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Chuhei
西宮海清寺の「大クス」です。
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渡辺心臓・血管センター病院4階のリハビリ室と、その窓から眺められる楠の林です。
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楠、大樹の林
西宮市の中心部に楠の林がある、と、私は思っている。人はみんなこの場所を用途に応じ たテリトリーで見ている。海清寺、六湛寺公園、市役所、簡易裁判所、地区検察庁、商店の 並びなどである。しかしそんな区割りを心の中で全部取りはらって、楠の木だけをこの場 所の上空から航空写真のように、見たとしたら、ここは立派な楠の大樹の林である。そして、 明治の初めごろまでは、廃絶した六湛寺などの寺域として、ここがうっそうとした森であっ た事は間違いなさそうである。
昭和3年から昭和60年まで、この林の西側に、美しいスパニシュコロニアル風の建物で、 ステンドグラスが映える市立図書館があった。これは白鹿で有名な酒造家辰馬吉左衛門氏の 寄付によるものであった。
国民学校の上級年の頃、西宮市今津に住んでいた私はよくここを訪れて、少年向けの本を 読んだり、図鑑などを借りたりした。香櫨園の夙川東側に住んでいた作家村上春樹も少年時 代この図書館に通ったと言われており、『海辺のカフカ』では、この作品の舞台のモデルと もなっている。(作品での名称は甲村記念図書館)
その場所は今のアミティーホールの所となっているが、周囲の雰囲気は今とは全く違って いた。正面は南向きで、もっと周りに木が多く、前には池があって、私は楠の林の中にある おとぎの国の宮殿のように思っていた。
この林の中の楠で最も大きくて有名なのは海清寺山門の西南に聳える「大クス」である。 樹齢約600年、寺が創建された時に植えられたと伝えられ、幹の周りは5・83メートル、 高さ35メートル、枝張りは東南約15メートル、北西19メートルに及ぶ。私はこの木 の少し離れた所から上を向いて梢を眺めると、緑の葉のそよぎが、空一杯に広がり、いつも 大きな自然が身体の中に入ってきたような気持ちになっていた。
昭和20年8月5日夜半、西宮の住宅密集地区全般の焼尽くしを目標として、ナパーム入 り油脂焼夷弾の大量投下爆撃が、アメリカ軍により大規模に行われた。私は今津社前町の自 宅から阪神久寿川駅を越えて北へ、住宅密集地を命がけで抜けて畑地に逃げたが、この海清 寺の「大クス」の下にも多くの人が逃げてきて寄り添っていた。この時西宮は、雨のように 降り注ぐ焼夷弾に、香櫨園の西から甲子園の東にかけて阪神電車線路より南の住宅や商店密 集地は殆ど火が回って、巨大な炎となり、線路を越えて北に迫っていた。勿論北側にも焼夷 弾が落ちて、国道2号線周辺も燃え始めたところもあった。もし林に炎がまわれば、逃げて きた人々の運命も危ない。しかし、楠の林は毅然として炎からの類焼を受け付けなかった。 また落下してくる焼夷弾も広げた枝で受け止めて、樹下に集まった人たちを直撃することは なかった。戦後、楠の枝払いをチェーンソウでした時、枝に食い込んでいた焼夷弾の破片で チェンソーの刃がこぼれたという話をする人もいた。そして、このとき炎を巻き上げ、南か ら吹いていた風が、北から南に方向を変えた。これも林の影響という人もいたが、この時多 くの人がこの「大クス」と楠の林に助けられた事は間違いない。
昭和20年8月15日、敗戦の日、私は自宅の焼け跡に来ていた。西の方に進み見渡すと 赤茶けた無残な焼け野原が、一面に続く中で、この楠の林の緑が、異様なほど輝いて夏の太 陽に映えていたことを思い出す。
