From Chuhei
マッチョはいけない

甲山から流れ下る夙川の河口の右岸に、西宮回生病院があります。野坂昭如の 『火垂るの墓』にも書かれている海辺の病院です。この病院の西隣に「ロジェ」 というマンションがあり、その5階に作家の小田実が住んでいました。「ベトナ ムに平和を、市民連合」などを結成し、平和運動でも有名だったのですが、 2007年に75歳で亡くなっています。

その小田実が亡くなる少し前に、近くのサロンで、ベトナム戦争に参戦していた 元兵士だったアメリカ人と一緒に、平和運動の講演会を開いたことがあり、近く に住んでいる私も参加して聞きました。アメリカの元兵士が英語でベトナム戦争 当時のことを語り、小田がそれを日本語で要約する、という形で進みましたが、 そのなかで、私は元兵士のMacho「マッチョ」という言葉が耳に残りました。 小田は「彼は、戦争に参加したとき、マッチョでありすぎたといっている。 マッチョというのは、男性的な逞しさ、勇敢さ、好戦性を示す言葉だが、攻撃精神 を過剰にあふり高め行動する思想や信条を表す言葉でもある。マッチョに なったことは、いけなかった。その結果はろくなことにはならない。 マッチョな戦いをやってはならない、ということだ」と説明しました。

考えてみると、マッチョという言葉は使わなかったのですが、私の育った幼年 から少年の頃はマッチョであることを、当たり前として求められ、マッチョに 過ごした時代でした。

僕は軍人大好きよ
今に大きくなったなら
勲章付けて剣下げて
お馬に乗ってハイドウドウ

この歌で人生が始まり、軍部のマッチョな策動により、上海事変が起こると、 爆弾3勇士の歌「廟行鎮の敵の陣」を歌っていました。

点火のままの破壊筒
抱き合いたる破壊筒
鉄条網に到り着き
我が身もろとも前に投ぐ
(1932年 作詞 与謝野鉄幹
作曲 辻順治・大沼哲)

関東軍の参謀たちのマッチョで強引な主張によりノモンハン事件が起こると

すわこそ征けの命一下
さっと羽搏く荒鷲へ
何を小癪な村雀
腕前見よと体当たり
敵が火を噴く墜ちてゆく
(1940年 作詞 大槻一郎 作曲 蔵野今春)

そして、日本がアメリカ・イギリスに宣戦布告をすると、「進め一億日の玉だ」 とみんな叫びました。

行くぞ行こうぞ ぐゎんとやるぞ
大和魂 伊達じゃない
見たか知ったか 底力
こらえ こらえた 一億の
堪忍ぶくろの 緒が切れた
(1942年 作詞大政翼賛会 作曲 長妻完至 歌 林伊佐緒・真理ヨシコ)

NHKのラジオ放送は、マッチョの極みのような、この歌を毎日、常に流して いました。これらのマッチョにより引き起こされた事変や戦争の結果は、それぞれ、 空前の犠牲者を出し、多くの国民をどん底に落ち込ませたことは言うまでもありません。

小田実が亡くなったとき、私は改めてベトナム戦争の元兵士や小田実があの講演会の時 「マッチョはいけない。結果はろくなことにはならない」と真剣に語っていたのを思い 出していました。

ちょうどその頃のことです。現役の関西学院フェンシング部員も全員参加して、学院内 の会館で、フェンシン部OB・OGの定例の総会が開かれ、私がそのなかの最年長の OBとして、何か話をしなければならないことになりました。

私は昔の経験と、かつて学院の体育館で行われた他の大学との対抗試合を見学、応援 したときのことなどを頭に浮かべ、次のように話をしました。

「フェンシングは、フルーレ(相手の頭を除く上半身を突いて得点する種目)でも サーベル(突いても斬っても得点となる種目)でも先に攻撃したほうに「攻撃権」があり、 優先して得点を判定されるので積極的でなくてはならない。柔道でも積極的に技を かけないと「指導」を受け、「指導」が重なると負けてしまう。レスリングでも、 技をかけず逃げていると「技術回避」となり相手の得点になる。

ところが、そこで勝ちを急いで、積極、積極とカリカリになってしまうと、「いけ!」 「やってしまえ!」という声援の声と相まって、後先見ずに攻撃してしまう。これを マッチョになるという。マッチョはいかんのだ。結果はろくなことにはならない。 マッチョ攻撃の感情的な呼吸を相手に悟られ、すぐ防ぎ返してスキを突かれてやられて しまう。マッチョがスキを作ってしまうのだ」

