病院船
戦時中、海軍病院船として活躍し、最後まで生き残ったのがこの氷川丸です。
現在は横浜山下公園の桟橋に係留され、静かに余生を送っています。
今、日本には病院船がない。そこで、超党派の国会議員の連盟でその建造を推進しようという動きがある。 東日本大震災で医療施設が損傷し、被災者が治療を受けられず、交通網が遮断して、医療従事者が集まるこ とができないなどの事態が起きたことを踏まえてのことである。
阪神・淡路大震災の後にも、海路から迅速に医療サービスを提供する病院船の建造構想が浮上したが、こ の時は具体的な建造計画までは作れなかった。建造には数百億円かかる。平常時はどう活用するか? 例え ば離島での医療活動や、海外での医療支援や災害派遣などのこともよく検討しなければならなかったからだ。
現在、病院船を保有している国は、アメリカ、イギリス、ロシア、中国、ドイツ、オーストラリアなどで、 様々な医療活動に活用されている。
先の大戦中、日本は病院船を21隻保有し、大陸や太平洋地区からの傷病兵を運んでいた。
戦時、病院船を攻撃することは国際法によって禁じられていた。その条件として病院船名を予め相手国 に通告し、船に乗り組むのは軍医、看護師と運行に必要な船員、そして、傷病者だけであり、戦闘員、武 器弾薬の輸送は許されなかった。その上、一般の輸送船と間違われないよう船体は真っ白に塗られ、船腹 や煙突には大きな赤十字のマークが施されていた。夜間航行の際には電飾され赤十字に照明を当てること になっていた。それでも病院船は攻撃されることが、しばしば起こった。
私は戦時中、国民学校で先生からこんな話を聞いたことがある。
「我が日本の潜水艦が敵の船を発見した。『魚雷戦用意!』の命令が下った。発射寸前、潜望鏡を覗いて いた艦長から出たのは意外な命令だった。『発射止め!』発射命令を今か今かと待ち構えていた乗組員は いぶかしんだ。
艦長が口を開いた。「相手は病院船だ。見てみろ」潜望鏡を代わった副長の目に映ったのは紛れもなく 純白の船体と赤い十字の標識であった。『艦長、敵は我が病院船バイカル丸を撃沈しました。今こそ我々 に仇を討たせてください』 部下たちは懇願したが艦長は首を振った。『日本には武士道がある。無抵抗 の病院船を攻撃するのは帝国軍人の取るべき道ではない。もののふの情けを忘れてはならない』艦長は部 下を諭した」
この話は国民学校初等科国語六(五年生相当)の国定教科書に載っていた。が、私には先生の話として印 象に残っている。
しかし、戦争が激しくなるにつれ、次第に日本の病院船も攻撃されたり、機雷に触れたりして沈没し数 を減らしていった。そして、沖縄戦では日本の特攻機がアメリカの病院船コムフォートを攻撃し激突した ということもあった。恐らくまともに眼もあけておられないほど他の艦船から撃ち上げ続けられる弾幕の なかに、飛び込んでゆく特攻機には病院船か、そうでないか、などの判断をする余地はなかったであろう。
戦争末期には、豪州北部の洋上で日本の病院船が米駆逐艦から停船を命じられ臨検を受け、傷病兵に偽 装した兵員と武器を積んでいたところから「国際法違反」で拿捕され、1,562名の日本の将兵は丸ごと 捕虜となる事件が起きた。陸軍病院船橘丸事件である。この捕虜となった部隊の師団長と参謀長は、この 事実を知ったとき自決しているが、それは「国際法違反」の責めによるものではなく、「将兵を無抵抗で 敵の手に渡してしまった」という理由からであったと言われている。
そのようななか、最後まで海軍の病院船としての任務を全うして、生き残ったのが氷川丸である。今は 横浜の山下公園の桟橋に係留され、博物館船として公開され、静かに余生を送っている。私は海軍の復員 軍人として南太平洋地区から帰国した職場の先輩から、病院船の氷川丸を南の前線基地のラバウルで見た という話を聞いたことがある。
「太陽が照りつける紺碧の海に浮かぶ、真っ白な船体は、息を呑むほど美しかった。みんな「白鳥」と呼 んでいた」と、目を輝かせて語っていた先輩の言葉が印象に残っている。
氷川丸は1930年の竣工で私ともほぼ同年輩になるので、親しみが深い。東京に住んでいた頃、横浜 に行くとよく山下公園に立ち寄り、かつて「白鳥」と呼ばれていた頃の姿を想像して「よく生き抜いてき たな!」とつぶやいて眺めていたものである。
日本の病院船はこのように、戦争によって必要となり、陸軍や海軍により運営され、軍隊がなくなると 消滅してしまった。
しかしこれから作られるであろう日本の病院船は、戦争とは関係なく、移動する最新医療の大病院とし て、活動することが求められている。今後必ず起こるとされる大災害対策にも必要となるであろう。
それだけでなく、私は将来の日本の病院船には、さらに大きな展開をすることが大切になると思う。今、 海外の在留邦人数は百十八万二千六百人と言われるが、年々永住者も長期滞在者も増えている。彼らの中 には、日本の医療を望む人も多い。航空機では運びにくい病人もいる。そこで、定期的に五大陸の日本人 の多い港湾都市を回るのである。
それが軌道に乗ってくると、次に世界の人々に日本の高度な質の高い医療を提供するのである。例えば 細胞の再生技術などは日本ならではの最高の水準にある。そのほかガン治療・循環器・内視鏡治療などは 世界屈指のレベルと言われている。そして、それらを行うための「高度健康診断」は病院船の大切な役割 となってくるであろう。
アベノミクスでも、成長戦略の中に医療など先端科学分野の支援を打ち出しているが、これからの本当 の経済の回復には、優れた日本の医療技術・医療機器・医薬品等の世界への進出が欠かせない。その最前 線を受け持つのが、これからの病院船である。
戦争のために使われ、戦争により壊滅した日本の病院船を今やここに、世界の病に苦しむ人たちの救世 主として、大きく姿を変え復活を遂げさせなければならない。
(平成25年3月17日)
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