エッセー 箕面の八天石蔵めぐり

From Chuhei
 
 
下は箕面勝尾寺の周りを回る八天石蔵めぐり用の地図です。
 
 
下は多聞天の石蔵標識とと持国天石蔵標識付近です。
 
     
下は倒れている増長天石蔵標識とゴールの金剛夜叉石蔵標識です。 
 
  
   
 
 
      箕面の八天石蔵めぐり
 
 
 
 箕面の勝尾寺は昔から山岳信仰の拠点として栄えた。880年には当時の住職、
行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝
つ」では恐れ多いとして勝尾寺に差し替えたといわれている。
 
 その勝尾寺にも寛喜2年(1230年)地元の住民との間に寺領の境界の問題が
おこり、それを明確にするために傍示として、山林の8か所に、四天王四明王像
を一躰ずつ信楽焼の容器に納めて埋納し、その上に石積の壇が設けられた。これ
が八天石蔵である。
 
 昭和37・8年にかけて、古文書に記録された8か所の発掘調査が行われ、す
べての石蔵から青銅の像が発見された。
 
 この石蔵は我が国以外に例を見ない遺構として国の指定史跡となった。発掘さ
れた像は容器とともに、重要文化財として勝尾寺に保管された。これらのことを
書いた箕面市教育員会の古い説明版が勝尾寺南側の山にある一つの石蔵前に立っ
ている。

 

 その発掘時に、それぞれの石蔵に石の標識が目印として建てられたものの、今

では管理が全く行き届いておらず、荒れ果てた姿となって放置されたままで、今

の国土基本図を見ても場所も道も全然分らない。国土地理院の地図でもはっきり

しないところがある。

 

 そこで、オリエンテーリングの辻村さんや山の会の稲垣さんが、オリエンテー

リング用の地図などを参考に八天石蔵めぐりルートを探索し始めた。お二人とも

その分野の大スーパーベテランである。オリエンテーリングのリレー競技では男

子65歳以上、女子50歳以上の選手をスーパーベテランと呼ぶが、私も含めて

お二人とも、その年齢をはるかに超えているから、ウルトラスーパーベテランと

呼ぶべきであろう。その幾度かの探索の成果があり、8か所の石蔵を最後の仕上

げとして全部回ることになり、このお二人に私と山の会大ベテランの女性、河原

さんが加わることになった。

 

 今年の9月23日、彼岸の中日、4人は阪急バスの北摂霊園行きのバス停、八

天の森に降り立った。大部分を北摂霊園に囲まれた高地で峠に当たるところであ

る。このバス停から道路を隔てて北西の丘の上に多聞天の石蔵があった。手前に

は貯水槽があり、周りは笹草で覆われているが、石標の文字は「勝尾寺旧境内?

示八天石蔵」と読めた。その横に「丑寅方多聞天石蔵」と書いてある。横には昭

和四十一年一月二十五日指定、文化財保護委員会と刻まれている。

 

 私は携帯電話のカメラで写真を撮るために、他の三人より少し遅れてその場に

残った。その時、石標がぐらぐらと揺れて、大きく膨れ、見たことのある多聞天

の姿となった。

 

悪鬼を踏まえ、甲冑をつけて手に宝塔と鉾を持った姿で、私を睨みつけて言った。

 

「我は北の守りじゃ! 何をしに来たのか!」

「石蔵を確かめに来ました。貴方は勝尾寺に保管されているのではなかったので

すか?」

「寺にいて守りが出来るか! 本物はここにいるのじゃ」

「守りと言われるが、ここはもう寺の領地では無いのでは……」

「俗な領地境界の守りではない! 結界じゃ。寺の清浄な気の及ぶ範囲を守って

いるのが分らんか! 今の寺はこの我を忘れてしまっている。最強の天で仏法に

帰依して、最も多く説法を聞いて『多聞』と言われたこの我を草叢の中に放りぱ

なしにしておる! 怪しからん!」

 

 鉾を振り上げて怒り出した。私は一礼して逃げ出すように,丘を下った。

 

 

 

 仲間の3人はバス停のあった道路を越えてその東側の東海道自然歩道を南

に進もうとしていた。やがて自然歩道と別れて南南東に急な尾根を下った。

「次は送電線の下にあるから分りやすい」と稲垣さんが言った。確かに送電

線の塔のすぐ南側に「卯方降三世明王石蔵」があった。石標の作り大きさは

同じである。

 

 ここでも携帯電話のカメラを向けると、石標が降三世明王に変わった。携

帯がおかしいのか? 私の頭と眼がどうかなっているのか? 他の仲間の3

人は全然明王に気が付かないようである。

 

 顔は4つ、手は8本、目が3つ、それぞれの手に金剛杵、金剛戟、矢、弓、

刀、索を持ち、足に大自在天や妃の烏摩を踏んでいる。

「我は過去・現在・未来三世に及ぶむさぼり・いかり・おろかさの三煩悩を

降伏させる力があるぞ!。ここに来る者の煩悩の毒は我がすべて叩き出して

くれよう。いざ! いざ!」と覆いかぶさるように私に迫ってきた。

 

 

 

 私は飛んで逃げだしたが、他の3人に話しても信用しないだろうから、こ

のことは黙っていることにした。多聞を離れたのが10時20分降三世を逃

げ出したのが10時45分だった。

 

 辻村さんは「ここから東側の途を降りると危険だ! 西寄りの途を南南東

に下るのが正解」と教えてくれた。尾根途から広い沢に入ると、少し広い道

に出た。回り込んで西へ向かうと、勝尾寺の東側の広場に出た。この付近は

オリエンテーリングの競技でも良く使われたところで、MBSテレビのチチ

ンプイプイの番組でも競技が取り上げられ、この近くで、仲間と出演したこ

とがあり、私にとってはなじみの場所である。東南に途を登り尾根を東に進

むと「辰巳方持国天石蔵」があった。11時20分に着いた。

 

