From Chuhei
 
 
   
ハンガリーのペーチで今年の世界マスターズオリエンテーリング選手権大会
が開かれ私はM80・80歳から84歳までのクラスに参加しました。
写真はモデルイベント会場に向かう、私と日本人選手たちです。
 
 モデルイベントでスタートフラグの横を走っている私です。
   
 
スプリント1日目の日にモスク寺院前(今はカトリックの寺院として使われている)で開会式がありました。
 
     
 ロングの大会の私たちグループテントです。コントロールに到着した選手と90歳クラスのランナーです。
 地図を見ると、まさに渦巻きにようなドリーネ穴の地形です。
 
80・迷路と渦巻き穴地形との戦い
 
 
               ―ハンガリー、ペーチのWMOC― 
 
 
 今年のWMOC(世界マスターズオリエンテーリング選手権大会)はハンガリーのペーチという町を中心
に7月1日から9日まで行われた。ペーチはブタペストより南南西に車で約3時間、古い城壁や、世界遺産
として指定されている初期キリスト教遺跡が残っている美しい街である。この大会の参加国は42ヶ国、集
まった人員3342人、その内、日本からは30人が参加した。
 
 日本での5月のベテランズ大会ではM80Aの3人の戦いで優勝した私は、今回のWMOCのM80クラ
スの参加人員が49人もいるのに驚いた。そしてその参加者の一部の経歴を詳しい人から聞くと、元エリー
トで優勝選手あり、元オリンピックのスキーの選手あり、元陸上競技の有名選手ありで、80歳台といって
もそれこそ経験の深い大ベテランばかりだということであった。これは大変だ!。
 
 私は国外でオリエンテーリングをするのは10回目になるが、80歳台になって少し膝の調子が悪くなっ
た。その上、眼には白内症状がそろそろと進行してきている。動作が鈍り、走るスピードも年々大きく落ち
ている。果たしてこの状態で戦えるのかな? と思った。

 

 それでもなぜ行ったのか? 私がこのWMOC大会の持つその精神と、その運営の在り方に魅かれたから

である。

 

 この大会の方針には、エリート選手を生み出すというより、生涯スポーツとしてのオリエンテーリングを

深めていこうという高い理念が示されている。

 

 例えば2006年、オーストリーのWMOCで私が言葉を交わしたことがあるフィンランドのエンリッキ

さんは今年もM95に出場している。95歳は彼一人である。しかし、一人参加であってもきっちりとクラ

スは設けてくれる。女子も今年は90歳が一人出ている。すぐにW90クラスを設けている。コースそのも

のは年齢が違っても同じものを走る場合がある。しかし35歳から95歳までの5歳刻みのクラス分けだけ

は厳格に守られている。

 

 生涯スポーツとなると、如何に続けるかがより重要になる。そうなると自分の体調の維持をどう保つかを

常に考えなければならない。

 

 そして、それを続けることが、私の望む「ピンピンコロリ」(ぴんぴん生きてコロリと死ぬ)につながる

と考えている。しかしコロリであっても、外国で死ねば多くの人に迷惑をかけるから、なんとしても生きて

日本に帰って来なくてはならない。

 

 日本からの参加メンバーは、それぞれのクラブやグループごとに参加している。私はM50に出場する小

林さんのグループに入った。小林さんは早稲田大学オリエンテーリング部のOBで、日本旅行に勤めている。

一人で選手と添乗員を兼ねてツアーを組んでくれるので有難い。17人がこのグループで参加した。

 

 さて、競技はスプリントに3日。ロングに4日。すべてそれぞれ違った場所で行われる。スプリントは

公園や、街を中心に比較的短い距離で速さを競う。ロングは森に入り、沢や尾根などの等高線を地図で読み、

長い距離を進む。

 

 スプリント一日目はモデルコースでのトレーニングである。ペーチの南地区の公園のある住宅地に14個

のコントロールが設置してあるのを気楽に回る。

 

 そして2日目はいよいよスプリント予選である。場所はペーチの中心となる旧市内でその昔は城壁に囲ま

れていた範囲である。ここにはシナゴークと呼ばれるユダヤ教の教会、国立劇場、大聖堂、4世紀の初期キ

リスト教遺跡、モスク寺院、博物館などが集まっているが、一歩町裏に入ると細い道が迷路のように入り組

んでいる。そして余程地図をよく見ないと、行き詰まりになる道もかなり多い。

 

 このことが競技のポイントなのだが、この迷路にはまると翌日の決勝はBクラスに落とされてしまう確

率が高くなる。コントロール数は9、私はEまでは順調に切り抜けた、しかし、Fに向かうところで遂に

この罠にはまってしまった。そこは大聖堂の東側の坂のある細い公園だった。そのまま進めば、楽にFが

取れる筈だった。ところが何故か行き詰まりになると深読みして元へ戻ったのだ。せっかく昇った階段を

下り、うろうろしてここで8分7秒かかってしまった。普通なら2分数秒ぐらいでは行けたところだ。迷

路の間違った深読みで6分のミス! これで今回のスプリント競技の勝負がついた。ああこの6分でBク

ラスに決定! 残念!

