識が何箇所か数多く置かれ、地点
の通過は競技者が持っているE―カードと呼ばれる厚めのプラスチックのカードを装置にはめ込むと、
時間が自動的に記録される。
日本では1966年に初めて高尾山で大会が開催された。そして飯能市で第一回全日本選手権大会が
開かれたのが、1975年である。私がこの競技を始めたのは1970年頃、コンパスを持って、当時
各地に設置され始めたパーマネントコース(常設コース)の金属製の標識を目標に回っていた。その地
図は出発点となる駅近くの特定の店で売っていた。
当時多くの人が、オリエンテーリングに参加していた。飯能市の全日本大会などは、5075人(グ
ループ参加も含む)も集まっている。その多くの人が競技を続けていれば今行われている70歳台以上
クラスにも多くの人が出場するはずである。
しかし年齢とともに競技する人は減っていく。膝や腰を悪くしたり、目が悪くなり細かい地図が読め
なくなったり、そして家族の介護が生じたりなど、事情が色々ありこれはやむを得ないことである。
若い人たちのクラスではまだ参加者は多いが、M80Aクラスとなると、参加するのは日本にオリエ
ンテーリングが伝わった頃から始めている生き残りのベテランだけで、ごく少数の名前の知れた人たち
である。
今回も参加者は大体申し込む前から予想できた。まず最高年齢者は東京オリエンテーリングクラブの
梅野武康さん90歳。現役で活躍される大ベテランで、かって50歳台から70歳台の頃、全日本大会
でも幾度か優勝を続けておられた。
次いで高崎オリエンテーリングクラブの金井一さん86歳。全日本大会はじめ大きな大会には必ず参
加を続けておられ、多くの若い人たちからも尊敬されている方である。
そして、多摩オリエンテーリングクラブの高橋厚さん81歳。昨年のベテランズ大会の優勝者である。
今年の5月1日に行われた富士山麓の全日本大会でもM75A(高齢者クラスはこれしかない)で優勝し
ている。高齢者クラスではNO1の足の速さと各大会優勝の実績をもっておられる方である。
今年から80歳台参加の資格を初めて得て参加するのは、私と広島オリエンテーリングクラブの小川
敬三さんである。競技参加実績は長年にわたり、名前は広く知れている方だ。
今年のベテランズ大会は5月29日(日)、東京都青梅市の笹仁田峠で行われた。台風2号が日本列
島に接近中で、前日からの激しい雨が降り続いていた。それでも、集合場所の青梅市小曾木の八坂会館
には各クラス参加者104名が集まってきた。ところが最高齢の梅野さんは出場されないことが分った。
この雨ではやはり無理を避けられたのだと思った。そして高橋さんはこの日所用のため来られなかった。
そうするとM80Aは私と金井さんと小川さんの3人の勝負になる。プレッシャーがかかってきた。
こうなると私は優勝を狙わなければならない。が、例えば微妙な地形で一つ深い沢を間違えて仕舞うと、
とんでもなく時間がかかって優勝出来ないからだ。コースは直線距離2・5キロだが、径の無い山や谷
も行くこの距離は、平地を行くのと全く違う。コントロール数は8。地図はこの競技のために新しく改
訂された専用のもので、縮尺1万分の1、等高線間隔5メートルである。
会館からスタート地点まで30分、雨の中を行く。スタート時間は金井さん10時51分。小川さん
10時52分。私が10時54分である。@の沢までは最初にかなり長い山径を走った。途中でまず金
井さんに追いつき、しばらくして小川さんの横をすり抜ける。しかしコントロール付近でもたつくとた
ちまち追いつかれるから油断がならない。果たして尾根の径から沢へ降りるのを、行きすぎていた。藪
を少し戻り小尾根を回り込んで見つけた。(14分26秒)
Aの沢はそのまま北東に進んだ。(3分24秒)Bも沢、尾根を越え湿地を渡り、坂を登って台地か
ら下を見ると、急斜面の上部にコントロールが見えた。ところが雨で泥の斜面が滑って止まらず、下ま
で落ちて泥んこになった。必死で這い上がってチェック。(8分25秒)Cは植生界の角。上の径から
見当をつけ沢を下った。茂みの角にあった。(6分36秒)Dは岩崖の下。沢を渡り尾根を越えて、茂
みの横を西へ下る。(9分49秒)そしてEへ、途中給水所で紙コップの水を補給。尾根を登り西へ小
径を進み、右の沢を確認し藪尾根の西側を北に向かって下る。位置説明は尾根となっているが、幾つも
ある微妙な小尾根であった。(13分54秒)この付近で迷っている他のクラスの人、幾人かに出会う。
Fへはコンパスの示す方角に沢、尾根、また沢、尾根と進み、微妙な小沢でチェック。(6分55秒)
ここまでくれば、何とか逃げ切れそうである。Gは径に沿った建物の横にあった。(5分41秒)そし
て100bを走ってフィニッシュ。(44秒)であった。
結局私は1時間10分44秒で、M80Aクラスで優勝した。2位の小川さんは1時間39分50秒
であった。金井さんは残念ながら、Eのコントロールをチェック出来なかった。しかし、降りしきる雨
の中を2時間10分37秒もよく回られた。無事で帰って来られた時は私も嬉しかった。
台風2号が迫っているので、新幹線が遅れたりしないためだろう広島の小川さんはすぐに帰られた。
結局表彰式は私一人で壇に上がった。
来年度は今回出場しなかった人も参加するだろうし、80歳代になる人も増えることもあるから、な
かなか連続優勝は難しいかもしれない。しかし日本で初めてM80Aというクラスを作ってくれた東京
オリエンテーリングクラブのベテランズ大会に感謝し、大会を盛り上げ、私も再び頑張るために来年も
参加するとアンケートに書いて提出した。
今年の7月1日から7月8日にかけて、ハンガリーの南西部ペーチで、ワールドマスターズ、オリエ
ンテーリング大会が開かれる。これは35歳以上90歳までの男女の5歳きざみのクラスがあり、世界
中から参加者が集まる。私もM80Aクラスに参加する予定である。おそらくこのクラスだけで40名
以上が8日間の競技を競うことになるだろう。
80歳以上といっても、伝統あるヨーロッパのベテランたちは恐らく猟犬のように、山を駆けるであ
ろう。アジア人、日本人としても何とか食らいついて、8日間を完走したいと思っている。
(2011年6月5日)