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Chuhei
ブロッケン山には、SLに乗って山頂まで行きます。
子供たちもこの鉄道に乗ります。
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山頂の駅と魔女が集まると伝えられる岩原です。 |
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開会式の日の夜、踊る魔女たちに会いました。 |
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ホテルの入り口にも魔女がいました。 ブロッケン山のワルプルギスの夜の魔女の宴の図です。 |
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山頂での『ファウスト』劇のディスプレイとゲーテの記念碑です。 |
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山麓の町クヴェトリンブルグの美しい街並みです。 |
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魔女人形とスピリッツ酒の小瓶です。
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ブロッケン山と魔女
ドイツ中北部ハルツ山地で開かれた2012年WMOC(世界マスターズオリ エンテーリング選手権)開催の期間中、ただ一日の休息日が7月6日だった。勿 論その日でも練習コースは開いていたから、熱心に練習に行く選手もいたかもし れないが、私たちのツアー仲間19名全員は、朝早くからブロッケン山の観光に 行くことになった。
まず、チャーターしたバスでパートハルツブルグの宿泊ホテルから、山頂まで の狭軌鉄道の出発点となる町、ヴェルニゲローデへ向かった。
バスの中で、ゴスラー在住20年の日本人女性ガイド井口さんから、ブロッケ ン山の説明を聞いた。
ブロッケン山はハルツ山地の中では、一番高い山である。高いといっても標高 は1142メートルで、山頂は広くなだらかなのだ。
第2次世界大戦後、ドイツは東と西に国が分かれた。ハルツ山地は南北の境界 線により、2つに分断され、ブロッケン山は東ドイツの領域となり、山頂にはレ ーダー塔が設けられ、秘密軍事基地となって、一般人の立ち入れない場所となっ ていた。今は高い電波塔が山頂の目印のように建ち、地元の観光客も多く集まる。
この山は霧が多い。1975年などは1年のうち300日が霧に包まれていた という記録もある。そして、霧が立ち込める山頂に光が水平に差し込むとき、光 を背にして立つ人の影が霧の粒の壁に映り、影の回りに光の輪が現れることがあ る。これがブロッケン現象なのである。この現象でこの山は有名である。ブロッ ケン現象という言葉は、登山に関心のある日本人は大変よく知っているが、案外 ドイツ人は知らないと、井口さんは言った。
もう一つ、この山は魔女で有名である。この地方には古くから魔女伝説があっ て、毎年4月30日の夜には山麓の町々では魔女の祭りが開催され、魔女に仮想 した人たちが踊り歩く。そして、ブロッケン山ではワルプルギスの夜といって、 魔女たちがこの山の山頂に集まって大規模な酒宴を夜通しで5月1日の朝方まで 行うとされている。
私は学生時代ゲーテの『ファウスト』を読んだ、そのなかで主人公ファウスト をブロッケン山の魔女の集まりに案内する悪魔メフイストの言葉が、印象に残っ ている。「さあ、どうだ、途方もないだろう。果てが見えない。無数の火が列に なって燃えている。踊っている、しゃべっている、煮ている、飲んでいる、いち ゃついている、これほどの眺めがほかにあるかね」
今回のハルツのツアーで、私は是非魔女に会いたい、という気持ちは強かった が、7月では、会うことがまずないだろうと思い込んでいた。ところが魔女がい たのである。
まず泊まったホテル入り口の、田舎風の小さなドアを開けるとその後ろに等身 大の魔女の人形が黒いマントをはおり、箒を持って立っていた。また町の小間物 屋やおもちゃ屋の店の前に魔女の人形がいっぱい吊り下げられて売っていた。大 きいのもあれば、小さいのもあった。
そして、踊る魔女たちにも会ったのである。7月1日の夜、スプリント予選の 後、イベントセンターで開会式があった。各国の旗の行進があり、挨拶が続いた あと、閉会となり帰ろうと思ったその時、突然正面の舞台全体から、白い煙が一 面に立ち上った。
そして、その中から魔女が現れた。一人、二人、いや煙の中にはもっと魔女が 潜んでいた。続々と出てきた魔女は17人、かぎ鼻にマント、とんがり帽子に箒 を持っている。しかし、みんな個性があり、マントの色や帽子の形も違う。それ ぞれ奇声をあげて、怪しげな音楽に合わせて踊り狂った。
ワルプルギスの夜さながらのこのイベントに、参加者は釘付けになった。私は いたずらに写真のシャッターを押し続けていた。魔女たちはやがて舞台を下り、 参加者と一体となって踊った。
このことから後、ツアーのメンバーの魔女に対する関心も大いに高まって、魔 女の人形を土産に買う人が増えてきた。
さて、人口36000人の町、ヴェルニゲローデでバスを降りると、広場や木 組み白壁の街並みなどを散策した。この町もそしてこの日の帰りに立ち寄ったユ ネスコ世界文化遺産の人口26000人のクヴェトリンブルグの町もそうだが、 メルヘン調の木組みの街並みは実に美しい。昔の時代の歴史と文化の息吹が感じ られ、街そのものが、かけがえのない観光資源だと思った。
