捕虜第一号
昨年の12月8日、NHKが「日米開戦への道」というテレビ放送を特集していた。それを 見ていた私は、72年前の昭和16年のその日を思い出していた。
私は国民学校4年生ではあったが、強力な大国と戦争する不安と緊張で、一杯になりながら ラジオ放送を聴いていた。
行くぞ行かうぞ ぐゎんとやるぞ 大和魂だてぢゃない 見たか知ったか底力 こらえこらえた一億の かんにん袋の緒が切れた
さうだ一億火の玉だ 一人一人が決死隊 がっちり組んだこの腕で 守る銃後は鉄壁だ 何がなんでもやり抜くぞ
進め一億火の玉だ 行くぞ一億どんと行くぞ
私は、当時ラジオから流れていて、今でも頭に染み付いているこの歌を、久しぶりに声を出 して歌ってみた。そのとき歌に刺激されたのか、脳の中のレビー小体が動き始めた。
9人の若い海軍軍人の幻影が現れて私の周りを取り囲んだのである。
《あっ九軍神だ!》ハワイ真珠湾攻撃のときの特殊潜航艇乗組の9人である。何もいわずまっ すぐに前を見つめている。その幻影が消えると、老年だが背筋のまっすぐな一人の男性が現れ た。そして話しかけてきた。
「先ほどの歌のように、こらえこらえた一億のかんにん袋の緒が切れたからといって、戦争を してはいけないのだよ」
「はぁ?…… ああ! 貴方は酒巻和男さんですね。昭和24年、『捕虜第一号』を書かれて、 ご自分の乗られた特殊潜航艇によるハワイ真珠湾攻撃の体験、そして捕虜になった経過と、そ の状況を明らかにされた……」
「特殊潜航艇は2人乗りだった。それが5隻、伊号潜水艦に1隻づつ搭載されて、オアフ島沖 まで運ばれて攻撃した。だから、攻撃隊は10名だ。一人だけが捕虜になり、生き残ってしま った、それが私、海軍少尉の酒巻だ。亡くなった9名は九軍神といわれた」
「たしか、昭和17年3月6日、の新聞一面に大きく写真入で9人の特殊潜航艇攻撃隊員の名 誉の戦死が伝えられたのを、私は読んだ覚えがあります」
「私が捕虜になったことが、アメリカの新聞に出たのだよ。それを日本海軍は知って、日本で は私のことは一切隠して発表したのだ。帰ってこない10名の消息の確認には3月6日までか かったのだね」
「あの攻撃前の12月6日、貴方の潜航艇のジャイロコンパスが、動かなくなったのですね。 そんなときは、出撃を中止するわけにはいかなかったのですか」
「水面下を進む潜航艇のコンパスが機能しないと、盲目走行になる。潜水艦の艦長も心配して どうするか聞いてくれた。私としてはここで出撃を中止することは出来なかった。艇付の稲垣 二曹も出撃を同意してくれた。12月7日午後11時発艦、真珠湾口までの10マイルを潜望 鏡のみを頼りに進むことにした」
「ここから、悪戦苦闘がはじまるのですね」
「見当をつけて舵を中央にしたまま進んだのだが、実際は大きくカーブしていて全く逆の方向 に行っていることが再三あって、進むのに時間がかかりすぎた。敵の駆逐艦2隻が湾口を守り、 監視走行をしていて、潜望鏡を出して近づくと、すぐに爆雷で攻撃してきた。一時は艇の真横 で爆発し、大きく揺れ、内部も被害を受け煙が出た。深くもぐって修理した。その時はすでに 開戦時間をはるかに過ぎていた。潜望鏡で湾内を見ると、大黒煙がすさまじい勢いで上がって いたので、航空部隊が攻撃に成功したことがわかった。それから湾内目指して進んだが、さん ご礁にぶつかり座礁した」
「ハワイに旅行したときに、私の乗った旅客機が着陸のため、かなり低く真珠湾の上空を越え たことがあります。湾口はかなり狭く、複雑なさんご礁がありました。よくあんな狭いところ を進んで攻撃する計画を立てたものだ、とその時思いました」
「結局、そのさんご礁で幾度も座礁して、後退離脱を繰りかえすことになり、とうとう魚雷発 射装置もいかれて、2本積んでいる魚雷も発射できなくなった。再起を期しましょうという艇 付きの言葉もあって、ラハイナ島最先端の集合地点に向かうことにした。途中島影が見え海岸 も近いように思えたところで、艦の爆破装置に点火して海に飛び込んだ。先に脱出した艇付き は泳いでいたがやがて見えなくなった。私は最初懸命に泳いでいたが、力が尽き仰向けになっ て浮かんだ、そのまま意識が遠ざかった」
「そして、海岸に流れ着いて倒れておられたところを、米兵に捕らわれるのですね」
「屈強の二人の米兵に両腕を掴まれ、身動きが出来なかったので、今は随いていってやるが、 あとで堂々と死んでやろうと思った」
「死んでやろう! 死ななければならない! というお考えから、変わってこられたのには 何があったのでしょう」
