From Chuhei
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夜来香(イエ・ライ・シャン)
歌謡「夜来香」を、作詞・作曲したのは上海ナンバーワンの新進作曲家といわれていた、黎錦光 (リー・チンクアン)である。日本軍占領下の1944年上海で、庭に芳香を放つ百合型の白い花 「夜来香」を見ながら作詞作曲したといわれている。彼は1907年、湖南省の生まれ、学生時代 には当時まだ無名教師だった毛沢東に教わったといわれている。が、のちの文化大革命では走資派 とされて迫害を受け辛酸をなめた。日中国交回復後は、日本にも来て音楽・映画関係者との交流も 深かったが、1993年、上海で病死している。
那南風吹来清凉 那夜鴬啼声凄愴 月下的花児都入夢 只有那夜来香 吐露著芬芳
我愛這夜色茫茫 也愛這夜鴬歌唱 更愛那花一般的夢 擁抱着夜来香 吻着夜来香
夜来香 我為?歌唱 夜来香 我為?思量 阿阿阿 我為?歌唱 我為?思量
黎錦光はこの歌を作ったとき。中国人歌手に歌わせるつもりだったが、テストの結果に満足いかず、 迷っていた。その時、事務所を訪れた満映 (満州映画協会) のスター女優だった李香蘭(リー・シャン ラン)が歌ったところ、正にイメージ通りの歌唱だったので、彼女の唄でレコード化した。これが空 前の大ヒットとなったのである。
その李香蘭は旧満州瀋陽郊外で1920年生まれ、その後撫順で育つ、本名は山口淑子、日本人で ある。が、父の友人の中国人と名目上の養父養女の関係となり「李香蘭」と名付けられた。1938 年、中国人・李香蘭として芸能活動を開始、満映や中国の映画会社の数多くの作品で一躍有名となり、 またヒット曲も連発した。
私は「支那の夜」や「白蘭の歌」の映画のポスターの李香蘭の姿に、子供ながら「これがあの大陸 の美女か!」と、見とれていたことを覚えている。1941年の紀元節に来日、日劇で「歌う李香蘭」 として出演をした時には、観衆が劇場を7回り半も取り囲む大騒ぎとなり、消防車が放水して観衆を 追い散らしたというエピソードも伝わっている。
ところが、彼女がこの「夜来香」を歌った時は戦争も末期に近づいていた時期であった。彼女出演 の映画作品の中には、当時の中国人から見て違和感を持つものもあり、「貴女は中国人なのに、なぜ あのような映画に出演したのですか? 民族の誇りを捨てたのも同然ではありませんか」と質問され ることもあり、もう中国人女優になりすますことは止めようと満映との出演契約を解除して、川喜多 長政氏(後の東宝東和映画会長)の華映(中華電影公司)に参加するため上海に移り住んだ時だった のである。
その上海にも、市北部の飛行場や南部の造船所に、アメリカ軍の爆撃があり、1945年4月アメ リカ軍が沖縄に上陸するころには、華映の映画製作は全面にストップした。そんな中、「映画がダメ なら音楽会をしてはどうか」という声が出て、丁度その時上海陸軍報道部の嘱託として、上海にわた って音楽活動をしていた服部良一がこのアイデアに飛びついた。そして、上海交響楽団という世界的 な高い水準にある外国人オーケストラを使って李香蘭のミュージカルショウを企画した。歌と曲のメ インは「夜来香」。服部良一はさらにこの曲をルンバ・ワルツ・ブキウキ調ジャズに編曲して「夜 来香幻想曲リサイタル」として演奏し、李香蘭は次々と曲に合わせて歌った。
このリサイタルは1945年6月23日から25日まで、昼夜2回で3日間に及んだ。場所は上海 一豪華な大光明大戯院(グランド・シアター)で行われた。聴衆の90パーセントまでが中国人と租 界に住む白人の外国人だった。連日満員、切符は売り切れて3倍のプレミアムがついた。
この年の6月23日といえば、鉄の嵐といわれた沖縄戦での日本軍の組織的な戦闘が終った日とさ れ、沖縄守備軍最高指揮官の牛島中将が割腹自決をした日でもある。日本の5大都市は殆ど焦土とな り、全国中小都市にも爆撃が向かい、私は勤労動員先の尼崎で、1トン爆弾の落下音に怯え、西宮か らの通勤途上で、艦載機の機銃掃射に逃げ回っていた時期だった。敗戦の1ヶ月23日前である。
私が驚くのは共同租界のあった上海と、いえども、敗戦が迫りつつあったこの時期によく「夜来香 幻想曲」のようなリサイタルが開かれたものだということである。この時の日本陸軍上海報道部の音 楽担当の将校が、ヨーロッパに留学したことのあるテノール歌手だった中川牧三中尉だったことも、 幸いしたのかもしれない。
「夜来香の花は美しく、夜の闇にほの白く浮かび、かぐわしい香りを放っているが、その色も香りも やがて消え移ろってゆく、今のうちに楽しみましょう。花の美しさを、花の香りを!」という想いを 込めて歌われた歌に、熱狂した数人の観客が、誘われるように舞台に上がってきた。李香蘭は歌い続 けながら一輪ずつ花を手渡し会釈した。
そして、8月15日、ビルの屋上にひるがえっていた日章旗は下ろされ、晴天白日旗が掲揚された。 目ぬき通りにもこの旗がひらめき、上海は沸き立っていた。中国人の表情は明るく、歓喜に満ち興奮 で紅潮していた。人々は爆竹を鳴らし、銅鑼を叩いて踊りまくり、日の丸の旗は大地に踏みつけられ ていた。やがて、漢奸(ハンジェン)狩りが行われ裁判が始まった。漢奸とは「中国人で、対日協力、 対日通謀、本国反抗のような反逆罪を犯した売国奴」とされた。
