From Chuhei
 
平成28年3月20日、全日本オリエンテーリング大会男子75Aクラスの
地図とコースです。愛知県岡崎中央総合公園で行われました。
 
 
平成27年10月18日、京大・京女オリエンテーリング大会で、白丸印の
標識(コントロール)をチェックした後、急な土がけの坂を下るところです。
場所は京都の東山です。
 
 
平成28年2月27日、ウエスタンカップリレー オリエンテーリング大会で
第一走者澤地さんから、タッチ受けて第二走者の私が走り出すところです。
場所は兵庫県加東市播磨中央公園です。
 

第二走者の私が、第三走者の玉木沙羅々さんに、タッチしてリレーをつなぐ
ために駆け寄るところです。
 
 

耄碌(モウロク)ランナー

            

 

  

 耄碌(モウロク)とは、年をとって頭脳や身体の働きが衰えることであるが、この言葉は、

活動的で明確な意識のある状況から次第に朦朧(モウロウ)意識となってゆく、老いの進行

する有様も示している。

 

 今年の2月26日づけ朝日新聞の「折々のことば」にも森鴎外の長男で医学者だった森於菟

『耄碌寸前』の、次の言葉が載っている。

 

「人生を茫漠たる一場の夢と観じて死にたいのだ。そして人生を模糊たる霞の中にぼかし去る

には耄碌状態が一番よい」私も人生の終わりが近づくにつれ、耄碌になるのは当たり前、それ

が自然で一番楽でよいと考えている。

 

 さて、私が40歳代の初め頃から続けているスポーツ競技、オリエンテーリングだが、(私

の30歳代までは、日本では行われていないスポーツだった)この競技は普通、森林地帯に一

人で入ってゆく場合が多いので、少しでもモウロウ状態になると自分がどこにいるのか、分か

らなくなってしまう。

 

 勿論、地図と磁石は持って入る。地図も、5万分の1や、2万5千分の1ではない。1万5

千分の1より縮刷分母が大きい地図は使えない。1万分の1や5千分の1も使われる。そして

その地図は、徹底した調査をして、競技地図を作り上げたものである。小さな尾根や沢も見逃

さずに細かく等高線が描かれ、岩や土崖、岩崖、凹地や穴、池、湿地、流れ、人工特徴物等す

べての最新の情報が書き込まれて、山林内の通行可能度も4段階で色分けされている。

 

 競技はそんな地図を、スタート直前に渡され、地図上に示されたスタート地点 を確認し、

そこから地図上の ? の地点に方角を定め、そして?の標識目指して走り出すのである。その

地点にはOLフラッグといわれる標識と、その横に電子記録装置が置いてあって、ランナーが

持つカードを合わせると、通過タイムが記録される。その地点は道や途にあるとは限らない。

人が入らない崖の周りや、細い沢、枝尾根などに、置かれている。そして、?を通過すれば、

そこからAへ、そしてBへと標識を回ってその時間を競う、標識数は普通、10から15ぐら

いで、直線距離で3キロから5キロ程度だが、出場クラスにより、標識数と距離はそれぞれ違

ってくる。こんな競技だから、山地で行われる場合は崖をよじ登り、薮をかき分け、流れを渡

ったりするので、激しいスポーツとされている。

 

 激しい運動をすると人間の脳は酸素が欠乏して、モウロウ状態になりやすい。年齢が若けれ

ばすぐ回復するが、耄碌が進むと、どこにいるのか分からない状況が続くことがある。

 

 平成22年10月28日、宇治市の丘陵地帯太陽ヶ丘で行われたオリエンテーリングリレー

大会で、私はモウロウ状態となり、自信を失い「耄碌ランナー」になった事実を突きつけられ

た。このリレー大会というのは3人で1組となり、順番にタッチしてつなぎ、それぞれ違うコ

ースを回り、3人の合計の時間を、他の組と競うという競技である。

 

 この時は参加者の多くは学生と30歳代以下の若者で、私のような老人の出る幕ではなかっ

た。そこで、リレーではなく、個人のコースに出る予定であった。ところが私の属している大

阪オリエンテーリングクラブの30歳代の若手の小西さんと小城さんに「折角のリレー大会だ

から、組みを組んで出ましょう」と誘われた。この時私は第一走者で走ったのだが、14ヶ所

あった標識のB番目に向かう時に現在地が急に分からなくなった。やっとBに達した時は、こ

こだけで41分55秒も要した。そして私のトータルだけで1時間48分48秒もかかってし

まった。一人当たりトータル30分位が普通のコースで、あきれるほど遅い巡航時間である。

その上無意識にK番目を飛ばしてしまい、そのため組が失格となって小西さんや小城さんに大

変迷惑をかけた。もう、競技は止めよう、特にリレーには今後は出場しない。とその時思った。

 