そして、いよいよ駅舎からブロッケン山への狭軌鉄道に乗り込んだ。狭軌とい っても1mの幅があり、日本の1m6センチ7ミリとあまり変わらない。8両編 成の内の1両はほとんど、ツアーの19人の日本人で占めてしまった。みんな遠 足にゆく小学生のように、はしゃいでいる。1時間40分の列車の旅の始まりで ある。
蒸気機関車は石炭を燃やし、煙を吐いて坂道を登る。私にはなんとも懐かしい 煤煙の匂いである。列車のトイレは直接線路への落下式、これは、日本ではもう なくなったかもしれない。列車は汽笛を鳴らし、高原を横切り、峯を大きく回り、 みんなの高まる気持ちをのせて、ブロッケン山の山頂駅に着いた。
ここで約1時間、帰りの列車まで自由時間である。まずはみんなと共に山頂の 中心へ行った。真ん中に岩が有り、その周りは広場になっていた。この日はブロ ッケン山には珍しく晴天そのもの、見晴らしは良いが、これでは私の望んだ、魔 女もブロッケン現象も現れそうにない。この山だけは黒い雲や一面の霧が立ち込 めて、どこか恐ろしいような雰囲気の時にきたほうが良いのかもしれない。
博物館の建物があり、その一階には売店があって、ここには魔女の人形が一杯 ぶら下がっていた。みんな魔女の顔の良し悪しを詮索しながら人形を選んでいた。
そこから、廊下を隔てて奥の部屋が見えた。その部屋の真ん中に、中年の女性 が箒にまたがって少し空中に浮かんでいる《あっ! 魔女だ!》一瞬私は思った が、そこは写真室で魔女に扮して写真が取れるようになっていた。
博物館の近くには、詩人ハイネの碑と大文豪ゲーテの記念碑があった。ハイネ はゲーテの作品を読みこの山に登った。そして『ハルツ紀行』を書いた。ゲーテ はハイネより50歳年上である。『ファウスト』にはハルツ山中のシールケとエ ーレントの村あたりから、メフイストと二人で山を登るところがあるが、ゲーテ も同じように頂上目指して登ったのであろう。今はゲーテ道と呼ばれる道が残さ れている。
私は碑に彫られたゲーテの顔を見ながら考えた。彼はなぜ、この山のワルプル ギスの夜での魔女や男の魔物を描いたのだろうか?
魔女研究の西村祐子さんの著書によると、「ゲルマンの民間信仰では、春を迎 える祭礼として年に一度、鍋や楽器をかついで山に登り、神々への儀式の後、食 べたり踊ったりして日頃の憂さを吹き飛ばしていたもので、それが、異教の神々 を徹底的に追求するキリスト教によって悪魔と魔女のおぞましいサバトにされ てしまった」とある。サバトというのは、悪魔や魔女の宴で、魔物の行進があり、 乱痴気騒ぎ、乱交などがおこなわれるとされている。
私は、当時のキリスト教側の一方的な倫理観によって、悪魔だ! 魔女だ!と 決めつけられた人たちもいたのではないかと思う。ゲーテが『ファウスト』に悪 魔や魔女を登場させたのは、キリスト教の倫理観以外にも、いろいろな考え方や、 行動があり、そんな世界も描いておきたかったからでは、なかったかと私は考え るようになった。
悪魔メフイストに街へ案内された主人公ファウストは、信心深い娘マルガレー テ(グレートヒェン)と結ばれ子供を身ごもらせる。しかし彼女の母親を間違っ て毒殺してしまい。彼女の兄も決闘の末殺す。ワルプルギスの夜から帰ってくる と、彼女は赤子殺しの罪で、牢獄につながれていて、やがて死ぬ。こんな悲劇を 検証するには、キリスト教の倫理観だけでは、律しきれないことをゲーテも知っ ていたのであろうと思う。
帰りの列車の時間が近づいたので、山頂駅に戻った。ここにも売店があって、 絵葉書などを売っていたが、その横に黒いマントをかぶった等身大の魔女のディ スプレイがあった。いや! よく見ると魔女ではない。マルガレーテ(グレー トヒェン)だ。しかしあのやさしい姿ではない。死人の目をして魔の姿となっ てしまっている。そばにポスターがあり、これはこのブロッケン山のホテルの 中のホールで演じられるゲーテ『ファウスト』劇案内のためのものと分かった。 劇では、ワルプルギスの夜、魔女の群れの中にこのような姿のマルガレーテ (グレートヒェン)を登場させる場面があるのである。
この山のホールでの劇を見たことのあるガイドの井口さんによると、開演の 時間に合わせて、山頂に向かう列車のなかで、すでにパフォーマンスが始まっ ており、主人公や悪魔や魔女に扮した俳優たちが、現れ語りかける。そして、 この劇は、今でも大変な人気がある、ということであった。私はブロッケン山 頂で今でも『ファウスト』劇が演じ続けられていることに、ドイツの人たちの ゲーテやこの劇に対する深い愛着の想いを感じた。
山を下る列車の快い振動に、私はつい、うとうとして、眠りかけていた。ふ と気がつくと、私の前に魔女が顔を近づけて、籠を突き出した。わぁ! 太っ た魔女だ! よく見ると列車の女の車掌だ! 今は切符の検札ではなく、籠に 入れた小瓶の酒を売っている。スピリッツ(蒸留酒)にこの地方で作られる果 実やハープを加え、砂糖やシロップで味付けしたものだ。
私は反射的に一〇ユーロ紙幣を渡し、小瓶の酒を籠から取り上げた。そして 栓を回して取り一気に飲み干した。車掌は魔女のように不気味にニタリと笑っ た。魔女たちが鍋で魔法の薬草を煎じて作る忘我状態になる秘薬を飲んだよう に、やがて私は身体中に液体が回るのを感じ、再び眠りにおちいった。
(平成24年8月12日)
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:★:cosmic harmony 宙 平 *−*−*−*−*−* |