昔の甲子園球場 平成17年8月5日 大塩 二郎氏投稿 |
私は物心がついてから、今津小学校2年生までは、西宮市網引町に住んでいた。甲子園球場のすぐ西側で、球場前広場は遊び場のテリトリーで自転車で走りまわっていた。一番古い記憶では、昭和9年3歳の時、あの室戸台風にあい、強風の中を私は父におぶられて、兄姉は母に手を引かれて甲子園球場の外野席2階廊下に避難した。途中周りの低地は水が上がってきて怖かったこと、外野の廊下で暖かい牛乳の差し入れを貰ったこと、そして避難解除で帰宅すると、下駄箱が流れて無くなっていた、幸い床下浸水だったが3歳の記憶だ。 戦前の甲子園球場では、毎年夏休みの夜にグランド中央に巨大スクリーンを引っ張り出し、外野席が観覧席となって映画大会があった。なぜか洋画が多く、チャップリンや、ローレル・ハーデー("デブとホソ"と云っていた。)の白黒喜劇映画で、よく観に連れて行ってもらった。 真冬のこと、内野スタンド上段からピッチャーマウンドにかけて、大きなスキーのジャンプ台を架設し、北部からトラックで大量の雪を運んできてジャンプ大会があり、見た記憶がある。 またある夏のこと、大相撲が来て、球場界隈をチョンマゲに、浴衣姿のお相撲さんがよく歩いていて、或る時わが家へ「水を飲ませてほしい」と入ってきた、母が「まあー大きいのネ」と云っていたのを覚えている。今のように何処にも自動販売機がなかった時代だったので・・・。 その外、阪神パークがずっと浜寄り(現・浜甲団地辺)にあり、海に突き出した水族館と隣接していた。日曜日にはよく父に連れていってもらい、父はコーヒーを、我々子供はホットケーキを食べるのが楽しみだった。 私のような戦前の甲子園の情景や、もっと外に面白い思い出がありましたら是非教えて下さい。 |