 しかしながら1年後の平成23年11月24日、長崎の大村市の山地、岳の木場公園で行わ

れた、全国都道府県対抗オリエンテーリングリレー大会に、65歳以上のXVクラスに出場し

ないか? という話が出ると、自分の耄碌状況を忘れてしまい、またもやリレー大会に出場し

てしまった。

 

 この時私は第三走者で、第一走者はベテランの女性ランナー四宮さん(当時66歳)、第二

走者はこの大会の大阪府代表11組を率いた団長の辻村さん(当時77歳)で、私(当時81

歳)を入れて合計年齢224歳であった。これは、全国から集まった113組のなかでの最高

齢であった。

 

 この時は、19ヶ所の標識があったが、私は全部回って完走したつもりでゴールした。とこ

ろが、2ヶ所飛ばしていて失格と判定された。私は完走したと主張したが、スタッフ同行で、

実際に飛ばしたとされるQ(岩の北)を見に行って、飛ばしを確認させられた。もう一つのK

(道と小径の分岐)は確かにその標識まで行っているのだが、カードを記録装置に差し込んで

いなかったのだ。「標識を飛ばしていることさえモウロウとして分からなかった。あぁ耄碌こ

こに極まった。もうリレーに出てはいけない」四宮さんや辻村さんに申し訳ないだけでなく、

大阪府の代表チームの総合成績の上にも大きな汚点を残した。私がリレー参加の最高齢者であ

ることなどは言い訳にもならなかった。

 

 そして、その翌年の平成24年3月13日、胸が痛むので、西宮の渡辺血管センターに診察

を受けに行ったところ、心筋梗塞と判定され2週間の即入院となりカテーテル治療を受けた。

その後も再狭窄や他の心臓血管の検査などで何回か入院した。心臓の血管まで耄碌しては、そ

の年早くから申し込んでいたブラジルでのワールドマスターズオリエンテーリング選手権出場

は当然キヤンセル、そのほか一切の競技には出ることは無理となった。さらに私は、年ととも

に、眼・歯・膝・腰にも一層の耄碌化が進んでいることが自覚され、もうオリエンテーリング

競技からは引退しなければならないことになった。

 

 平成27年5月10日、大阪オリエンテーリングクラブが生駒市の黒添池周辺の丘陵地で4

0周年記念の大会を開いた。私は運営のスタッフとして、受付の仕事を手伝うことにした。大

会は盛会で全国から競技者が集まって、久しぶりに顔をだした私に声を掛けてくれた人も多か

った。かつて外国でのマスターズ大会にそれぞれ一緒に出場したことのある人たちもいた。ロ

ッキーの岩山の麓の森、北欧の岩だらけの丘陵、ニュージーランドの牧草地帯などの情景を思

い浮かべ「なんとかして、自然の中を走りたい。しかし今はもう走れない。勿論、外国へ行く

などはとんでも無い。しかし、近くでの簡単な大会なら出られるかもしれない」と、思うよう

になった。

 

 そこで、私はオリエンテーリングの大ベテランで地図読みに詳しい辻村さんの主催する復習

(過去に大会のあった地図のコースをトレースして歩く有志の会)に何回か参加して初心に帰

り徹底した地図読みの訓練をして、ゆっくりでも山地を歩く体力には、自信がつくように心が

けた。そして、「耄碌ランナーの心得」を自分で作り上げた。

 

 T、地図を見るときは立ち止まれ。

(今までは、立ち止まるな、時間が勿体ない、走りながら地図を読め)

 2、標識が見つからなければ、あっさりあきらめよ。完走できなくても良い。 

(今までは、絶対あきらめるな、見つかるまで帰るな)

 3、急な崖、深い茂み、足の沈む湿地は極力避けよ。急げば回れ。

(今までは、できる限り目標に向かって一直線の直進。少々の障害は乗り越えろ)

 

 平成27年10月18日、「耄碌ランナーの心得」を試す日がやってきた。京大・京女の主催

する大会で場所は京都の東山、あの大文字焼の大の字の北側、急な尾根と沢が幾辺にも重なると

ころである。沢下の小径がスタートであった。

 

