絶対完走して生還する   宙平氏  平成19年8月18日投稿
From Chuhei
 
今回のフィンランドWMOCの90歳台優勝者、92歳のエリッキさんです。
 
 
 
表彰台上のエリッキさんと、女子85歳台優勝のノールウエイのリリアン・ロスさんです。
 
   
                              フィンランドのスキー兵です。
 
 
最終コントロールからゴールへ向かうランナーと走り終わった私です。
 
  
 
 
 

 

絶対完走して生還する    

 

 

 

 私の参加した、今回のWMOC(世界マスターズオリエンテーリング選手権大会)

はフィンランドの北の町、クーサモ・ルカで行われ、三五ヵ国、四四五〇人を集め、

三五歳台から九〇歳台まで、五歳刻みにそれぞれ男女別のクラスを設けて行われた。

 

 それに続いて、私は同じフィンランドのクーサモからバスで六百キロ南南西に一〇

時間かかって行ったカンカンパの町で、FIN5(フィンランド五日間オリエンテー

リング大会)にも参加した。それは、七月一五日から二十日まで開かれた。クラス別

けは、十歳から八五歳までの、男女別五歳刻みが原則であったが、若いクラスでは、

それにエリート、ロング、Aクラスなどが付くクラスもあった。国別参加者数などは

公表していないが、これは毎年行われるフィンランド最大の大会であった。

 

 WMOCでは競技は三日(ミッドナイトサンレースを別として)、FIN5では五

日、私には通算八日の戦いであった。

 

 私がその八日間を通して、最も関心を持った参加者は、昨年のオーストリアのWM

OC会場で言葉を交わしたことのあるフィンランドのランタモ・エリッキさんだった。

 

 彼は森を突き進む恐るべき九二歳のランナーである。WMOCでは予選一日目、四

五分一七秒、二日目、四四分二〇秒、決勝、四一分四八秒で、直線で測れば二`のコ

ースながら昨年に引き続き、八五歳台にも劣らない時間で九〇歳台の優勝をしている。

 

 彼が会場にゴールして来るときは、放送の声が一段と高くなる。すると会場にいる

人達は一斉にゴールラインへ駆け寄る。そして歓声と拍手の中を、エリッキさんが元

気な足取りで走り込んでくるのである。彼はまさにフィンランドの英雄であった。

 

 彼は若いときから、スキーオリエンテーリング大会でも、何回も優勝している。そ

して、あの二次にわたる、ソ・芬戦争に参加して戦傷も負っている。

 

 ソ連軍の侵攻によって一九三九年に始まったこの一次の戦争は、冬戦争と呼ばれ、

フィンランド軍の白い服装のスキー部隊が活躍して、その戦いは「雪中の奇跡」と

して世界から注目された。また森林に精通した兵達により、ソ連軍を森の中で包囲

するモッティ戦術は大いに効果を発揮した。しかし一九四一年に始まった二次の継

続戦争では、ナチスドイツと密約を結び、ドイツ軍を駐留させ共にソ連と戦ったた

め、ドイツが敗れるとフィンランドは、この大戦で連合国側に対し負けた方の枢軸

国側とされ、カレリア地方などを失い、現在でも日本やドイツ等と一緒に国連では

敵国条項に含まれている国となっている。今、フィンランドの各地の教会の墓地に

は当時の戦没兵士の像が立っているところが多いが、マントを深くかぶって淋しそ

うな像がほとんどなのは、この辺にその理由があるのかと思われる。

 

 オリエンテーリングの原型は、北欧の軍隊で行われている斥候兵の訓練とされて

いる。そして、すでに一八九七年には北欧ではスキーのオリエンテーリング国際大

会が開かれていることなどを思えば、九二歳のエリッキさんはじめ、八五歳・八〇

歳・七五歳・七〇歳台などの北欧のオリエンテーリング参加者には、歴史に裏付け

された筋金が入っているように思えてならない。

 

 ところが、FIN5の三日目、遂にあのエリッキさんがフォールダウンした。F

IN5では彼は八五歳台クラスを走っていたが、この日、九ヶ所のコントロールの

うちの六番コントロールをチェックできなかった。彼は、FIN5一日目、三・〇

`を五八分一二秒、二日目二・八`を四七分四一秒と快調に進んでいたのである。

この日も二・〇`を三三分〇六秒でゴール到着しているから、コントロールを探し

回って時間がかかったということは無いであろう。おそらく、他のクラスの違うコ

ントロールを間違ってチェックしたに違いない。こんなことは良くあることだが、

ミスはミスである。一日でもフォールダウンすると五日間の通算完走者から省かれ

てしまう。エリッキさんは残念がっているだろうなと思うと、九二歳のランナーと

して彼を尊敬し、また励みとしていた私の胸も少し痛くなった。

 

 私は昨年WMOCの七十五歳台に参加したとき確かに、何とか上位に入れるので

はないかと期待をしていた。しかし私の実績ではヨーロッパの参加者と森の中での

走力と時間を争っても、無理だということを認識せざるを得なかった。それではど

うするのか?