 

 私の時間は22分31秒。19分28秒までがAクラスに入れたのである。しかし、1位は13分15

秒で走っていた。早い!

 

 スプリント3日目は鉱山で開けたという街カムロでファイナルが行われた。ピーチの北、車で40分の

山の斜面に町並みがある。急な坂を登りそこからのダウンヒルコースで、6コントロール。80歳のゼッ

ケンを見て、何度もスタート地点まで車で送りましょうかと声をかけられるが、断って坂を登る。80歳

以上は主催者が車を用意していると案内には書かれていた。ここではM80Bクラスの、22名中6位。

18分29秒。トップは17分21秒。Bクラストップにはもう少しだ。

 

 いよいよロング1日目に入る。この日はモデルコースでのトレーニングである。カルスト地帯でもある

ロング決勝に使われるところに近い場所で、ドリーネと呼ばれる石灰岩が溶けて地上に鉢型の窪地が出来

たものが連なっている所がある。地図で見るとその穴の等高線が渦巻きに見える。正に鳴門の渦巻きの中

を行くようなものだと私は思いながら、その状況を確かめた。この穴はどこかで見たことがある? そう

だ戦争で日本に落とされた1トン爆弾の爆発跡だ!。こんな穴がいたるところに連なっていた時期が昔、

日本にあったことを私は思い出していた。

 

 ロング2日目、第1次予選の日。ペーチ北西の森の深い丘陵地。会場とフィニッシュは広い牧草地であ

る。スタートまで30分、途中練習しながらスタートまで行けるコース地図を渡される。スタート付近に

はトイレも給水所もある。大きな時計が用意してあり、7分進んでいる。つまりプレスタートがそれぞれ

の選手のスタート時間の7分前に始まって、順番に3分前の本スタートまで行くのである。地図は1万分

の1。8コントロール。直線距離2・2キロ。ここでの大失敗はCの真ん中の沢だった。複雑な沢だらけ

の地形、下から沢を選んで登ってゆく様なところだが、真ん中だと思って登っても無い。あわてて次の沢

へ行くがこれもない。何遍も上り下りして最後の沢に有った。普通なら5分から7分のところをここだけ

で27分かかった。この20分のロスは決定的に響いた。この日は私のタイムは73分08秒である。

62分19秒までがAクラスである。またも、この20分のロスでBクラス入りか? 明日がある。明日

があるんだ! と、歌の文句が出た。トップは33分10秒。これには「参った」と言わざるを得ない。

どんな80歳台の足をしている人なのだ!

 

 ロング3日目。予選第2日。昨日の場所の東側、湖水の近くである。渦巻き模様のドリーネ穴地帯だ。

巻き込まれないよう用心。コントロール数は8で2・5キロ。最初からドリーネにぶつかるがこれを上

手く使うと分りやすい。この日は42分56秒で49人中の18位だ。しかし、昨日は36位だから、

トータルで、決勝はBクラス決定。くやしい! この日のトップは32分23秒。スピードではトップに

は勝てない。

 

 ロング4日目ファイナル。この日の前日は1日だけ自由日があって、練習する人、休息する人もいた

が、私は仲間14名とツアーを組んでブタペスト観光に出かけた。クリスチーネというきれいな女性が、

ガイドをしてくれた。中央市場では日本デ―をしていた。

 

 さて、この日のファイナルM80Bクラスでは最善を尽くして走り抜こうと思った。ポスト数は9。

典型的なドリーネ穴の地帯を行く。ところが、この日も遂にDへ行く途中でドリーネ穴の渦に翻弄されて、

現在地を見失ってしまった。地図上のドリーネと、自分の目の前のドリーネが一致しないのである。しま

ったと焦ってその付近の渦巻穴をさまよって現在地を確かめようとした。しばらくして偶然一つ先のEの

コントロールに出くわした。EからDへ戻ってようやく完走した。Dだけで28分17秒かかった。ト

ータル82分12秒は24名中の6位だった。トップは50分42秒。

 

 今回はBクラスの6位がどうやら、スプリント、ロングとも私の定位置になってしまった。これではい

けない! 来年はまず、Aクラス入りが目標だ。いやちょっと待て! 来年の開催地はドイツだが、私の

身体が来年も山地を走れる身体を保っているのだろうか?ドイツの大会に行くとなると、私はAクラスに

向けて身体の調整を今から始めねばならない。

 

 M80クラスのロングで、コースを回りきれなかった人もいた。予選1で49名中5名。予選2で49

名中4名。ファイナルAクラスで25名中5名。Bクラスで24名中8名である。怪我をして救急車で病

院へ運ばれた女性の参加者もいた。80歳ともなればコントロールすべてを完走するのが大変になってく

る人達もいたのだ。

 

 日本人全員は、誰もメダルを取って表彰されることは無かったが、怪我もせず、みんなが好天と良い雰

囲気に満足した様子で、無事帰国できた。これも、生涯スポーツに取り組んでいる人たちだ、と考えれば

まずはめでたいことだと言わねばならない。

 

                           (2011年・7月16日)

 

 

 

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:★:cosmic harmony
      宙 平
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