「私は海軍兵学校に入学以来、教育されてきた強力な軍人精神が、信念の中に食い込んでいて そう簡単に変わらないと自分で思っていて、本気で死ぬことを考えていた。が、現地で抑留さ れた邦人と一緒に収容所にいて、色々な情報を聞くようになった。例えば真珠湾攻撃の午後、 海上の軍艦が自分の国の海岸めがけてしきりに砲撃していたと言う話だ。これは我々の特殊潜 航艇が砲撃されていたということである。そして8日の夜、アリゾナに大爆発がおこり止めを 刺したという目撃談。これは湾内に潜入出来た特殊潜航艇による唯一の実戦果だと分かった。 このような情報や、そして、戦争はどうなったのかを知りたいという気持ちが高まってきた」
「ハワイからアメリカ本土各地の収容所に行かれていますね」
「ウイスコンシン州マッコイキャンプから、テネシー州フォレストキャンプと移り、邦人の収 容者と一緒に過ごした。彼らは自主的に学校を作り、英語、地理、農業、仏教、神学の講義を していた。私はそれらを聴講し、彼らと共に暮らすうちに、明らかに変わってきた。それまで の日本独特のイデオロギーやミリタリズムに対する再検討のメスを入れるようになった。私は それを捕虜になっての再生と呼んだ。死の希求から生の肯定へと明確に変わって行った」
「やがて戦局が進んでゆくと、日本軍人の捕虜が送られてきて、その数も増えて行くのですね」
「ルイジアナ州リビングストンキャンプに移り、しばらくしてからの昭和17年11月15日、 私はその捕虜たちと合同した。ウエーク島監視艇員2名、東京空襲監視艇員(昭和17年4月) 4名、アリューシャンでの潜水艦員5名、ミッドウエー海戦「飛龍」機関員36名、「三隈」 乗組員2名だった。その後、再度マッコイキヤンプに移ってからはアッツ島の陸軍兵30余名 が加わり、昭和18年末からは西南太平洋方面からマラリア病の捕虜が大勢加わったこともあ った。昭和19年になるとサイバン方面から続々と下士官や軍属が来た。その後、加速度的に 増加し、マッコイキャンプの捕虜数は2千人を超えていった」
「戦陣訓『生きて虜囚の辱を受けず』という考えからの脱却を、それらの捕虜全員がするのは大 変だったのではないですか」
「古い者と新しい者、階級の違い、陸軍と海軍、捕虜になったときの経過、などそれぞれ違うの でまとめるのは大変だった。私が最初に捕虜の指揮官になったとき、次のことを皆に話しをした。 まず、最前線で勇敢に戦った私達が、捕虜になったからといって、何の理由があって非国民とな り死ななければならないのであろうか? ジュネーブ条約において、捕虜の保護されるべき権利 は定められているということを知らなければならない。そして次に、戦闘員から非戦闘員になっ た以上、国際条約に基き、戦闘的暴力は避けねばならない。その上で、日本人として、立派な団 体としての捕虜生活を作り上げてゆく、さらに、新しい世界を建設する世界人としての垂範者に なろうではないか、と……」
「敗戦後帰国されたのは、昭和21年1月4日だったのですね。貴方はその年の5月に愛媛県佐 田岬半島の三机に行かれ、いわみや屋旅館で2泊さていますが、そこには思い出があったのです か?」
「三机には特殊潜航艇の訓練基地があって、開戦前はここで、戦死した9人の仲間と一体になっ て、激しい訓練に明け暮れていた。いわみや旅館はその休息所だった。ここには女将はじめ4人 の若い女中さんがいて、油だらけの訓練服の洗濯から、クリーニングまでやってくれた。夏の間 は当時18歳の娘さんの岩宮緑さんも、東京から帰っていて皆の憧れの的だった」
「緑さんの話として、先任搭乗員の岩佐中尉が旅館を去る最後の夜、「世が世であればね。もう 少し早く貴女を知っていたらね」と語りかけたということですが……」
「本当だろうね。岩佐中尉は彼女の面影を心に抱いて出撃したと思う。私はこの旅館の思い出の 部屋で、戦死した仲間の冥福を祈り、軍人であり、捕虜であった自分とも決別して、新しく次の 人生に進むことを決めた」
「貴方はトヨタ自動車工業に入社、家庭も持ち、その後、現地法人トヨタ・ド・ブラジルの社長 を勤められ、ブラジルの地でも活躍されました。そして、平成11年11月29日、81年の生 涯を立派に終えられました。貴方のこれまで生きてこられた心の支えはなんでしたか?」
「それは、人間の尊厳だね。戦争・軍隊・捕虜、などは尊厳が踏みにじられやすい。だから先ほ ど貴方が歌っていた歌のように、堪忍袋の緒が切れたといって、戦争してはだめなのだ。私の信 条は戦わずして勝つ、常に国の成長脱皮を戦わずして勝ち取ることだ。そしてお互いの共存共栄 を図るという理念を粘り強く推し進め続けることだ……」
彼の姿が薄くなり、声も小さくなり、すっと消えた。その途端、私の頭の中にまたもや昔歌っ た歌が響き渡った。
あの日旅順の閉塞に 命捧げた父祖の血を 継いで潜った真珠湾 ああ 一億はみな泣けり 還らぬ五隻九柱の 玉と砕けし軍神(いくさがみ)
(平成26年1月3日)
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:★:cosmic harmony 宙 平 *−*−*−*−*−* |