富士登山で台風に遭遇し、死に直面す | |
去る7 月17 日北海道トムラウシ山で、中高年男女十数人が遭難するという痛ましいニ ュースが流れた。遭難死の方々に哀悼の意を捧げたい。 このニュースを聞いて思い出されるのは、今から56 年まえの昭和28 年(1953)夏、会 社の山岳同好会のメンバー8 名で冨士登山をした。今と違い、「登山ブーム」という言葉す らない時代のことで、若者でも余程山が好きな者しか登らなかった頃である。 週末の勤務終了後、大阪駅から夜行列車に乗り翌朝冨士に到着、バスで表冨士2合目ま で行き、そこから富士登山を開始した。(今のように、5合目までのバスはなかった。) 朝から曇っていたが、風はさほど強くはなかった。順調に登山を続け途中で昼食などし て、10 時間以上歩き、夕方には無事予定の8合目の山小屋に着き宿泊したのだが、その頃 から雨が強くなり、山小屋の雨漏りが始まった。山小屋は岩室と云って、小屋の周りに火 山岩を積み上げているので、風には耐えるよううにしてあるが屋根はお粗末である。宿泊 は3パーテイ程であったが、雨漏りのケ所を避けて寝る場所を選び一夜を過ごした覚えが ある。 翌朝雨が納まったので、我々のパーテイも頂上目指して登頂を実行したのであるが、風 が強くなり、体が吹き飛ばされそうになる。雨は下から雲が吹き上げてくるようでヅボン が濡れてきて、寒さで凍てついてくる。雲が霧のようになり、視界が極端に悪くなり先が 殆ど見えない。我々8名は強風に吹き飛ばされないようにロープで繋ぎ、腰丈ぐらいの岩 にしがみ付いていた。しかし体がだんだん冷えてきて、意識が朦朧としかけてきた。今回 言われている“低体温症”である。その時霧の切れ間から、すぐ近くに山小屋が見える! との声に勇気づけられ徐行しながら進んだ。そこは頂上目前の九合五酌近くにある山小屋 であった。九死に一生を得て、ストーブで暖をとらせてもらったが、体温回復まで数時間 かかった。余程体温が下っていたのだろう。 |
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後列左端が私 | 中央奥にいるのが私(雪渓の上) |
そのうち風が納まり、元気をとりもどして、頂上噴火口のお鉢周りをして銀名水・金名 水も通り、最高峰のケルンに立ち、須走道を2〜3時間で一気に下山した。下山して冨士 む駅で登頂してきたことを言うと、「台風の中をよくも無事に帰ってこられたね」と驚かれた。 小型の台風だったのでしょうが、当時は台風予報はあまりなく、通りすぎてから台風が通 過した放送があるような時代であった。 先日の大雪山の遭難ニュースで、私も危なく命を落とすところだったことを思い出した。 完 |
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