From Chuhei
映画シン・ゴジラにみる想定外緊急事態対応

 今年の11月12日、午後9時からABCテレビで、2016年に封切られた 東宝映画「シン・ゴジラ」の放映があった。この映画は興行収入80億円を突破 する大ヒットを飾り、今年3月に行われた日本アカデミー賞授賞式では、最優秀 作品賞、最優秀監督賞の他、技術部門の各賞も含め7部門の最優秀賞を獲得して いる。総監督は庵野秀明、監督は樋口真嗣、そして長谷川博己はこの映画で優秀 主演男優賞、石川さとみ、市川実日子は優秀主演女優賞となっている。

 私は朝のABC放送の「そもそも総研」番組で、自民党の石破茂元防衛大臣や、 立憲民主党の枝野幸男元内閣官房長官らがこの映画をみて、国家の緊急事態対応 について語っているのを見て、興味を持ちこの映画の放映を見ることにした。

 今まで「ゴジラ映画」は日本とその影響を受けたアメリカで多く上映されてき た。その中でも、いちばん最初に作られた水爆怪獣映画「ゴジラ」をみたのは、 1954年、私がまだ23歳の時であった。海に棲む太古の大型怪獣ゴジラが、 ビキニ環礁の水爆実験で目を覚まし、太平洋上の船舶を襲い、洋上の島に姿を見 せながら、やがて東京湾から上陸し、その強い力で東京の市街を破壊しはじめる。 それに対し防衛隊も攻撃するが銃弾ははじき返され、そのほかのあらゆる攻撃も 無力で、東京は瓦礫の山となってゆく。結末は若い科学者が自分の身を挺して、研 究していた「水中酸素破壊剤」を使い、ゴジラを東京湾に沈め分解する、というも のであった。

 今回の「シン・ゴジラ」はシンの意味に「新」「真」「神」と複数の含みを持たせ ているが、ストーリーのあらすじは、巨大生物確認―東京湾から上陸―東京市街の 破壊―自衛隊の出動―さらなる破壊―化学兵器による鎮圧と、最初に作られた「ゴ ジラ」と同じであった。違っているところは、東京湾の海底に投棄された核の廃棄 物を吸収して巨大化した生物の出現とされているところや、自衛隊で対処できなく なり、アメリカ軍の援助を要請し最後は多国籍軍による核攻撃まで計画されるとこ ろである。そして、結末は行方不明の科学者の残した文書の解読により作られた、 血液凝固液を注入し、核攻撃前にゴジラの凍結に成功するのである。

 私は凍結されたゴジラが、固まって石像のようになり、荒廃した東京の真ん中に 立ちすくんだ形をとどめている姿を見て、廃炉が決まっても、撤去できず立ちすく んでいる福島原発の原子炉建屋の姿との想いが重なった。今回の「シン・ゴジラ」 が作られた背景となる意識の中には、2011年3月11日の東北地方を襲った 大地震による巨大津波と、それにより生じた福島原発の放射能事故があったと、映 画の制作関係者からも語られている。

 東京湾から巨大未確認生物が襲撃してきて口から光線を発射するなどは、全く荒 唐無稽で想定することにも及ばないことであるかも知れない。しかし、東北地方の 巨大津波も原発炉のメルトダウンも、全くの想定外の事態だったのである。この映 画は今の日本にこのような想定外事態が起きたときの、政府官邸はじめ関係部局の 対応について、実際に即して綿密に映写している。庵野秀明総監督は、この点脚本 の細部にもこだわって、首相官邸や危機管理センターに行って取材し、元防衛大臣 だった小池百合子都知事や原発事故当時の内閣官房長官だった枝野幸男立憲民主党 代表にも面接して詳しく聞き取っていた、と言われている。

 ゴジラが東京湾から上陸し、街を破壊し始める。こんな緊急事態に対して、自衛 隊が行動するため、内閣総理大臣はどんな命令を出すのだろうか。命令には、「防衛 出動」「治安出動」「災害派遣」がある。この映画では防衛出動ができるかどうかで 議論となる。防衛出動というのは

 ① 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部か らの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態

 ② 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国 の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白 な危険がある事態、に限られる。それに国会の承認も必要となる。

