耄碌(モーロク)ランナー ワールドマスターズゲームズに出動 | |
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耄碌(モーロク)ランナー ワールドマスターズゲームズに出動
2020年に東京でオリンピック大会が開かれることは、ほとんどの人が知っているが、 2021年に日本の関西地区でワールドマスターズゲームズ大会が開かれることを知って いる人は少ないのではないかと思う。
この大会は32競技55種目、参加選手予測人数5万人、4年ごとに行われる世界のスポ ーツ総合競技大会としては、オリンピック大会以上に大きな規模となり、世界中から集まる 各年代、多くの種目の選手たちによって盛大な大会となることは間違いないといわれている。
しかしながら、この大会があまり知られていないのは、オリンピックに比べまだ歴史が浅い こと、マイナーな競技も取り入れていること、国家別の表彰ではなく原則、競技種目ごとに3 0歳から95歳まで5歳刻みの年齢別に表彰し、必ずしも世界最高水準を追求する競技ではな いこと、メディアの報道も少ないこと、などがその原因と考えられる。
スポーツは人類全てのもの、どの年代の男女であっても、どんな競技であっても参加し行動 し楽しむ権利を持っている。オリンピックに参加するエリートだけが素晴らしいスポーツの選 手ではない。見るだけでなく誰でもが参加できるものでなくてはならない。
このような考えをもとに1985年、カナダのトロントで、The Year of the Masters(年配 者の年)をテーマとして第一回のワールドマスターズゲームズが開かれた。その後4年ごとに、 1989年デンマークのヘアリングでSport for Life(生涯スポーツ)をテーマとして、19 93年はオーストラリアのブリスベンでThe Challenge Never Ends(決して終わらないスポー ツへの挑戦)がテーマであった。その後、ポートランド、メルボルン、エドモントン、シドニ ーと続き、2013年、イタリアのトリノでは、Sport for life, Sport for all(生涯のスポ ーツ、皆のスポーツ)をテーマにEverlasting Passion(スポーツへの情熱をいつまでも)の掛け 声がかかった。この時私はオリエンテーリング競技でこの大会に参加していた。それぞれ競技名 を書いたプラカードを先頭にトリノの市街を行進した。トリノの人たちは手を振り、声をかけて 歓迎してくれた。競技は近くの山岳の町セレストリエールで行われた。この時男子80歳〜84 歳台クラスでは各国からの50名が参加した。私はスプリント競技(坂のある市街地、公園の、 1・5`を標識10ヶ所、チェックしながら走る)でAクラスに残り15位。ロング競技(山地、 森林の3・4`、登り120bを標識15ヶ所、チェックしながら走る)でBクラスになったが 26名中9位であった。
それでもまだ、この時は私の身体の耄碌(モーロク)もあまり進んでいなかった。しかしその 翌年、心筋梗塞で入院、その後も病院通いが続くようになってしまった。その年、申し込みをし て選手登録をしていたブラジルの世界マスターズ選手権大会はキャンセルをして、もう競技に出 る事は諦めなければならなくなった。
しかしながら、日が経つにつれ、まだ歩くことなら出来る、競技に参加するだけのことなら出 来ると思うようになって、2015年頃から京都の大文字山周辺の大会や、神戸の修法ヶ原での 全日本ミドル大会、2016年の愛知県岡崎の全日本大会などに参加するようになった。これら の大会ではなんとか基準時間内で完走(歩?)することはできた。
ところが、その年末の黒添池学生連盟ミドルセレ大会、滋賀県希望が丘のクレージー大会、2 017年始めの黒添池練習会では、幾つかの標識が見つけられず、そのうえ長い時間がかかり、 競技に失格してしまった。
若い人たちは、始めたばかりの頃はもたついていても、1年も競技や練習を続けると、驚くほど 上達し、山地の沢や尾根の難しい場所に設置してある幾つかの標識を、猟犬のように一直線に走っ て、チェックして回って帰ってくる。85歳の私はもうすでに40年以上もこの競技を続けている にもかかわらず、なかなか標識が見つからず、藪の中を探し回るうち、足腰が痛み始め目がかすむ、 とうとう朦朧(モーロー)状態となり、山を降りてしまう。やればやるほど、能力が低下していく ように感じ、いよいよ本当にやめる時が来たと思った。
そんな時に2021年に日本で行われるワールドマスターズゲームズの詳細が関西の組織委員会 から発表された。それによると、まず大会のテーマはThe Blooming of Sport for life (人生を謳 歌するスポーツの開花)として、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、和歌山県、鳥取県、徳島県、京 都市、大阪市、堺市、神戸市などに分かれて、色々な競技が行われる。普通によく行われている競技 種目の他、ゲートボール、ボウリング、綱引きなどもある。開会式は京都市でそして閉会式は大阪市 で行われる。
