地震災害と私の関わり

 ここ数年来異常気象とも思える、集中豪雨が地球の上に多くの被害をもたらしています。私の記憶にある災害は函館中部高校時代の洞爺丸台風のあの惨状でした。高校、大学そして社会人となり新潟地震、宮城沖地震そして1995(平成7)年117日午前546分に発生した、阪神淡路大震災です。当時、現役時代で兵庫県西宮市の社宅での遭遇しており家族ともども事なきを得ておりました。勤務していた会社は基礎工事専門の会社であり、耐震設計基準の見直し等が再三の課題でもありました。

 1999117日 兵庫県神戸市中央区加納町の東遊園地において、阪神淡路大震災6434名の震災犠牲者を追悼、被災地の復旧・復興を祈念して始めた、竹灯籠に灯りを灯し竹文字を灯し夜明け前の寒空の中で犠牲者を追悼したのが始まりです。爾来、追悼行事は18年間(震災から22年)開催の責任者としてボランティア活動として関りを持たせていただきました。

   災害と教会のかかわりについて少し述べさせていただきます。
主イエス・キリストは一人一人の重荷を背負って
道を進みます、
と言われています。
砂浜に二人の足跡が一つになる出来事が書かれています。
災害に遭遇した時、人々は何故自分が被災者になったのかと、理不尽な言葉で自らを責め、他人を厩います。これ人間の性かもしれません。あの阪神淡路大震災はある地域では迫りくる紅蓮の炎を前にして、見送った人の人生が追悼の場で聞くことができます。追悼行事を支えている私達にはなすすべさえありません。でも、祈りの場の提供がその人たちに癒しの場につながっているのも確かです。
 宗教は全ての人々に救いと、心の癒しを与えるものではないでしょうか。六甲教会のシスターは私にこのように答えてくれました。阪神淡路大震災後の117日早朝05:46分、教会は毎年祈りの時を持たせていただいています。教会員には被害がありませんでした、しかし、教会の地域の人々に多くの犠牲者が出ています。教会は地域の人々の為にこの日を祈りの場として毎年継続しております。
2011(平成23)年311日 午後246分 東日本大震災発生、その後発生した大津波は25000有余の命と町々を破壊してしまいました。

神戸市中央区東遊園地で開催の「1.17のつどい」で使用した竹灯籠を、宮城県石巻市(2011731日)、宮城県名取市閖上地区 閖上中(2012311日)と毎年311日、815日と訪問支援活動を主催:ひょうごボランタリープラザ・協賛:神戸・心絆(旧神戸・市民交流会)が継続して、開催に参加させていただいています。

   20138月から(名取市閖上地区皆様の仮設住宅)150
世帯
東部住宅へ支援しております。
竹灯籠には津波犠牲者のご尊名(
213/20178月現在)
を書いた竹灯籠
に灯りを灯し追悼式を開催させていただいて
います。
震災から7年目、いまだに仮設住宅は残り、部分的
には空き家も多くなりながら存在しています。
そこで活動
で目につくのは、被災地の仮設住宅等へ足しげく運ぶ多くの
ボランティアの皆様支援です。
命日など若い僧侶団体の一
行が死者を弔いに参加、多くの遺族は涙を浮かべ明日への
希望を求めています。
   
 キリスト者として、与えることの多くはない。しかし、人は人として祈りの言葉を捧げることにより、明日へ
向かう希望の灯りがともされると信じています。
現実のその場で祈ることはそこに集う人たちへの敬愛する思いと、亡き人たちへのメッセージと信じています。