「我は東を守り、国を支えているものじゃ!」私が携帯カメラを向けると、

いきなり刀を振り上げた。邪鬼を足で踏みつけている。

「この場所は東南に視界が広がり、見通しがきく、邪悪な気の侵入はすべて

ここで見つけ、切り捨てる!」

 

 

 

 持国天のいう眺めを楽しみながら、尾根を引き返し、勝尾寺の横を通ると

僧侶の読経が聞こえてきた。広い道路を横切りそのまま南西に尾根途を登る。

南に向かう石段道と合流し、そのまま進むと東側の茂みの中に「牛方軍荼利

明王石蔵」があった。

 

 早速携帯カメラを向けると、現れたのは蛇が体中巻き付いた明王だ。目が

3つ、手が8本、それぞれの手に三鈷、金剛杵,戟、金剛鈎を持って睨みつ

ける。私が声をかけた。

「私はヨガで、クンダリーニという人間の尾?骨の下に住む蛇を背筋から上

げて頭上へ抜け出させる修行法をやろうとしたことがあるが、難しくて出来

なかった。貴方はその化身か?」

「そうだ! お前の中にも我の分身がいるのだ。それをお前は生かしていな

い。ガッと自分のグンダリーニに火をつけて燃え上がらせて背筋を登らせろ!

それが出来ればすべての煩悩は霧消する! それが我の役目だ!」

 

 

 

 その時、辻村さんの「ここで食事をします」という声が聞こえた。携帯を閉

じると明王はさっと消えた。11時50分に着いて、弁当を開き、その後12

時20分に出発した。

 

 次は問題の増長天だ。問題というのは急な坂と岩崖のある沢の近くにあり、

近づくのも難しいからだ。途を少し北に戻り尾根道を西に向かう。途中に「八

天石蔵」の説明版があるところから、途の無い急斜面に足を滑らせながら沢に

向かって北東に下る。沢の左岸に八天大杉があって、その根元に「牛未方増長

天石蔵」があった。なんと石標が倒れている。

 

 携帯カメラを向けると、仰向いて倒れたままの増長天が怒り猛った形相で怒

鳴って現れた。「我を何とか起こさんか! このまま放っておくつもりか! 

我は南の守り、増々長く寺の聖域を守らねばならぬ! どうなっているのじゃ!」

そのままの姿で手に持つ槍を突き上げた。私の力では重い鎧姿の天を引き起こ

すことなど出来ない。早々に下の沢に降りた。

 

 

 

 沢は水嵩があり、北側は岸壁である。下流に少し行くと、その岸壁にアルミ

の梯子がかかっていた。倒れそうで危ない! しかし、河原さんを先頭にこれ

を登り斜面を這い上がると上のバス道に出た。

 

 ここからはバス道を西南に下ってゆくと、右側に旧管理事務所の建物が見え

てくる。その東の庭に「未申方大威徳明王石蔵」があった。増長天を出たのが

12時50分、ここへ着いたのが13時10分だ。

 

 この明王は6面6臂6足で水牛に乗り、鉾,剣、索、宝棒を持っているが、

穏やかに言った「我は偉大なる徳を及ぼし、この山の自然を守っているのじゃ。

お前たちも山を汚すことの無いよう、注意せよ!」

 

 

 さてここからは東海自然歩道の出発起点があり、その北西に箕面川ダムがある。

稲垣さんの案により、このダムの堰堤から西岸周りに進むことにした。この道は

車も人もほとんど通らない。ダムを回り込むようにして東岸から北摂霊園に通じ

る道に出て少し南東に戻るとダムに流れ込む川の支流の橋があり、その橋の西下

に「酉戌方広目天石蔵」があった。道からは直接下りにくいので反対側がら、狭

くて低い橋下を潜って見つけた。携帯カメラを向けたら、広目天はカンカンに怒

っていた。

 

「やい! 我をなんだと心得ているのか! 広く見すえる千里眼を持つ西の守り

だぞ! その我を橋の下の草むらに捨てるように置き去りにしているのは、何事

だ! 寺の住職をここに連れてこい! 人形を寺に持ち帰り、それで事足れりと

して、西を守り続ける我を忘れておる! なっとらん!」三叉戟を振り上げ、邪

鬼を踏みつけ、睨みつけてきた。 恐ろしいのですぐ退散した。

 

 

 

 時計を見ると14時15分だった。自動車道を川沿いに進んで、14時50分

北摂霊園管理事務所に着いた。ここが今日のゴールである。事務所の南側の建物

の西に面した庭の中に「亥子方金剛夜叉明王石蔵」があった。この周りはさすが

に整備されていた。携帯カメラを向けて現れた明王は、3面6臂5っの目、金剛

杵と弓,矢、宝剣,宝輪を持つ恐ろしい姿ながら、穏やかに言った。

 

「我は人を襲って食らう夜叉として恐れられていたが、帰依した後は善男善女の

強い守りとなった。そして今は寺の結界とその自然を守っている。石蔵を回った

のなら、多くの人に伝えよ! 八っの石蔵をもっと大切に守れ! 常に歩いて巡

回せよ! そして自然を守り続けるのだ! 分ったか!」

 

 

「はい! 分りました。石蔵の事を多くの人に伝えます。早速帰ってこのことを

エッセーに書いて、読んでもらいます!」

 

 この私の答えに明王の3っの顔は同時にニヤッと笑った。

 

               (平成23年11月12日)

 

 

 

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:★:cosmic harmony
      宙 平
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