From
Chuhei
このエべレストの写真は、1995年私がネパールのカトマンズに行った時に
ネパール航空から、私がエベレストを空から見た証明として貰ったものです。
三浦雄一郎さんは1932年10月12日生まれ、プロスキーヤーであり、冒険家として知られて
います。
80歳のエベレスト登頂を目指す (三浦雄一郎さんとの架空対談)
宙平「読売新聞のオンライン『あの人らしく』で、80歳でのエベレスト登頂を目指しておら れるのを知りました。2008年に75歳で登頂に成功されていますが、8848メートルともなると、 この5歳の差は大きいと思います。世界高齢者の登頂記録としても今まで例はありませんが… …」
三浦「エベレストの高さは神様が、人間はここまで来ていい、と決めた限界の高さで、もうあ と100メートル高かったら血液が沸騰し始めるわけですね。これ以上高いところは地球にはなく、 あとは宇宙になっちゃうんです。特に僕の場合は年齢を含めて、人類に要求される肉体の限界 を超えなければならない。そういうぎりぎりの限界に挑みたい」
宙平「しかし、すでにエベレスト登頂2回、そして8000メートルからのスキー滑降、また富士 山頂からの滑降など数々の人間の能力限界ぎりぎりの記録をお持ちです。もうこれからは、無 理のないおだやかな余生を送られるべきだと、意見を言う人もいるようですが……」
三浦「年を取ると周りが「無理するな」とか「お大事に」とか言いますけれど、平均的にそう だとしても、やっぱり無理の利く年寄りって言いますか、夢中になる年寄りっていうか、そう いう存在が高齢者社会でますます必要になってくると思います」
宙平「私なんか、三浦さんの足元にも及びませんが、それでもオリエンテーリングという地図 と磁石をもって、山や丘の道なき沢や尾根などを走り回るスポーツを38年来やっています。が、 私と同年輩の仲間はほとんど止めてしまって、いつの間にか、日本の普通の大会では最高齢者 になることが多いです。昔のように走れませんし、大会に出ると、どんどん若い連中に追い抜 かれて行きます。それに身体の悪い所の手術を2回もして、眼の力も弱まり、時々原因も判ら ずふらふらします。それでも続けたほうが良いのでしょうか?」
三浦「私が65歳近く、1回目にエベレストに登ろうと思った時、完全にメタポでした。糖尿病・ 高血圧・動脈硬化・狭心症・そして不整脈でした。で、どうせ死ぬなら死んだ気でやってみよう と思ったのです。2回目の75歳の挑戦では、ほとんどが心臓病との闘いでした。心臓疾患・不 整脈でしたから、登頂の1年前にぎりぎりに決断し、手術してさらに半年前にも2度目の手術、 それが成功して登れました。『あの人らしく』に書いた通りです。 人間は目標を立てながら、途中でできない理由を一生懸命に考えるものですが、それを乗り越 えなければなりません」
宙平「死んだ気でやる、というのは良くわかります。しかし山で死ぬと他の多くの人に迷惑と負 担がかかるのではと考えると、私の場合だったら踏み切りにくいのですが……」
三浦「そうならないために、リハビリとトレーニングは徹底してやります。私は外出の時の90% は足に重りをつけて、背中に重いザックをしょって歩くのです。片足4キロずつとか、背中には10 キロとか20キロの場合もあります。冬の間は常にスキーをしています」
宙平「私はピンピン生きて、コロリと死にたいと考えていて、同じ思いの仲間とピンピンコロリ 党だといっています。しかし三浦さんにとっては、そんなことは当たり前で、死ぬ前に、長く寝 たきりになってしまう怖れなどは、すでに超越しておられるのですね」
三浦「僕の父親敬三が99歳でモンブランを滑ったときに、一言、今生の別れのつもりで滑った といったのです。そして亡くなった101歳の年まで山岳スキーを楽しんでいました」
宙平「いやー! ピンピンコロリ党の私としては、貴重なヒントを頂きました。スポーツでも、仕 事でも、趣味の活動でも、年齢に関係なく、夢の目標に挑戦することですね。スピードが遅くなろ うが、病気になろうが、それをやめる理由にせずどんどんやる。そのようにピンピン生き抜いてい るから、知らぬ間にコロリとお迎えが来る。私も今、全身がわくわくしてきました。」 {2009年6月4日)
■■◆ 宙 平 |