スプリント競技85歳台表彰式。私は銅メダルでした。
 
 日本人選手ではスプリント競技で、尾上さんM75金メダル。私がM85銅メダル。
 
   
  
 
 
 スタート直前の私とゴール風景
   

ワールドマスターズゲームズ

 

  ―耄碌(モーロク)ランナー奮戦記― 

 

 

 ニュージーランドに着いて3日目、オークランドの波止場に面した広い体育館の会場で

ワールドマスターズゲームズの参加登録手続きが始まっていた。すでに登録している選手

名を、持参したバーコードかパスポートで本人確認が出来ると、首に下げる選手証、競技

で胸に付けるナンバー、電車・バスが自由に乗れるカード、大会のTシャツと背負いバッ

クが渡された。

 

 この4月21日、街の中心街は選手証を下げてバックを背負った各国の選手たちで溢れ

ていた。そして、夕方から市内のエデンパークで今回の「生涯スポーツの祭典」を旗印に、

28種目、100に及ぶ国の登録選手2万8千人、多くの各国の視察員、そして観客を集

めてワールドマスターズゲームズの開会式が開かれた。

 

 翌日、メッシイ大学のアルバニーキャンバスでオリエンテーリングのスプリント競技

(短距離競技、公園やキャンバスを使用されることが多い)のモデルイベント(練習会)

開かれた。ここにオリエンテーリング競技の参加40カ国、1744名のほぼ全選手が集

まった。日本人選手は49名であった。 

 

 今回視察で参加している、かつての大ベテランで外国選手との親交も多い井上直子さん

の紹介で、私と同じ男子85歳台に出場するフィンランドのペンティ・ポルコーネンさん

と少し話しすることが出来た。彼はスコアバレーでの元オリンピック選手、スキーの距離

競技で6位に入賞している。その後、スキーのオリエンテーリング大会でも多くのメダル

をとっている。奥さんは今回女子75歳台に出場する。彼女も往年のメダリストである。

聞く所によると、今回の男子85歳台出場の北欧勢は、かつてのオリエンテーリング、ま

たはスキーオリエンテーリングのチャンピオンかメダリストが占めているとのことだった。 

 

 今回の男85歳台出場選手10名中7名はその北欧勢、他1名はオーストラリア、日本

からは私と高橋さん、その高橋さんも昨年WMOCスプリント優勝者である。85歳台と

いっても、すごい選手たちが揃っていたのだ。これは大変なことになった。いくら耄碌ラ

ンナーの私でもこれらの選手と戦って、全然かけ離れて歯が立たないというのでは情けな

い。とにかく懸命にやるしかない、と私は思った。

 

 4月23日、いよいよスプリントの予選の日を迎えた。場所はオークランド教育大学の

エプソンキャンパス。指定されたスタート時間は11時4分、6分前にスタート枠に入り、

1分毎に枠を進みコントロール(標識)の位置説明を受け取り、最後にM85の地図を箱

から取り出して走り出すのである。1分前にはM90のオーストラリアのハーマン・ウエ

ナーさんが90歳台とは思えない身軽さで走り出していっていた。

 

 M85予選は距離1・3`、登り16b、コントロール数(標識数)12。大学構内の

建物が複雑に入り込んで迷路のようになっているところを走らせる。私はDまではまず順

調であったが、Eガ見つからない。木の北側という位置説明があるが、木などいくらでも

ある。その付近には他のコントロールが一杯あって番号を確かめていると、今どこにいる

か分からなくなってしまう。このEを見つけるだけで24分31秒もかかってしまった。

それを引きずって次のFだけで12分32秒、あとのGからKは懸命に走ったが、とうと

う1時間を33秒越えてゴールした。なんとか失格にはならなかったが、順位は10人中

7位、後の3人は完走できず失格である。1位はなんと日本の高橋さんダントツ18分1

7秒、2位フィンランドのパティー・ラウリアさん27分59秒、3位ノルウェイのパウ

ル・フォルセさん30分58秒だった。私は落ち込んだが、耄碌ぶりは最初から覚悟の上

である。そして、なんとか完走していたので勝負が決まる明日の決勝に出ることができた。

 

 翌決勝の日、12時27分スタートと決まった。特別に取り寄せてもらった「おにぎり

弁当」を持って、朝食はバナナ2本だけ食べてツアーの仲間とホテルを出た。バスと電車

とシャトルバスを乗り継いで、会場のオークランド大学シティキャンバスへ出かけた。今

日は隣のアルバート公園も使われる。

 

