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Chuhei
相次ぐ肉弾攻撃の末、大要塞旅順が陥落し、乃木大将とステッセル将軍の会見の行われた
のは、明治38年1月5日のことでした。会見の場には弾痕のあとのいちじるしい、棗の
木がありました。それをテーマにした『弾痕』という小説がありました。
写真はその小説と、アメリカ人従軍記者S・ウオシュパンの『NOGI』です。翻訳の題名は
『乃木大将と日本人』になっています。
『弾痕』
♪旅順開城約なりて 敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の 所は何処水師営
♪庭に一本棗の木 弾丸あともいちじるく
崩れ残れる民屋に 今ぞ相見る二将軍
NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』を見ていて、私は小学校の時に習った「水師営の会見」
の歌をくちずさんでいた。
このドラマは昨年暮れに第一部が終わったところであるが、何故か次は平成22年12月に第二部が
放映され日英同盟や子規の死や日露開戦となり、次いで旅順の戦いや、水師営の会見などが始まる
のは平成23年の第三部になると思われる。
第一部の旅順要塞の戦いは日清戦争のもので、このとき日本軍は一日で占領している。その後、
三国干渉によって清国に返還したところ、旅順港はロシヤ艦隊が占拠して、極東進出の基地となっ
た。それを囲む山の要塞はロシヤ軍によりセメント20万樽を使って固められ、正に永久要塞と化
してしまった。ロシヤからの極東侵略の危機感によって起こった次の日露戦争で、この要塞は乃木
大将の第三軍を最大限に苦しめることになるのである。
短編小説『弾痕』はこの水師営の会見の歌にある「棗の木」の弾痕のことである。著者は杜山悠
先生。平成10年3月に82歳で亡くなられる前、神戸NHKカルチャーセンターで「小説作法」という
講座を持っておられた。私も一年余り指導を受けた。短い小説を書いて参加者数のコピーをとり、
自分で読み上げた。講座のあと、神戸駅のアンパン屋に先生とコーヒーを飲みに行くことがあった。
そんな時『弾痕』の冊子を頂いた。
「日露戦争には、外人記者達が従軍していてね。その中のアメリカのスタンレー・ウイシュパン著 (目黒真澄訳)『乃木』を読んだのが創作のきっかけだよ」と話しておられた。
小説『弾痕』は、二将軍の会見前の外人記者たちの様子からはじまる。ある記者は原稿を書いた。 その一部は次のようであった。
――その残酷なる死屍4万と推測される。 ――将軍は自分の命令によって他人に与える苦悩の代償として、自ら,その大負担と大悲痛の中に 自らを曝していた。
また、将軍は外人記者同士の会話を耳にした。側にいた外国語に堪能な副官に尋ねてその内容が解 った。
「あの二〇三高地を攻撃した日本兵は奴隷部隊だったのか」
あの忠勇無双の兵を、日本の奴隷兵かと見られたことの衝撃は将軍の心に突き刺さったままであっ た。会見が始まった。弾丸でえぐり取られた棗の木を見ていた将軍は敵将の方を向いた。二人の目が 合った。情感が二人の眼をうるおした。会見が終わり,その後、幕僚達は祝杯をあげた。将軍は酒盃 の席から中座して、薄暗いランプの前で、椅子に背をもたせかけて、目を閉じていた。副官が近寄る と「悲しいことだね」といった。また「私は戦争を憎む……」とつぶやいた。
小柄で色の黒い二等卒が,弾丸で傷ついた棗の木の幹を縄で隙間なくぐるぐる巻いて、副木を当て ていた。通りかかった二人の記者が片言の日本語で聞いた。「木の手当をしているのは命令かね」二 等卒はどもりながら答えた。命令はされていない。棗の木がかわいそうだ。それに、この村の人も木 が枯れたら困るやろうしな。自分は百姓をしているので、そう思いましたのであります。
二等卒が駆け去ったあと、「彼は少なくとも奴隷ではない」 一人の記者がいった。「人間だよ、一人のすばらしい人間だよ」あとの一人がいった。
私はこの小説を読んで「水師営の会見」の歌詞も曲も勝った戦いにも関わらず、深い悲しみを感じ る意味が、一層解ったように思った。シカゴニュースの青年記者として第三軍に従軍したウイシュパ ンも『乃木』のなかで「今は喜んでいるときではない。大きな犠牲を払ったのだから」という乃木大 将の言葉を書いている。
NHKのスペシャルドラマ第三部ではこの旅順の戦いをどう表現するのだろうか、私は注目している。
(平成22年1月17日)
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