 

《絶対にこの八日間フォールダウンしない!毎日全コントロールを完走して生還する》

 

 私は今回これだけを課題とした。フォールダウンをしないためには、絶対正しい

コントロールを見っける。間違ってチェックしない。迷って行方不明にならない。

いわゆるDNF(フィニッシュ出来ない)を避けねばならない。また時間を幾らか

けても良いものではない。DNQ(時間切れ)では完走にならない。そして、いよ

いよ私の八日間が始まった。

 

 第一日(WMOC予選一)七月一〇日。

 

 朝からの激しい雨、会場の広場は泥の田圃のようになった。私は仮設レストラン

のテントの中で着替え、そこへ荷物も置く。雨対策として日本のごみ袋に首と手を

出す穴を開け、それを被ってスタートへ向かう。物凄く寒い。直線距離三・五`、

コントロール八、コンパスの方向だけを頼りに森を進み、湿地と沼を渡る。迷った

ところもあり、走るスピードは遅いが、全く現在地を見失うことは無く完走した。

六〇人中四二位。一時間一一分二三秒。この日、日本人仲間のうち七十歳台クラス

のベテラン石田さんと悴田さんは残念ながらフォールダウン。

 

 第二日(WMOC予選二)七月一一日。

 

 雨は上がったが曇り空、会場は昨日よりさらに北東の牧草地。距離三・三`、コ

ントロール九、A番の「岩崖」が見つからず。ここ一箇所だけで五二分三七秒もか

かってしまう。普通ならここで、あきらめて帰ってしまうところだが、辛抱して探

しぬいて何とか完走、ヨレヨレになって生還。六〇人中五三位。二時間二分二八秒。

 

 第三日(WMOC決勝B)七月一三日。

 

 予選の結果、AとBに分けられ、Bの二・八キロ、コントロール一〇のコースを

走る。後で考えるとなんでもないBの「凹地」とCの「蟻塚」で手間取ってしまっ

た。残念であるが、何とか完走して、五二人中四三位。一時間四二分二三秒。日本

人仲間七〇歳台クラス古賀さんこの日遂にフォールダウン。

 

 第四日(FIN5の一日)七月一五日。

 

 フィンランド南部カンカンパに移動した。大会の会場は五日間同じ牧草地の広場

となり、毎日バスで町から通うことになる。しかし競技のテレインは毎日違い、ス

タートへ歩いて向かう方角も違う。当然地図も毎日違う。

 

 この日も雨、そして岩だらけの地形と、沼地に悩まされる。本当に頼りになるの

はコンパスの針だけというところで、諦めずねばって、やっと完走。九コントロー

ル。三・一キロ。一時間二一分五六秒。二一人中二一位。加世田さんは、この日前

半のコントロール見付からずフォールダウン。順位はともかく、私も気をつけない

と、悪魔のように積み重なる岩山と、膝まで入る沼地にのまれて、自分のいる地点

を見失いそうである。

 

 第五日(FIN5の二日)七月一六日。

 

 コントロール一〇のコース、三・三`、相変わらず岩と沼が続く、Aの「岩」も、

Bの「岩崖」も通り越して、気が付けば地図の南端の広場まで来ていた。コンパス

を振り直して戻る。こんな事をしていると、時間がかかって、順位が下がる。二時

間四九分二六秒。二一人中の一九位。この日、同じホテルで同室の七〇歳台の磯部

さんが遂にフォールダウン。そして悴田さんも……残念である。

 

 第六日(FIN5の三日)七月一八日。

 

