10月20日、西宮北口アクタ東館で行われたシルバーフェアーで日本
の童謡赤とんぼを英語Dragonfliesとして、みんなで歌っているところです。
下記URLをクリックして下さい。これは高利夫さまから提供して頂いた
youtubeです。
ドラゴンフライ
Dragonflies as red as sunset,
back when I was young.
In twilight skies there on her back
I’d ride,
when the day was done.
これは、三木露風の原作詞の『赤とんぼ』を東京在住のアメリカ人グレッグ・
アーウィンが英詞にして歌ったものである。西宮市シルバー人材センターの行事
として今年の一〇月二〇日に西宮北口アクタ東館でシルバーフェア(文化祭)を
することになった。私がマネージャーをしている英会話サークル(同好会)も六
階のセミナー室を借りて、英語で日本の童謡を、誰でもそのとき集まった人みん
なで歌ってみることが決まった。
歌う童謡には、定番の『故郷』My CountryHome. や『紅葉』Dream Autumn
Dreams.『荒城の月』A Thousand Moon.など色々あるが、私は今回この『赤とん
ぼ』Dragonflies,を中心にすることにして、英詩のコピー用紙を多い目に用意した。
英会話サークルでは、月に二回のレッスンの後で、このような英語の歌を歌う
ことになっているが、Dragonflies は長い間歌っていなかったので、本番の日の
前に私は一人で声を出して歌ってみることにした。
Mountain fields in late
November,
long
ago it seems.
Mulberry trees and treasures
we
would gather,
was it
only just a dream.
英語の歌ではあるが、私は声を出しているうちに、段々と童謡『赤とんぼ』の
詩情の世界の中に入っていった。この詞の作者三木露風は、明治二二年六月、兵
庫県竜野町に生まれている。七歳のときに母が家を去り、祖父に引き取られた。
そして、母への恋しい想いをつのらせながら、自分を可愛がってくれた姐や(奉
公女中、子守や家事を手伝った)にも、その想いを重ねていった。三木露風は後
年次のように書いている。
――「赤とんぼ」の中に姐やとあるのは、子守娘のことである。私の子守娘が、
私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼであ
る。――
アメリカやイギリスと戦争を始める前までの頃だが、日本では嫁入り前の娘を
女中奉公に出す家も多かった。これは行儀作法の見習いも兼ねていた。受け入れ
る側の商家などでは、将来の嫁候補に対する家業見習い方法の一つと考えられて
いたところもあった。また一般の普通の家でも、お手伝いとしての姐やを受け入
れていた。
私の昔住んだ西宮今津の家にも女中部屋があり、姐やがいた時があった。目が
くりっとして健康そうなお手伝いだった。私が小学校に入ったばかりの頃だった
と思う。あるとき台所の隅で泣いているので、母が心配して聞くと、私が彼女に
「おんな臭い!」と言ったからだと言うことだった。私にははっきりとした覚え
がなかった。が、思わず言ったのかもしれない。母が「全然気にすることはない
のよ」と本人を慰めていたことを思い出す。そんなことがあっても、私にはやさ
しく接してくれていた。しかし、戦争が進展し生活の様相も変わり、田舎の実家
に帰った。どうしているのか? 私も長い間気にしていた。
Just
fifteen she went away one day,
married
then so young.
Like a
sister lost, I love and missed her
Letters
never seemed to come.
その頃、私の家の周りは酒蔵が取り囲むように建っていて、それが浜のほうに
続いていた。その中の一つ、作り酒屋の娘さんの喜代ちゃんと小学一年の同学年
だったので、酒蔵に続く古い門構えの家に遊びに行ったことがあった。中に入る
と広い広場があり、そこには大きい酒樽を横にしていくつか並べてあった。端の
ほうには水溜りもあり、その周りには雑草が生えていた。そんな広場に赤とんぼ
がいっぱい飛んでいたのである。私は喜代ちゃんと、竹の棒を持って追いかけて
遊んだ。いくら追いかけても、赤とんぼの群れは平気で、ゆうゆうと空に浮かん
でいたように思う。
酒蔵に入ると、麹部屋や保管室のほか、杜氏と呼ばれた男衆が休息したり宿泊
もできる部屋なども多くあったが、其の時は人の気配はなかった。が、どの部屋
にも酒の匂いが染み出ているような空気が漂っていた。
喜代ちゃんと私は奥まった部屋の一つに入り、物干しにあったタオルで、お互
いの身体の汗を拭きあった。自然に二人とも素っ裸になっていた。喜代ちゃんは
真っ白な肌をしていた。その時、たまたま一人の年配の男衆が部屋の入り口に来
て、私たちを見付け「あんたら! そんなところで、なにをしてはりますねん!」
と大きな声を出した。私たちは裸のままキヨトンとしていたと思う。この家の姐
やさんが出てきて「私の部屋で遊びなさい」と自分の女中部屋に連れて行った。
畳敷きの窓の小さい部屋だった。姐やさんが縫い物をしているそばで、私は喜代
ちゃんと裸のまま絵を描いたりして遊んでいたように思う。
私の喜代ちゃんとの思い出は、この時だけになってしまった。小学校三年でク
ラスは男女別に分けられ、戦争が進んでゆくと縁故で田舎へ疎開してゆく児童も
ふえた。そして終戦一〇日前の西宮大空襲は、我が家も喜代ちゃんの作り酒屋の
あった酒蔵一帯もすべて、赤茶けた焼け野原に変え、もう昔の姿に戻ることはな
かった。消息は途絶えたままである。
しかし、私の頭の中には、赤とんぼのいっぱい飛んでいた酒蔵の広場、並んで
いた酒樽、そして、酒のにおいのする部屋、喜代ちゃんの白い身体。姐やさんの
姿などが、いつでも懐かしい夢の世界として、ありありとよみがえるのである。
Dragonflies as red as
sunset,
back when I was
young.
Now in
my eyes when I see dragonflies,
tears are always sure to
come.
今年のシルバーフェアーの日、私は英会話サークルに割り当てられたセミナー室で、同じサー
クルの人と、英語で歌う日本の童謡のコピーを用意して、多くの人を待っていた。
しかし、案内は貼り出してあるものの、六階の奥まった部屋まで、一般の人は
なかなか来てくれなかった。しかし午後二時半頃になると、シルバー人材センタ
ーの会員の人たちが集まったので、口ならしに簡単な『むすんでひらいて』Close
Your Hand, Open
Your Hand などから歌い始めた。しかし次第に人が増え、
Dragonflies
を歌う時には、二四ある座席は一杯となった。みんな年配の会員の
人たちだった。
私も含めて、歌にはあまり上手な人はいなかった。しかし、みんな想いを込めて懸
命に英語の声を出していた。この歌は二時間ばかりの間に何回も繰り返しながら歌
い、新しくコピーを三回も配った。
感慨深く歌っていたその人たちの想いには、昔の緑の濃いふるさとの風景があ
り、その中を赤とんぼが飛び交い、そしてそれぞれの人にとって、懐かしく思え
る人々の面影が浮かんでいたに違いない。
■■◆ 宙 平
■■■ Cosmic Harmony
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