映画「北辰斜にさすところ」   宙平氏  平成20年1月24日投稿
From Chuhei
 
 
映画『北辰斜にさすところ』のスチール写真と鹿児島七高寮歌の一番の歌詞です。
 
      

  
 
 
 
この映画の主人公のモデルとなった90歳の鹿児島の昇勇夫医師の新聞の記事です。
 
 
  
 
 
 

  映画「北辰斜にさすところ」

 

 

 今年の一月二〇日、日曜日ではあったが朝一〇時前に映画館「テアトル梅田」に出かけてみると、

長い行列が出来ていた。ほとんどの人が一〇時一〇分から始まる「北辰斜にさすところ」を観るため

で、私の後ろ一人で満席となってしまった。座席も一番前の首の痛くなる場所だった。こんな人気は

想像もしていなかったので、少し驚いた。

 

 この映画は現在大阪で弁護士をしている廣田稔氏の、今の学校教育のあり方に対する疑問から生ま

れた。映画の公式プログラムによると、広田氏は第七高等学校の後身である鹿児島大学の出身である

が、システム化され、功利を追う現代の学校教育に比べ、昔の旧制高等学校には、自由と自冶、真理

を求める純粋な理念、学問を尊ぶ誇り高き精神があったのではなかったか? と考えた。そこで知人

の劇作家・作家として知られる室積光が、その意を受けて卒業生三十人に取材し、七高と五高の野球

対抗戦をベースに、原作となった『記念試合』(小学館刊)を執筆した。

 

 主役のモデルとなったのは、現在も鹿児島で「産婦人科のぼり病院」の会長を努め、九〇歳で現役

でもある昇勇夫医師。昭和一六年から終戦まで軍医中尉に任官され、中国における悲惨な戦禍を目撃

した歴史の生き証人である。また、この主役を映画で演じるのは、自身も中国への出征経験を持つ三

国連太郎。彼が所属した部隊の総数は千数百人だったが、前線から戻り再び祖国の土を踏めたのは数

十人だったという。また監督は筋金入りの反戦派監督といわれるベテランの神山征四郎である。

 

 映画は七高造士館寮の学生たちが「北辰斜に」の寮歌にあわせて踊り狂うファイヤーストームの場

面からはじまる。北辰というのは北極星のことだ。鹿児島では北辰が低く斜めに見えることから、寮

歌の歌詞になっている。

 

 主人公の上田勝也(三国連太郎)は東京で開業医を営んでいたが、今は息子(林隆三)に代を譲っ

て、野球に打ち込む高校生の孫(林征生)の成長を楽しみにしている。

 

 昭和一一年、若い勝也(和田光司)は希望に満ちて七高の門をくぐった。旧制高校は全寮制である。

寮長の草野(緒方直人)は新入生に一喝する「天才的な馬鹿になれ、馬鹿の天才になれ!」これが、

薩摩藩士の流れを汲む教育理念であった。しかし、勉強も懸命にした。消灯後もローソクを囲んで勉

学した。ドイツ語の授業なども真剣に取り組んだ。寮生活は寮生同士のストームあり、寮生の旅行あ

り、ぎこちない初心な恋もあった。

 

 勝也は野球部の豪腕ピッチャーとなり、キャッチャーの西崎(田中優樹)と生涯の友となる。また

弟の勝雄も七高野球部のエースだったが、やがてその後、京大へ入り学徒出陣で特攻兵として戦死し

た。勝也も九州帝大で医学を学び、軍医として南方に派遣される。そこで瀕死の戦傷を負った草野に

再開し手を握り合うが、厳しい戦況は草野を置き去りにせざるを得ない状況となる。

 

 後年、勝也が指宿の海に向かって「帰ってこれない者がいっぱいいるんだ」とつぶやく場面は心を

打つ。

 

 そして平成一四年。かって因縁のある伝統の対戦といわれた、七高対熊本の五高の対抗野球戦百周

年を記念して、それぞれの旧制高校を引き継いだ鹿児島大学と熊本大学の野球部で試合をすることを、

両方の高校OB会の有志が中心となって決める。その場所は上田勝也の出身地でもあり、鹿児島と熊

本の中間にある人吉の川上哲治記念球場と決まる。

 

 この「記念試合」のために両校のOB達がその準備や声援体制作りに盛り上がり、いよいよその日

を迎える。最初は渋っていた勝也も、亡くなった西崎(織元順吉)の写真を抱いた未亡人(佐々木す

み江)と球場に駆けつける。勝也の孫も今は鹿児島大学のピッチャーとして出場し、試合は一層に、

熱を帯び進行していくのである。

 

 この映画で主人公のモデルとなった、昇勇夫医師は旧制高校時代の三年間について、次のようにい

っている。

 

「少なくともこの三年間はあらゆる功利性から開放され純粋に学問や思想、芸術に沈潜し文字通り自

由と自冶を与えられた教育であった。その意味でこの映画が今の時代の教育に警鐘を鳴らす一助とも

なれば幸いである」

 

 私は、あの時代の旧制高校生は一部の恵まれたエリートとして嘱望された人達だったと思う。だか

ら、すべてを今の高校生や、大学生と比較して考えるわけにはいかない。

 

 しかしながら、青春の一時期に自由・自冶の寮生活を友と送り、真理を求め、国を憂い気概をもっ

て、生きていた人が、あの時代には多くいたとも思っている。バンカラ・弊衣破帽・高下駄などの、

寮歌祭的な雰囲気で旧制高校をとらえるだけでなく、世界に誇る智・徳・体にすぐれた本物の人間を

作る教育のあり方として、旧制高校に注目すべき時が、今、来ているのではないかと私は思った。

 

 この映画を見るために満員の映画館につめかけた人達は、私も含めて大半はもはや、旧制高校を体

験していない人達である。しかし無意識の中に、今の教育の体制から脱却する何かのヒントをこの映

画から感得しょうとした人も、多数いたのではないかと私は思っている。

 

 

■■◆      宙 平
■■■     Cosmic Harmony
■■■