 スタート6分前の枠に入ると、不意に決勝A出場者用のゴールドナンバーを渡された。

急いでピンでナンバーに重ねて胸につけねばならない。私は少し慌てた。スタッフの人が

手伝って胸につけてくれた。枠の順番に追いついて、地図をとってスタートした。

 

 スプリント決勝M85Aは距離1・3`、登り10b、コントロール数14。スタート

は公園から始まる。すぐ@を取って、Aへ向かうが勘違いして少し別のところを探して、

うろたえる。そこへ私の6分後スタートの高橋さんが早くも追いついて私を抜いていった。

慌ててその後に続いてAを取って、道を渡ってBに向かう。Bからは複雑な大学の建物が

迷路のように立ち並んでいる所を走る。CとDを取って、道路の下のトンネルをくぐり東

の建物群の中のE、F、Gと進んだとき、先に進んでいる筈の高橋さん何故か戻ってきた。

どこかで取りこぼしたのだろうか。私は順調に、H、I、Jと進みKに少し手間取った。

植生の角の内側という、位置説明であるが広場の奥の茂みの中の角にあった。L、Mと取

ってゴールした。私は30分22秒だった。

 

 会場で「おにぎり弁当」を食べていると、ツアーの仲間が「3位に入っていますよ、銅

メダル表彰になる」といってきた。成績表は電子表示版に即時一覧表示される。電子表示

版を見にゆくと、ほぼ3位が確定していた。高橋さんはmp(ミスパンチ)と出ていた。

後で聞くとKをチェックせずに飛ばしてしまったらしい。

 

 私の他にOLP兵庫クラブの尾上さんがM75歳台クラスでは日本初となる金メダルに

確定した、と、日本人の選手たちが、ざわめいていた。

 

 M85Aの金メダルは、ノルウェイのパウル・フォルセさん23分、銀メダルはフィン

ランドのパティー・ラウリアさん24分62秒、銅メダルは私の30分22秒となり、そ

して、4位ノルウェイ、5位スエーデンと続き、その後の5人はmpなどのため順位がつ

かず失格となった。

 

 表彰式は午後2時から行われた。年代別に男女一緒に表彰が行われた。私が表彰台に上

がる85歳台の時は名古屋の石田さんから、日の丸の旗を渡され、旗を前に広げて銅メダ

ルを首にかけてもらった。今回はワールドマスターズゲームズと世界マスターズオリエン

テーリング大会とのメダルを2つももらった。そのあとでメダリストだけがかぶるキャッ

プをもらった。この日、日本旅行の競技ツアー専属女性添乗員米村さんが、会場近くで見

つけてきてくれた居酒屋で、ツアー仲間10数人が集まって、ビールとステーキで乾杯し、

私の銅メダル祝賀会を開いてくれた。

 

 私は昔、1982年香港で行われたアジア太平洋オリエンテーリング選手権大会の欧米

人選手相手のロング競技で、銅メダルをもらったことはあったが、耄碌ランナーとなった

今、メダルをもらえるとは思っていなかった。オリエンテーリングを長く続けていてよか

ったと思った。

 

 4月25日、ロング競技のモデルイベント。ゲームの舞台はニュージーランド北島の西

北、タスマン海に面した西海岸地区の森林地帯ウッドヒルフォレストに移った。この日は

各選手それぞれがテレイン(競技地)に入って気楽に練習をした。私のクラスの地図の縮

尺はこれからすべて7500分の1となる。

 

 4月26日と27日の2日にわたりロングの予選が行われた。会場は同じところであっ

たが、それぞれのテレインは異なった。予選1のM85は、距離2・4キロ、登り55b、

コントロール数9。微地形の続く難しいテレインであった。私は@とFで手間取り完走した

ものの2時間35分12秒もかかってしまった。なんと、11人中の10位。

 

 予選2は距離2`、登り50b、コントロール数8。前半は崖のある微地形、後半は広い

平地の森、1時間1分9秒で完走したが、順位は11人中9位。ロング競技で森の中を走る

となると、どのクラスでもそうだが、北欧の選手たちは圧倒的なスピードで、まるで猟犬の

ように駆け抜ける。

 

 4月28日の休息日を経て4月29日はロング競技決勝の日となった。オークランドの中

心地から一番遠い場所のテレインであり、電車の終点から、選手たちを運ぶシャトルバスも

今まで以上に長い距離を運行する。

 

