映画「渚にて」
―放浪する原子力潜水艦―
毎日のように報道される福島第一原子力発電所の事故の経過を聞くたびに、私は映画「渚にて」
を思い出す。オーストリアの歌ワルティングマチルダを聞くたびに、この曲が常にバックに流れて
いたその映画のいくつかの場面が、私の頭の中を駆け巡る。
1959年に封切られたこのアメリカの映画は、数多くの名作や問題作で有名なスタンリー・ク
レイマーが監督し、グレゴリー・ペック、エヴァ・ガードナー、フレッド・アステアなどの当時の
人気の高い俳優たちが出演していた。
原作となった小説は、英国人作家ネビル・シュートが1957年に書いた「On the Beach」で、
第三次世界大戦が起こり大量の核兵器が使われ、死の灰に覆われた北半球の人類は死滅し、やがて
南半球にも死の灰が押し寄せてきて、人類生存の残り5か月となったオーストラリア、メルボルン
市民の色々な姿を描いている。
映画は1964年、この第三次世界大戦は終わっている状況から始まっている。しかし、すでに
4700発の原水爆による核爆発により、メルボルンにも死の灰が迫りつつある。
その中で生き残ったアメリカ原子力潜水艦ソーフィシュ号はメルボルン沖で浮上し、入港するの
である。
艦長タワーズ中佐(グレゴリー・ペック)は、招かれたパーテイで、牧場主の娘モイラ(エヴァ・
ガードナー)と知り合う。艦長はアメリカのコネチカット州に妻と8歳の息子5歳の娘を残してき
たが、当然死亡している。モイラは家族を失った艦長を慰めようとしながらも、自然と彼に魅かれ
てゆく。
このパーテイに科学者オズボーン(フレッドアスティア)がいて、北極海の放射能汚染度を調査
し、アメリカのサン・ディエゴ方面から発信されている意味不明のモールス信号の正体を確かめる
ために出動する潜水艦に、同行することになる。
ソーフィシュ号は航海に出て、北極海に到達したが、ここもすでに著しく汚染されていることが
確認された。そして帰りに立ち寄ったサンフランシスコは全く生き物のいない街だった。金門橋や
建物だけが不気味に残っている。ここで乗組員のサンフランシスコ出身の水兵が脱出する。脱出
すれば1週間以内に死を迎えるだろう。彼は故郷で命を終えたかったのである。
そして無線による方位測定で不審なモールス信号はサン・ディエゴ港の製鉄所の発電施設から出
ていることを突き止める。1名の士官が防護服に身を包み調査にあたる。無人のまま発電施設は稼
働し、事務所の机の上のモールス信号の発信機には、窓のカーテンが風に揺れると、カーテンの紐
に絡まったコーラーの瓶が当たり、出鱈目に信号を発信していたことがわかる。映画のこのシーン
は実に不気味で印象深い。
艦はメルボルンに戻ったが、死の灰はさらに迫って来ている。そんな中最後の自動車レースが開
かれて、自動車狂のオズボーンはその大荒れのレースで優勝するが、その後彼はガレージを密閉し
て、排気ガスで自殺する。
街では自殺用の薬が配られ、州議会の前の広場には、”There is still time Brother”という横断幕
が張られていたが、そこにも人が次第にいなくなる。そんな中、タワーズとモイラは山小屋で一夜
を明かした。
ソーフィシュ号の乗組員は、死を迎えるにしても、アメリカの母港に帰ることを決め、タワーズ
艦長も同意する。モイラはメルボルン郊外のバーウオン岬に車を走らせ、渚から去りゆく潜水艦を
見送っていた。
映画ではこの場面でも、ワルティングマチルダの曲が大きく響いていたのである。この歌はオー
ストラリアでは国歌の候補になったほど有名で、「放浪するマチルダ」という意味である。マチル
ダという女性の名前を書いたバックや毛布を背負い、きびしくも自由に生きたSwagman(放浪者)
のことを歌っている。
私はこの歌の意味を聞いて、Swagmanと同じように、核汚染のために放浪する原子力潜水艦と
いう意味合いで、この歌の曲が映画全般を通しても流されていたのではないかと思っている。
私がこの映画を見た頃の、核兵器の保有国は未だアメリカ、ロシア(当時ソビエト連邦)、そし
てイギリスだけであったが、それでも世界戦争が次に起きれば、核の応酬となることが懸念されて
いた。そしてこの映画での核戦争後の放射能による汚染のために、全人類が静かに滅亡してゆく不
気味さに、私はなんともやりきれない思いを感じたものであった。
そして今は、この映画の封切られた当時と比べても、核兵器を保有する国が現実に増えてきてい
る。その後、フランス・中国・インド・パキスタン・北朝鮮が相次いで核保有国となった。そして
イスラエルも保有の疑いがあり、イラン・シリア・ミヤンマーなども開発する可能性がある。
また当時未だ数が少なかった、世界の原子力発電所の基数も今は増え続け、運転中は435、建
設中や計画中を含めると531に及んでいると見られる。
原子力事故も、その後は増え続けている。関西電力美浜発電所の燃料棒破損事故(1973)配
管破損事故(2004)原子力船「むつ」の放射線漏れ(1974)、外国でも爆発による放射性
物質が飛散したソ連ウラル地方核惨事(1957)、イギリスのウインズケール火災事故などがあ
り、その後多量の放射線を受けた人が白血病で死亡している。(1957)
そのほか色々な事故が起こっている中で、リスクを伴うレベル5と言われるのが、炉心溶融した
アメリカスリーマイル島原発事故(1979)であり、そして、今回の福島第一原発の事故と同じ
深刻重大なレベル7とされた、チェルノブイリ原発4号機の爆発・炎上事故である。(1986)
この時、放射性物質は気流に乗って世界的規模で被曝をもたらし、放出された放射性物質の量は
広島に投下された原子爆弾の放出量の約400倍とする国際原子力機関(IAEA)の記録もある。
現在もなお半径30キロ内の居住は禁止され、原発から北東約350キロ範囲内には局地的な高濃
度汚染地区が100箇所にわたり点在し、農業も畜産業も禁止されている。
言えることは、原子力発電所も炉心の核爆発が起これば、核兵器の爆発と変わらない放射線量の
放出になるということだ。そして原子炉を止めてもその冷却を続けない限り、核爆発は起きるので
ある。冷却のための電源を、確保し続けなければ危機をもたらすのである。
あらゆる戦争と紛争、世界同時多発テロ計画グループ、そして狂信的なカルト団体等による攻撃
の対象が、世界の原子力発電所に向けられる怖れは充分にあるし、それに想定外の自然災害が加わ
れば、映画「渚にて」の人類が滅亡に向かい、原子力潜水艦が放浪する話も決して絵空事だと切り
捨てることは出来ないと、私は思う。
アメリカの核の傘の下にあるといわれている日本の、海に面して立ち並ぶ原発も世界に対して影
響を与えるような攻撃にさらされることのない事を祈るばかりである。
福島第一原発の事故で立ち退き地区となって誰もいなくなった町並みを、テレビの映像で眺めな
がら、私は映画のサンフランシスコの不気味な死の街を思い出し、今こそ本当の人類の「叡智」が
験される時だと思っている。
(2011年5月20日)