 直線距離2キロ足らずのBコースだったのだが、東山はスタートの地点まで登るだけでも私に

は大変である。尾根・沢が複雑で少しでもモウロウ状態になると、すぐに現在地が分からなくなる。

スタート直後、他の人たちについて、北側の尾根を登りかけた。「待て?は南の沢にある。もどれ」

そして、?(小径の分岐)からはすぐ東の尾根に駆け上がって、そのまま北へ進んでいた。「立ち

止まれ。徹底的に地図を見よ」そうするとなんと反対の南東に、A(小きれつ)に向かって尾根道

が伸びているではないか。あとは間違うことなくG(小径の曲がり)まで進み、銀閣寺の北東の山

麓斜面のゴールまで、完走できた。1時間7分1秒。このコースに高校生が39名も出場していた、

50人中の34位だが、そんなことはどうでも良い。「耄碌ランナーの心得」が生かされて良かった

と思った。

 

 続いて、平成27年11月22日、全日本ミドル大会。神戸の裏山、外人墓地のある修法ヶ原・

再度山である。ここでは男子80歳以上Aクラスに出場した。12の標識のうち1ヶ所でモウロウ

になった。が、1時間4秒で完走した。7人中の6位だったが、85歳の「耄碌ランナー」としては

これで良いのだ。

 

 そして、過去に失敗してもう出場しないはずだったリレー競技に申し込み登録をしたのは、平成

28年2月28日のウエスタンカップリレー大会である。私はごく簡単なクラスか、個人部門とい

うことで申し出ていたのであるが、クラブでいつも熱心にリレー組み合わせの世話をされる大林さ

んは、私を男女のミックスクラス参加として登録された。リレーを組むのは、大阪オリエンテーリ

ングクラブの会長の澤地さん(男子65歳クラス)が第一走者。第二走者は私(男子85歳クラス)

そして、第三走者はクラブの主要メンバー玉木さんの娘さんの沙羅々さん(18歳、静岡大学オリ

エンテーリング部員)であった。私にリレーの一員としての責任がのしかかってきた。もう「耄碌

ランナーの心得」などいっていられない。

 

 兵庫県加東市にある五峰山ふもとに広がる県下最大級の丘陵公園、播磨中央公園、その野外ステー

ジ北の広場が、スタート・ゴール・リレー中継地点だった。第一走者の澤地さんの、35分01秒の

早い好調なタイムでのタッチを受けて、第二走者の私が必死に走り出した。標識数は16ヶ所、A

(フェンスの角)を見事に行き過ぎた。戻って「傷は浅いぞ、がんばれ」自分を励ました。E(フェ

ンスの内側)は外側から標識を確認したが、フェンスにさえぎられて進めない、大回りしてやっと取

った。「時間がかかっている。ウムスタート(切り上げスタート)を次の走者にさせてはならない。

待っていてくれよ」リレー大会最高齢の耄碌ランナーが後は走りに走って、なんとか第三走者沙羅々

さんにタッチしてつないだ。1時間2分35秒かかった。沙羅々さんは、私より長い距離を、55分

でゴール。合計時間2時間32分36秒、ミックスクラス10組中9位ではあったが、ウムにはなら

ないで、完走した。

 

 そこで、調子に乗って、平成28年3月20日、愛知県岡崎中央総合公園での全日本選手権大会に、

日帰りで出場した。男子75歳以上Aクラスで、1時間3分27秒、19名中11位だった。同じク

ラスの人がいった。

「90歳まで頑張って生きて、90歳代クラスのある国際大会に出たら、貴方ならメタルが取れるぞ。

サバイバル競争になるからな」

 

 大いに励まされて帰ってきて、3日後、私の頭がふらふらしたので、血管センターの医師に「飲ん

でいる薬の作用ではないか? 薬を止めたい」といったら「貴方の心臓血管では、もはや血液さらさ

ら剤と血圧調整剤の服用を中止することは出来ない」といわれた。

 

 続いて歯科医からは「貴方の歯はもはやそのままでは治療できない。これからはすべて入れ歯とな

ります」

 

 眼科医からは「貴方の眼は、いまや老化して衰弱しています。白内障も進行中です」

 

 肛門医からは「肛門が痛いというが、筋肉が老化しています。どうしても手術するなら、人工肛門

になります」

 

 果たして、私はサバイバル競争を勝ち抜いてメタルを目指す輝くアスリートになれるのか。それと

も、ガタガタの身体になっていて、もはや先行き短い耄碌の極まったどうしようもない老人なのか、

どちらなのだろうか。 

 

(平成28年4月25日) 

 

 

******

宙 平

******