From Chuhei | |
10月4日の満月の日、私のマンションの東窓にすすきを飾り、電灯を消し月を見て足を組んで座りました。その時の写真です。
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アポロ計画の月面上陸の写真です。 |
月輪(がちりん)自問自答
今年の陰暦8月15日(10月3日)は満月の日である。が、夕方の月は雲にかくれがち
であった。今年は翌日も満月の日である。翌日の夕方は見事な満月が東の空に上がった。
マンション5階の東の窓を開け、すすきを飾り電灯を消し、足を組んで座って月を見つめ
た。雑念湧き上がり私は自問自答していた。
「あの月に人類が初めて降り立ったのは1969年7月、アポロ11号計画だった。あの時は仕 事中だったが思わず月面上陸の様子を放映されたテレビに熱中した。翌年、大阪万博で『月 の石』やアポロ指令船の実物が展示され長い行列を並んで見に行った。あの頃から皆、『人 類の進歩と調和』に輝く未来を夢見て進み出したのではないか」
「たしかに、そうだった。しかしその後1974年になって、『We Never Went to the Moon』 という本がアポロ計画に参加した関連企業の元社員から出され、月面着陸はでっち上げだっ た、という説も広がり少し水を差された」
「しかしなぁ、アポロ計画は月面着陸を目標としてアポロ17号まで打ち上げられ、11号・12 号・14号・15号・16号・17号は着陸に成功したとされる。3人で宇宙船(指令・機械船)に 乗り込んで、内2人が着陸船で上陸するのだが、乗組員は打ち上げごとに全員新しい人を選ん でいる。多くの人が関与しており月に着陸していなければすぐに分かるのではないか」
「あの時は、ソ連との冷戦時代だった。1961年にソ連はすでにガガーリンを載せたポストーク 1号によって有人宇宙飛行を成功させている。冷戦といえども宇宙開発の戦争であった。それ は宇宙を通過する核弾道ミサイルの開発にも通じるのだ。アメリカとしては、もはや地球の周 回を有人で回る宇宙飛行だけでは、この戦争には勝てなくなっていた。このときケネディ大統 領は1969年末までに、月面に人間を着陸させるという演説を両院合同議会でしている。このと きすでに実現性を疑うNASAの関係者もいたという話だ。そして、最初の有人飛行計画では発 射台上で火災が発生し3名の飛行士が命を失っている。アポロ1号と呼ばれるようになった。 月面周回飛行に有人で成功したのは1968年のアポロ8号だった。これは本当だろう。が、その 後の人類の月面上陸には相当無理があるように思えるのだ……」
「だからといって、月面上陸がなかったとはいえないではないか」
「月面で撮られた写真を偽物と断言するイギリスの写真家もいる。多くのおかしな所がある。 例えば空には星が写っていないのは何故か、真空なのになぜ星条旗がはためいているのか、 影の方向がばらばらになっているのはおかしい等々、写真はアリゾナの砂漠で撮られたもの だと主張していた人もいるようだ」
「しかしNASAは丁寧に一つ一つ真面目に反論している。星が写らないのはあの時間帯で地 表に露出を合わせているからだ。真空でもポールを動かす反動で旗は動く、地球上よりむし ろ旗は動きやすい。それがはためいているように見える。また月の砂は強い反射する性質が あり、レフ板のように働き影の方向が出るなどだ。だが、写真については調整技術もあるか らあまり信用できる証拠とならない」
「それは分かった。しかし、国家がある目標を完成させるためには、国民を騙しても一般人の 想像を超える事態がおこることを知らねばならない。あの同時多発テロがテロ対策・イラク 攻撃へ盛り上げを図るために行われたという陰謀説などもそんな素地から生まれている。真 珠湾攻撃でもすでに知っていたが戦争参加を賛同させるために、先に攻撃させたのならこれ も陰謀だろう」
そのとき、かすかにすすきが揺れて月が輝いた。そして厳かな声が聞こえた。 「喝! 直ちにすべての雑念を流し去り、月輪に入れ! 月と合体せよ! 揺れ動く心の働 きを停止せよ! 真実は無想のうちに自ら感得するものであろう!」 (09・10・10)
下記は日本の月面周回衛星かぐやの撮った月面からの地球の出です。
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