 今まで晴天続きだったこの大会も、遂にこの日になって雨となった。テントのなかで皆き

ゅうくつそうに着替え、スタート時間を見計らって出かけてゆく。スタートの地点まで40

分以上歩かなくてはならないが,一旦テントを出たら、あとは濡れっぱなしである。

 

 私は10時34分のスタート、A決勝用のゴールドナンバーがあったので、私は9番を安

全ピンで止めてつけた。私がスタートした後、8番、7番、6番と一分毎にM85のクラス

の選手が地図をとって、走り出すのである。距離3`、登り70b、コントロール数13。

スタートして、私が沢の@コントロールを見つけたとき、1分前にスタートした10番を

つけた、フィンランドのジュハニ・サイメンキラさんがそこにいて、「オオ、トウキョウ」

といった。スタート前の待機していた時に、彼は私をみて、トウキョウと呼びかけてきた。

日本から来たのかという意味と私は受け止めた。隣にいた人が「彼はかつての有名なオリエ

ンテーリングのチャンピオンだった人です。今は身体を痛めています」と英語で説明してく

れたのだった。私は彼に手を振って先に進んだ。AからBを目指しているとき、私の3分後

スタートした6番の高橋さんが追いついて追い越していった。C、D、Eと進んでFのコブ

の北側、を目指して進んでいると、前方の丘の上で高橋さんがFを探している。どうやらあ

の丘の周辺には見当たらないらしい。と思ったが、私も見つからずに、結局先にある道まで

出て、道の水飲み場から逆に進んで取った。Gから道へ出て、H、I、J、Kと比較的フラ

ットな森を進み、放送の声を聞きながらLを取ってゴールした。1時間32分41秒。11

人中9位だった。競技中降り続けた雨は気にならなかったが、靴の裏には泥がいっぱいへば

りついていた。

 

 この日ロング競技の表彰式があった。M85の金メダルはノルウェイのパウル・フォルセ

さん49分13秒、この人はスプリント競技も金メダルであった。銀メダルはフィンランド

のペンティ・ポルコーネンさん52分5秒、最初のモデルイベントで私が話をした元オリン

ピック選手である。スプリント競技では失敗して失格となっていた。銅メタルはデンマーク

のパール・ベイさん54分25秒、この人もスプリントでは失敗して失格だった。4位はフ

ィンランドのパティー・ラウリアさん58分56秒、スプリント競技銀メダルだった人であ

る。5位は高橋さん1時間7分49秒であった。あの「トウキョウ」と声をかけてきたフィ

ンランドのジュハニ・サイメンキラさんは決勝では完走できなかった。2回の予選では、時

間かけても頑張り通して完走していたのに残念である。

 

 私はスプリント競技でなんとかメダルをもらったが、森林地帯を走るロング競技の、北欧

の高齢選手たちのスピードに改めて驚いた。そして、ロングM85では順位が上がらないの

に、がっかりした。しかし直ぐに自分で自分に次のように言い聞かした。

 

 4年前、イタリア、トリノのワールドマスターズゲームズでM80歳台の競技を全部、完

走した私は、今回、このオークランド大会でもM85歳台の全競技を完走することにより、

次の2021年の日本関西大会では、M90歳台の競技を全部完走する自信をつける。それ

が今回の目標であったはずだ。そして今回、参加したすべての競技は完走したではないか。

これでよいのだ。あと4年、森の中を走れる身体の状況を保って、その日までどうして生き

抜いていくか、真剣に考えるのだ。そして、なんとしても日本での関西大会に出場してM9

0歳台の全ての競技を完走するのだ。それが身体の耄碌しかかっている私の生きる道だ。

 

 4月30日、この日はオークランドの波止場にある広い体育館で、ワールドマスターズゲ

ームズの閉会式が行われた。その体育館の前に、次回開かれる日本関西大会を紹介するブー

スがあって、数人の日本人がパンフレットを配ったり、関西の観光地の説明をしたりしてい

た。そこへ立ち寄ると、一人の人が言った「次の日本関西のワールドマスターズゲームズは

大変な人気です。大盛会になりますよ」そういえば、競技の会場でも日の丸の旗を見て、日

本の大会に行きたいといってきた人たちがいた。私も2021年の日本初の関西大会は、と

てつもなく大きく盛り上がる予感がする。但し、その時まで日本周辺の平和が維持されれば

という条件がつく。

                     (2027年5月9日)

 

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宙 平

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