私があまりマッチョ、マッチョといったので、現役の部員の2・3人から笑い声が 上がりました。笑った部員は、マッチョな攻撃をして失敗した覚えがあるからです。 私もそんな失敗の覚えがありますから、笑う気持ちが良く分かります。

それではどうすればよいのでしょうか。慎重にやってほしいとか、落ち着いて良く相手 を見定めて攻撃してほしいとかいって、私の話を終わらせることは出来るのですが、それ では若い部員を励ます話としては消極的すぎます。慎重になりすぎても、落ち着きすぎても 相手に先にやられてしまいます。

「よく吠える犬は弱い犬だ。本当に強い犬はむやみに吠えず、気高く構えていて、闘うと なると、急所を突いて攻撃し決して相手が屈服するまでは、あきらめない」こんなことを 言いたいのですが、犬のたとえでなく何か良い言葉はないだろうか、と思いました。その時、 学院の体育館の前にある石碑の言葉が頭に浮かびました。

「ノーブル・スタボネス」 NOBLE STUBBORNNESS 品位ある不屈の精神。

私は話を続けました。
「みんなは、体育館の前の石碑の言葉は知っているだろう。ノーブル・スタボネス、マッチョ ではなく、気品を高く持ち攻撃をする。相手が防ぎ返して来たら、ねばりの反撃、スタボネスだ、 さらに突き返して来たら、頑固なまでにあきらめない、スタボネスだ。

これは古い時代、庭球部のモットーだった言葉と聞いているが、この言葉はフェンシングにも 通用する。私はむしろフェンシングの極意、剣の競技の神髄だと思う」

極意、とか神髄などはその時、思いついて口から出た言葉ですが、しゃべっていると本当に そうだと私自身思えてきました。そして「勝気にあせって、マッチョになったと思えるとき、 この言葉を口に唱えてほしい。そうすえば必ず良い結果を生むと思う。今後の皆さんの健闘 を期待している」と話を結びました。みんな、私の話を聞いてくれたという手ごたえは感じ ました。

すると、私の話を聞いていた、OBのなかに、この石碑の言葉に詳しい人がいて、私に次いで みんなにこの言葉の解説を始めました。

「先ほど、話のあったノーブル・スタボネスは、1920年頃、庭球部のOBで部長であった 畑歓三高等学部教授が、当時最も部員に必要と 考えられた言葉で、テニスコートのフェンス の標識版に高々と掲げられていたのだそうである。それは、畑部長がアメリカ留学中に、日本 対アメリカのテニス試合を見学したときに、日本の選手たちが勝ちを急いで、ミスを繰り 返すのに対して、アメリカの選手が一球一球粘り強くボールを打ち返して試合に勝つ様子を見 ていて、頭に浮かんだ言葉とされている。この言葉自身はすでに17世紀のイギリスの詩人 ドライデン(J・Dryden)の詩の一節、「Let Us Content With NOBLE STUBBORNNESS」「品位ある手ごわさに徹しよう」にあるものだが、 試合に臨むときの気持ちはこうあるべきと考えて引用された。今では体育会全体のモットー として石碑に書かれている」と話をしました。

私はマッチョであった、あの戦争の時代以前の古い時代にアメリカとのテニスの試合で、勝を 急ぐあまりミスを繰り返す日本選手たちがいた、という話に大変興味を惹かれました。今の俗な 言葉で言えばマッチョになっていたのだと思います。そのマッチョを直すのに、畑部長が古い イギリス詩人の格式高い言葉を思いつかれたことは、素晴らしいことだと思いました。 私がフェンシングでマッチョに対応する言葉として、ノーブル・スタボネスだ、と言ったことは、 改めて良かったと思い返しました。

そして……。
「この言葉は学生時代に知っているはずなのにいまさら何を言っているのだ」
「知ってはいたが、あまり意識してなかった。早くから意識していたら、マッチョでの失敗も 少なく人生が変わっていたかもしれない」
「今から意識しても、もう遅いぞ」
「いや、これからの終活の人生は、このノーブル・スタボネスを、大いに意識して日々に生か し過ごしてゆこうと今、思っている」
私はこんな自問自答をしていました。

(2020年2月27日)

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宙 平
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