今年の3月の13日。私は楠の林の近くにある渡辺血液・血管センター病院に、胸の痛み の診察に行った所、心筋梗塞と診断され即入院となった。そしてカテーテル治療のため2週 間の病院生活をした。その後半にはリハビリが行われた。エルゴメーターという、医療用の 固定した自転車に乗って30分、ペダルを漕ぐのである。これには、リハビリテーション科 の理学療法士がついて、私の身体に付けられた血圧計と心電図の数字を見ながら、車輪の回 転重力に負荷をかけてゆく。20ワットから始まって50ワット位まで行く。50ワット以 上になると、相当力をこめてペダルを踏み込まないと車輪が回らない。
私の場合、負荷がかかっても心電図は余り変化がないが、血圧は上の数字がてきめんに上 がりだす。初めは血圧130位だが負荷が45ワットを超えると150となり50ワットと なると、血圧は160を超えて170の数字になる時がある。そうなると、理学療法士は負 荷を上げるのを止める。
この病院のエルゴメーターは4階のリハビリ室には6台あり、西側の窓際に2列に設置し てある。窓の外には緑の楠の林が目前に迫って見えるのである。多分海清寺東側から簡易裁 判所あたりの楠と思われる。4階という高さのためなのか、手前には川や道路や商店もある のだがそんなものは目に映らず、窓一杯に10数本の楠たちがここに大木の樹林あり、と主 張している。
私は血圧が上がりだすと、ハンドルを握る手を緩め、楠の林を眺める。同じ楠でも木によ って、緑の色が少し違う、浅黄色に近いもの、反対に濃い色のもの、それらが一体となって、 私の目には優しく映る。すると、ペダルを踏んで、車輪を回し続けていても、気持ちが楽に なって、血圧が150位のときでもそれ以上、上がらなくなり、負荷を変えなくても安定し、 やがて下がりだすのである。私はこれを「楠の緑効果」と呼んだ。
退院後も週に1回の割合で、エルゴメーターを漕ぐリハビリに通った。4月から5月にか けて楠の木の葉色はますます色鮮やかになり、窓から眺めも楽しく「楠の緑効果」も一層強 く感じられるようになった。
担当医師によると、私の心臓動脈の梗塞したところは順調に回復しているが、他の心臓を 取り巻く血管の一部に少し気になるところが残っており、折を見てもう一度カテーテル検査 をするという。一度心筋梗塞をすると、なかなか時間がかかるものである。
「楠の緑効果」でリハビリが楽しくなった私は自宅から病院への行き帰りの時は、楠の木の 下を通るように心がけた。阪神西宮駅東出口付近からアミティホール南側の広場を抜けると 六湛寺公園の楠たちが姿を現し、やがて「大クス」が周りを圧して、大空に緑をひらめかせ ているのが見える。その太い幹の下から、さらに山門の東側の楠たちの下を通って病院に向 かうのである。帰りは国道2号線南側に並ぶ楠の大樹たちの下を通り、北から六湛寺公園に 入り「大クス」を見上げて、深呼吸するのである。いつも楠の精気が私の身体に染み渡るよ うに感じられて気持が良い。
5月下旬の空が晴れ渡り、白い雲がゆっくりと流れていた日も、リハビリ帰りの私は「大 クス」の根元から少し離れ、木の全体が見渡せる場所まで下がって深呼吸していた。
枝が左右に幾つも枝分かれして広がり、その先に鮮やかな緑の葉を一杯にきらめかしてい る姿は、血管に囲まれた私の心臓を反対にした形に似ているとふと思った。その時、ゆっく りした私の心臓の鼓動を感じた。と、同時に「大クス」の太い幹より、幾つもに枝分かれし ているあたりから、樹液の流れる鼓動が私の身体に響いてきた。
《おお! 600年にわたり樹液を送り続けているこの「大クス」の鼓動が、私の心臓と 響きあって同調しているぞ! これぞ自然! もう一度検査するといわれているこの心臓だ が、この安定した鼓動を聞け! もう私の心臓は大丈夫だ!》
その時、「そうだ!」といっているように「大クス」の葉は一斉に光輝いて、私に緑のシ ャワーを浴びせてきた。
《丘や森を走り回る競技、オリエンテーリング参加も、しばらく遠ざかっていたが、もうそ ろそろ始めても良いだろう。どうだ!?》
その時、今度は5月の風に、青い大空を覆っている梢の緑が一斉に少し揺れた。
私には、「始めるのは良いが、それはお前の年齢相当にやれ! 無理をするな」といって いるようにも思えた。
(平成26年5月27日)
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