日光霧降のたたかい
―第45回オリエンテーリング全日本大会―
オリエンテーリングのロングの大会は年に1回毎年開かれている。昨年は岐阜県中津川
で開かれたが、今年は4月14日、栃木県の日光キスゲで有名な霧降高原山麓であった。
私は一人その前日、東海道と東北新幹線を乗り継いで宇都宮から日光線で、日光駅前の
ステーションホテルに着き宿泊をすることにした。新しく買ったスマホに連絡が入り、近
くのホテルに宿泊する男子80歳台Aクラス出場の北海道の原田さんと、東照宮に向かう
道にあるレストランで一緒に夕食を取った。
原田さんとは昨年末の富士山麓で開かれたミドル距離の全日本大会以来だった。この時は
85歳台のクラスはなく、80歳台Aクラスに私も原田さんも含めて、レジェントと言われ
ているベテラン7名が出場した。しかし70分以内という厳しい競技時間制限にはばまれ、
その時間内にゴールして入賞したのはその内最高齢の高橋さん一人だけであった。
今回のロング大会には前回の中津川の大会同様男子85歳台Aクラスがあり、私と高橋さん
二人だけが出場する。そして、男子80歳台Aクラスはあの富士山麓の大会と同じ残りの面々
5名がずらりと顔を揃え、それに80歳台に上がってきた入間OLクラブの横手さんという
人が加わっている。
私が今回気にかかって心配したのは、やはり競技時間制限の設定であった。中津川のロング
大会では距離は2・2㌔で120分以内であった。ところが今回は2・6㌔で100分以内と
なっている。マラソンのように道を走るなら問題ない時間であるが、深い谷や崖を乗り越えて
進まねばならない山地の競技でのこの時間設定は高齢者クラスにとって、大変厳しいのである。
この時間内に私の足の力でゴールするには、よほど頑張らないといけないと、競技前から思
っていた。自分自身の走力とのたたかいとなるのである。
会場は日光駅から1・6㌔、歩いて25分の日光運動公園であった。この公園には野球やゴルフ
の練習場はあるが、会場は全くの青天井広場で、雨が降ったら全く逃げ場がない。幸いこの日は
少なくても午前中は天気が持ちそうなので、受付で胸につけるナンバーカードと、標識
(コントロール)通過を記録する?―カードを受け取り、会場に敷かれた青いビニールシートの
上に荷物を置いた。スタート場所はここから北の山地までさらに30分登ったところにある。会
場から遠く北西の男体山に雪が残っているのが見えた。3日前には日光では18センチも積もる
雪が降っていたのである。しかし今日の私の走るコースではもう雪は残ってはいないだろう。
私のスタート時間は10時18分だった。1分後に高橋さんがスタートして追ってくる。
地図をその場所で初めて取り、急な沢みちを登って行くと、鞍部の手前にスタートフラッグが
あった。そこが地図の△の地点である。そこからすぐ、北東の地点に①のコントロール(岩崖の下)
がある筈である。真っすぐ進めば急な岩崖の上から降りなければならない。私は少しためらって、
崖上から下へ降りやすいところを探して、少しうろうろした。すると、後から来た高橋さんが真
っすぐに進んで崖の上の木をつかんで、するすると降りて行った。さすがだ、と感心しながらも私
は大きく回り込んで、ゆるい傾斜のところを降りた。ここで高橋さんとは2分以上の差がついて
しまった。そして次の②(穴の東)へも進む方角をそらしてしまい、その上倒木や凸凹で進みにくい
斜面に手間取り、私が②にたどり着いたときには、私より21分後スタートの女子65歳台Aクラス
植松さんが、すでにそこに来ていた。このクラスは私の男子85歳台Aクラスと同じコースを走る
のである。そして、植松さんは女子6名出場のこのコースでは常勝の実績を持つ最強の優勝候補
である。
こうなると、私はもう高橋さんとの競争よりも、果たして競技時間内にゴール出来るのか早くも心配
になってきた。必死で尾根を駆け下り、みちへ出て小川を渡り③(南の尾根の下)をチェックした。
ここで私より2分前にスタートした男子80歳台Aクラスの小畑さんに出会った。このクラスとは
コースが少し違うのでお互い順調に来ているのかどうかは分からない。次の④へは長い道を走り、
林に飛び込み、深く細い谷が複雑に入り組んでいる地形に苦しんでやっと④の(沢の上部)へ、その
手前で4分前スタートの男子80歳台Aクラスの原田さんに会い、励ましの声をかけられた。そして、
④の沢の下から「反対の方角に行ってしまっていた」といって②で追いつかれた筈の植松さんが登
ってきた。⑤(沢)は斜面を横切って見つけた。植松さんはそこから、北へ駆け降った。私は反対に
すこし南に進んで回り込んで⑥(穴の北西)に向かった。その手前のみちでまた植松さんに会った。
そこから茂みのある林に飛び込んで、浅い沢を詰めて林の中に⑥を見つけたが、植松さんの姿はもう
どこにもなかった。道を西に走り岩崖の間をよじ登って、⑦(沢)に向かった。するとまたも別の方向
から植松さんが斜面を駆け上がってきて、声をかけ会釈して⑦をチェックすると西の鞍部目指して
進んで再び消えた。
ここですでに89分39秒かかっていた。コントロールはあと一つだけだが、100分以内にゴール
出来るのか、私は懸命に走った。後で時間を調べると、⑦から⑧(真中の尾根の上部)へ11分29秒。
⑧からゴールまで2分3秒で、この区間だけは高橋さんの時間よりも速く走っている。
しかし、結果は103分11秒。3分11秒の競技時間オーバー、完走はしているが表彰には失格である。
① と②で最初に、もたついた時間のロスを、最後まで取り戻せなかったのが原因であった。
会場に戻り、休んで着かえていると高齢者クラスの成績発表と表彰の放送があった。その中で、本日の
最高齢者のクラスは男子85歳台Aクラスで、高橋さんと私が出場したが、私が時間オーバーのため、
高橋さん一人の表彰となるという説明がマイクで報じられた。
高橋さんの優勝時間は1時間14分12秒であった。同じコースの女子65歳台Aクラスで②から⑦まで、
私と時々出会いながら走った植松さんは1時間17分47秒で見事に優勝した。③で出会った男子80歳台
Aコースの小畑さんは、2位入賞、④の手前で出会ったそのコースの原田さんは3位入賞だった。
そして、その後、思わぬことが起こった。高齢者クラスの競技時間についての意見提訴があって、男子80歳
・女子75歳以上のクラスの競技時間制限100分(女子クラス90分)を120分に変え、120分以内に
ゴールしていれば3位まで表彰するとの放送があった。一転して、私は2位に入賞、銀メダルをもらうことに
なったのだ。
高橋さんが私の所にやってきて、「貴方も入賞になりましたよ。よかった。あのコースの100分はきついからね」
といった。全日本大会の最高齢クラスの男子85歳台は、高橋さんと私の二人だけの参加が続いている。二人並んで
表彰を受けないと、最高齢クラスの存在が薄れる。
しかし、高齢者の表彰式は一旦終わっていたので、競技実行委員長の山川さんの所に行って、銀メダルを首にかけて
もらい、入賞証と記念品をもらった。そのメダルをかけたまま会場を歩いて、私は思った。
このたたかいは、老化して行く自分の身体とのたたかいだ。どこまで競技参加を続けられるかはわからないが、
続けられる限りは何とか続けたい。これからは、私の寿命と病気を見据えたサバイバルのたたかいと、なって行くが、
まだまだ、金メダルも望みなきにあらず、と考えてこれからも大会に行くぞ。
(平成30年4月22日)