李香蘭は軟禁状態となり、取り調べが進行していた。「李香蘭は12月8日午後3時。上海国際競 馬場で銃殺刑に処せられることが決まった」という記事が地元の新聞に出た。その12月8日は何事 もなかったが、翌年2月中旬、軍事法廷に呼び出された。取調べ経過と戸籍謄本の信用性が読み上げ られ、「日本人であることが証明され漢奸容疑は晴れた。よって無罪」葉裁判長は小槌をトンと打っ た。友人のロシヤ人女性リューバが奔走して、北京の両親のところから取り寄せてくれた戸籍謄本一 通が命を救ったのである。しかし、中国の世論もあり、速やかに出国するよう葉裁判長は指示をした。
早速、2月28日上海の岸壁で日本人の引き上げ者たちと一緒に乗船を待っていた。もんぺを穿き、 髪はぼさぼさにして、目立たぬように列に加わった。最後の荷物検査で顔を見詰めていた女性係官が 指差して叫んだ。「李香蘭!」他の係官も駆け寄ってきて列から引きはがされた。「俺も残る」とい った川喜多氏とともに、収容所に戻されて、この時のリバティ型引き上げ船は出港してしまった。
その後、葉裁判長の取り計らいもあり、港湾警備隊もようやく了解して、引き上げ船は3月末出航 の雲仙丸と決まった。船のタラップを登り船内に入ると、すぐにトイレに入り中から鍵をかけた。広 く顔を知られている彼女はまた「李香蘭!」と誰かに騒がれると、面倒が起こるおそれがあった。ド ラが鳴り、エンジンがかかり、船が岸壁を離れたのを確かめてから、デッキに出た。
港の上空は真っ赤な夕焼け雲だった。その時、思いもかけず船内のラジオから上海放送の音楽が聞 こえてきた。なんと、李香蘭の歌うあの「夜来花」であった。デッキの手すりを握り締めながら、 「さようなら私の中国!」「さよなら李香蘭!」とつぶやいていた。そして九州博多港に着く前日、 甲板で開かれた演芸会で乞われて「これからは山口淑子に戻りたい」と挨拶して、中国語の「夜来香」 を歌ったのである。
佐伯孝夫が日本語に訳詞をして、それを山口淑子が歌って日本でヒットするのは、この帰国から4 年後の1950年1月である。 そして実は、私が「夜来香」の歌を知ったのは、この日本語の訳詞 が出てからであったのである。また日本人の多くがこの歌を口ずさみ始めるのもこの時期からである。
あわれ春風に 嘆くうぐいすよ 月に切なくも 匂う夜来香 この香りよ
長き夜の泪 唄ううぐいすよ 恋の夢消えて 残る夜来香 この夜来香
夜来香白い花 夜来香恋の花 ああ 胸痛く 唄かなし
この日本語の歌詞については、後に山口淑子は著書『李香蘭私の半生』で次のように語っている。 「藤浦洸さんの訳詞は『風はそよそよと そよぐ南風』始まり、佐伯孝夫さんの訳詞『あわれ春風に 嘆くうぐいすよ』ではじまるがいずれも言語のニュアンスやイメージが少し違う。何気ない歌詞で はあるが、戦争に倦み疲れた人心を慰める(清涼とした南風)の感じは原詞にしかない味わいである」
私は原詞の初めのところ「ナー ナンフオン チゥイライ チンリャン」を繰り返し歌ってみた。 そうすると、この歌が中国で作詞作曲され、李香蘭が歌った当時の戦局が思い浮かんできた。この当 時、上海では外国の短波放送が流れていた。それを聞いている中国人たちは「もうすぐ日本は負ける」 と思っていた。神州不滅、絶対に負けることはない、と言っているのは日本の軍人と情報を知らされ ていない日本人だけだった。「戦争はもうすぐ終わりそうだ。南風が風来し清涼の平和が、やがて、 鶯の声、月の光とともに夜来香の香りを運んでくれる」当時の中国の人々の気持ちが、「夜来香」の 歌に響き合い、李香蘭の歌声は上海から中国全土に、そして世界にたちまち広がったのである。私は この歌こそ、日本軍占領下にあって、戦争の終わる喜びの日を待ち望んでいた当時の上海の人々の気 持ちそのものだったと思っている。すぐにこの歌は英語、フランス語、タイ語に翻訳され、日本語版 より早く歌われていた。
《そうだ! あの先の大戦末期の上海、「夜来香幻想曲リサイタル」で李香蘭が歌い、聴衆が戦争の 終わる想いを込めて受け止めた。あの時から今年は70周年目にあたる。みんなで夜来香の英語版を 歌ってみよう》と私は思った。今、私が世話役を勤めている西宮シルバー人材センターの英会話サー クルでは、何かの英語の歌を集まりの後、みんなで歌うことになっているからである。
YEA LEI SHANG
The southern wind is on my cheek The flowers sway and leave me week Weak with the fragrance of you and love Oh Yea Lei Shang Lovely flower of the night
A nightingale on silent wings A mournful song to me she sings She knows the story of you and love Oh Yea Lei Shang Lovely blossom of the night
Yea Lei Shang My heart sings for you Yea Lei Shang May my dreams come true How I kiss your lovely face Hold you here in my embrace
(2015年8月12日)
参考文献 『李香蘭私の半生』山口淑子・藤原作弥著 1987年7月20日発行 株式会社 新潮社
『「李香蘭」を生きて』山口淑子著 2004年12月17日発行 日本経済新聞社
***** 宙 平 ***** |
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