 毎日会場へバスで行き、ゴールするとまたバスで街に戻り、ホテルでシャワーを

浴び、洗濯をする毎日である。朝の食事はホテルの簡単なバイキング。昼はその朝

のパンを持ち出して会場で食べる。夜はイベントセンターの食堂か、近くのピッザ

の店か、またはスーパーでサンドイッチ、ハム、野菜などを買って食べる。しかし、

七月一七日は競技が無かったので、同じホテルの仲間五人と、カンカンパから西南

六〇`のポリの町へ一般のバスで行く。ここではジャズフェステバルの最中だった

が、さらに別のバスで海鮮料理を求めてボスニア湾の海水浴場まで足を伸ばす。こ

の日は快晴、久しぶりに夏の気分になった。

 

 しかし、一八日は再び雨模様、この日は距離が短く二・一`。八コントロール。

五十分四二分。私は上手くやったと思ったが、順位はやっぱり二五人中二二位。七

十五歳台といえども、私のこのクラスはみんな足が早い。

 

 第七日(FIN5の四日)七月一九日。

 

 この日は二・九`、七コントロールだが、Aの「岩」からBの「岩と岩の間」ま

で一`もある。コンパスを構えて慎重にゆっくり進み、ようやく完走する。一時間

二三分三九秒。二二人中の二〇位。この日、同じホテルの仲間、足の速い六五歳台

の宮田さんが遂にフォールダウン。途中うっかりコントロールを一つ飛ばしてしま

ったらしい。気付いたときは、もう戻ることが出来なかったそうである。宮田さん

はこの日川を渡るのに、胸まで水に浸かって泳いだらしい。ずぶぬれで帰ってきた。

 

 いよいよ、後一日となった。今まで何とか完走を続けている。最後まで絶対完走

して生還することを改めて自分で確かめる。

 

 第八日(FIN5の五日)七月二十日。

 

 最終日は緊張していたからか、スタート場所の近くで、トイレが出来るところを

探していたら、スタート時間を五分オーバーしているのに気が付いた。あわててス

タートに駆け込むと私のゼッケンを見た女性のスタッフが「ユアー レート!」と

叫んで、すぐにスタートさせてくれた。勿論、遅れた時間は加算される。@の「岩

崖」はすぐに見付かったが、そこから慎重に行ったはずの、Aの「岩崖」が見付か

らない。そこらへんを闇雲にウロウロしてしまう。これが一番悪い行動だ。このま

まだと、フォールダウンになってしまう。《一旦元の@の「土崖」へ戻ろう》と思

った。コンパスの北と南を逆にみて、戻り始めたが、これがなかなか難しい。地図

の何処にいるのかさっぱり分からなくなってしまった。《落ち着け》南の方を見る

と、人々が定期的に岩の上を駆けていくのが見える。《あれはスタートから人々が

分かれて駆けて行っている。初めのスタート場所が近いのだ》そちらに近づくと私

が@に向かったときに越えた小川に出た。そしてようやく@の岩崖に戻った。再び

Aに向かいコンパスを構えた。しかし今度は少し右よりの湿地から行くことにした。

再び私がウロウロした場所に出た。が、今度はコンパスの針の示すまま、大きな岩

山を登ることにした。前のときこんな岩山には無いだろうと思い込んでいたのだ。

そうするとなんとそこにAがあった。ここだけで四三分三八秒もかかってしまった。

この日のコントロールは八。距離三・〇`。時間は一時間五三分五七秒になった。

二三人中の二二位。最終日ぎりぎりの完走であった。FIN5の五日通算では、二

七人中の一七位、このクラス全完走者の末尾である。

 

 こうして、フィンランドでの競技の八日間が終わった。全部完走して生還は果た

したが、私は未だ森の中の岩と沼に十分に対応できていないことを実感した。地図

からのイメージと実際の格差による、私の間違った思い込みのために、遅くても五

分でいける一つのコントロールに二十分から三十分もかかってしまったことが多く

あった。第二日と最終日には、一箇所に五二分三七秒とか、四三分三七秒もかかっ

た。これは正に柔軟性にかけた私の思い込みの間違いである。走るのが遅くなった

とぼやく前に、私にはまだまだ、時間を短くする方法が残されているのだ。

 

「目標を定めて進む」これはオリエンテーリングの定義である。

 そしてコンパスの示す方向へ一目散に進むのであるが、その間に如何に多くの間

違った思い込みや、判断のミスが割り込んでくることか? これを柔軟な頭で正確

に取捨選択して、その上での強い信念を持って素早く突き進まねばならない。そし

て、このことは、人々が強い意思を持って生きていく上のすべての行動に通じるこ

とである。

 

《まだ、海外でのオリエンテーリングを止められないなぁ!》という思いを強く

残して、七月二一日、私はフィンランドを去った。

 

 

 


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