当初、国際ワールドマスターズ協会からの開催の打診があった時には、大阪府・大阪市は、数千万 円となる分担金の負担に見合わないと辞退を表明していたが、サッカーは堺市が、ラグビーは東大阪 市が引き受けて、結局閉会式を引き受けることになったらしい。
その中の中のオリエンテーリングは、神戸市の総合運動公園や、しあわせの村でスプリントを、ロン グは兵庫県のハチ高原と峰山高原などで行われることになっている。
あと4年、私が2021年まで生きていて、もしこの大会に出られるとしたら、私は男子90歳から 94歳台のクラスに出場することが出来る。
私は2006年、オーストリア・ナウスタッドのウィッスベルグの森で92歳のオリエンテーリング ランナーのランタモ・エリッキさんに出会ったときのことを思い出した。当時はオリエンテーリングの 大会で90歳台のクラスが有り、そのコースを駆けるランナーがいることなどは、日本では考えられな い驚きであった。スタートの前、エリッキさんの胸のゼッケンを見て、思わず「オオ! ナインティー」 といった。彼は私を見て「オオ! ジャパン」と返して、手を振って元気にスタートしていった。彼はク ロスカントリースキーのベテランで、スキーオリエンエンテーリングでも幾度も優勝している有名なフィ ンランドの選手であった。
私はあの時、90歳台のランナーに大変驚き、そして感動したことを思い出し、日本で開催されるワー ルドマスターズのオリエンテーリングの大会で、いよいよ90歳台のクラスが出現する可能性が出てきた ことは、すごいことだと思った。それではその時、日本人で90歳台クラスに出場するのはどんな選手に なるのだろうか。
とっさに東京の高橋さんの名前が浮かんだ。私より一歳上だが、海外のワールドマスターズオリエンテ ーリング大会、スプリントの80歳から84歳台で金メダルをとっている唯一の日本人である。あと4年 間今の健康状況を保って出場すれば、間違いなく優勝候補となる力を持っている。もう一人いる。関西の、 山歩きで有名な稲垣さんである。長年登山で鍛えた体力と勘を活かして、国内のオリエンテーリング大会 に参加するようになり、私と同年齢ながら、高齢者のクラスの競技では実績を上げている。彼自身の主宰 する山の会でも独自にオリエンテーリングの練習会を開いている。すごい山男である。
そして第三の男として有力な日本の90台出場予定者は、本来なら私なのだが、かつて国内、国外の大 会で元気に活躍していた面影はなくなり、今や耄碌(モウロク)ランナーに落ちぶれ、ロングの大会など に出ると帰還することさえ、危ぶまれる状態である。
外国勢はおそらく今までの傾向から、スエーデン、デンマーク、ノールウエイ、フィンランド、そして オーストラリアの選手が出てくることだろう。90歳台クラス、それは健康寿命をかけたサバイバルの競 争となる。
日本でのオリエンテーリング大会で、今まで90歳台の選手が競技に出たことはない。2021年のこ の大会は画期的な日本のスポーツの歴史を作るものになる、と思うと、私はまたもや、耄碌(モウロク) のため、もう止めたと言っていられなくなった。
とにかく、その時まで生きて、歩いて、なんとか参加するのを、私の当面の目標にしてみよう。そう考 えると、今までどうするか悩んでいた目前の課題がスーッと解けた。
それは、今年がちょうど、日本で行われる大会の4年前に当たり、ワールドマスターズゲームズのニユ ージーランド大会がウエリントンで正に開かれようとしていることである。私は参加するかどうか、いや 耄碌(モーロク)度からして参加できるかどうか迷っていたのであった。しかし、90歳台の出場を目標 とするならば、当然私は85歳から89歳台の今年のマスターズゲームズにも出場するべきだろう。そう すると、80、85、90歳台、トリノ、ウエリントン、日本関西と連続出場を目指すことが可能となる。 そこで、遂に、私は今年の参加を決めた。そして、ニュージーランドに向けて出動開始を宣言した。
第9回のこの大会はFestival of life for Sports(生涯スポーツの祭典)をテーマとし、100カ国か ら2万5千人の選手を集め、2017年の4月21日から4月30日にかけて行われる。その内オリエンテ ーリングはウエリントン市内でスプリントが2日間、ロングはその郊外の森林で3日間行われる。ほかに開 会式の日と、練習会の日がある。早速、早稲田大学オリエンテーリング部OBの小林さんの担当する日本旅 行の競技ツアーに申し込んだ。出発は4月18日、成田空港と決まった。
出発までに、しておかなければならないことが、二つある。一つは私の耄碌(モーロク)を心配して参加 反対の妻の説得である。若い頃は妻もオリエンテーリングの大会には参加していた。ペアーで走って優勝し てトロフィーをもらったこともある。今はもう昔のように活動は出来ないが、そのうち分かってくれるだろう。 旅行保険には最大入って行く。もう一つは心筋梗塞の後、通っている医師に参加を相談することである。その 時、私が万が一、ぶっ倒れた時に、応急血管拡張剤として、ニトログリセリンを常時携帯することを話し合う つもりである。
しかし待てよ。この薬はダイナマイトの原料、爆発物にもなる。1994年この薬を使ったフィリッピン航 空434便爆破事件が起きている。果たして航空機搭乗ができるのか、いろいろ心配の種は尽きない。
(2017年3月3日)
******* 宙 平 ******* |