 ゴジラの攻撃は、はたして外部からの武力攻撃としてみとめられるのか。この映画 を見た自民党の石破茂元防衛大臣は「この点には問題があるのではないかと、抵抗を 感じた」とテレビで語っていた。それでは「災害派遣」か「治安出動」ではどうかと いうことになるが、「防衛出動」でなければ大砲を打ち、航空機で爆撃するというよう な武力を使うことは出来ない。映画では「超法規措置」として「防衛出動」を決定し, 事前の国会承認も事後に回していた。このような超法規措置ができる国家緊急権のこ とは法規には書かれていない。しかし実際問題として、法規に当てはまらない想定外 緊急事態が起こったときに限り私は、この決定をするのもやむを得ないことだと思っ た。そして、このような緊急事態に重要な決定をするのは、すべて内閣総理大臣であ ることが分かった。

 ゴジラが再上陸し、自衛隊も出動し攻撃するが、ゴジラはさらに東京都心に近づく。 問題の深刻さを認識した内閣官房副長官は、楽観論を唱える大臣たちに対し「大臣、先 の戦争では旧日本軍の希望的観測、机上の空論、こうあってほしいという発想などにし がみついたために、国民に300万人以上の犠牲者が出ています。根拠のない楽観は禁 物です」と、釘をさす。政府はアメリカ軍に援助を要請する。ところがアメリカの爆撃 機が猛攻撃を始めた時、ゴジラは飛行物体に反応して、身体から放射熱線を出して炎上 させ撃墜してゆく。そのため、ヘリコプターに乗って官邸から脱出を図った総理大臣と 官房長官がこの熱線の犠牲となり、へりコプターは撃墜されてしまう。立憲民主党の枝 野幸男元官房長官は「この映画の閣僚たちが集まって議論するとこなど、場所の設定や 雰囲気はその通りだが、実際は総理大臣と官房長官が同じヘリコプターに乗ることは絶 対にない」と語っている。確かに、事故対策として、総理大臣と官房長官は移動すると き別れて行動しなければならないのは当然なことである。と、私も強く思った。これは 重要人物移動時の鉄則でなければならない。

 政府は立川に政府機能を移し、臨時に総理大臣代理と官僚を選び、立て直しを図る。 しかしながら遂に、アメリカが主導する多国籍軍がゴジラに、核攻撃を行うことを決定 した。日本には非核3原則(核を使わず。作らず。持ち込まず)があるが、多国籍軍の 決定とあればどうしょうもない。ここにも緊急対応の問題点がある。映画では環境省の 女性の課長補佐が「ゴジラより怖いのは、私たち人間ね」とつぶやく。大変なのは核攻 撃の日までに全東京都民を東京から避難させなければならないことであった。「避難とは、 住民に生活を根こそぎ捨てさせることだ」新しい総理大臣代理は最低でも360万人は 超えるとする膨大な数の一斉避難する人々の数字を見て、こうつぶやいた。

 核攻撃の前までにゴジラを凍結させて、核攻撃を中止させなければならない。そこで、 ゴジラのいる路線上に無人の新幹線をぶつけ、高層ビルを爆破し、ゴジラを横倒しにし て、その口から血液凝固剤を入れることに成功する。緊急事態なら、民間の所有物をこ んなようにして破壊できるのか。今、自民党が提出しようとしている憲法改正草案には、 緊急事態の宣言が発せられた場合何人も国その他公の機関の指示に従わなくてはならな いとある。しかしながら、これは今後議論し、検討されなければならない問題だと私は 思った。

 ゴジラが凍結して立ちすくむ、一面廃墟となった東京都心を見て、「スクラップ、アン ド、ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる」と、首相補佐官が語って、 この映画は終わる。

 確かに、この国は戦火や幾度かの大災害から立ち直ってきた。しかしながら私は今後 も想定外の緊急事態に直面する可能性は極めて高いと思っている。それは地球環境の変 化が進んでいること。そして、北朝鮮のような核保有国が増え軍事衝突危機が高まって いることがあるからだ。過去の記録を超える大豪雨、大洪水、巨大竜巻、大地震、巨大 隕石火球の落下、大噴火、そして、高高度核爆発による電磁パルス攻撃、それによる広 範囲の通信機器の破壊、大規模なサイバー攻撃、毒ガス弾のミサイル攻撃、日本海沿岸 原発の攻撃によるびわ湖の広範囲放射能汚染、放射能日本難民の発生、などは今ではも う想定の範囲内としなければならない位、現実味を増している。

 これらを超える想像がつかない緊急事態もいつかは必ず起こる。映画シン・ゴジラは そんな時、行政はどう対応するかについての、シミュレーションの一つを示しているも のだと、私は思ってこの映画を見ていた。

(2017年11月27日)

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宙 平
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