From Chuhei
おお、TAKARAZUKA

宝塚歌劇大劇場の切符が2枚、今年の11月初めに送られてきて、全く久しぶりに、 妻と11月16日に宝塚歌劇へ行くことになった。大和証券がこの日は大劇場を借 り切って、顧客を招待するもので、取引の大口小口を問わず、接待の順番が私たち に回ってきたものと思われる。

大劇場の全座席数は2550席で、SS席(1万2千5百円)S席(8千8百円) A席(5千5百円)B席(3千5百円)があり、送られてきたのはA席だった。 それでも私は歌劇に行くのが、楽しみになって、古い宝塚の賛歌『おお、宝塚』 を思わず、くちずさんでいた。


小さな湯の町宝塚に 生まれたその昔は

知る人もなき少女歌劇 それが今では

青い袴と共に 誰でも皆知ってる

おお宝塚 TAKA‐RAZU‐KA

おお宝塚 我が憧れの美の郷

幼き日の甘き夢の国

歌の思い出も懐かしき

おお宝塚 TAKA‐RAZU‐KA


私は学生時代、関西学院に通学するのに、そのとき住んでいた阪急の宝塚線の 曽根駅から今津線の仁川駅まで、大阪方面の十三駅を回らず、西回りで宝塚駅を 経由していた。そして今津線の電車が大劇場横のカーブを回るときに、いつも この歌が頭に浮かんだ。ときには、軽くハミングすることもあって、私にとって 懐かしい、なじみのある歌である。

この歌は1930年、宝塚歌劇の演出家白井鐵造の作詞である。白井は1919年、 小林一三が作った国民劇の「男子養成会」創設のメンバーだったが、この会は解散 になった。演出家を志し、宝塚歌劇創始者小林の命により、レビューの本場パリ へ渡欧。2年間の修業を積み、1930年帰国後、全20場、上演時間 1時間半の大作『パリゼット』を発表した。ダチョウの羽を使った羽根扇、 タップダンス、スターの舞台メイクがドーランになり、足を高く挙げる振付 のラインダンスなどが日本で初登場したのはこのときである。また、 この作品の主題歌で白井が作詞を担当した「すみれの花さく頃」は、 「おお宝塚」と共に現在も歌い継がれている。宝塚歌劇団の最高の有名 な功労者であった。

その白井鐵造に私が会ったのは、宝塚大劇場横の歌劇練習場にフェンシング の型を2日間教えに行ったときだった。大学を卒業して間もない頃だったと 思う。大学フェンシング部OB長老の三島さんから電話があり、星組のトップ スター寿美花代が主演する『ミランの恋人たち』というミュージカルで剣を 使うので、行ってくれということだった。私の後任の主将古本君に剣を持って きてもらい2人で行くと、1日目は寿美花代も白井鐵造もいなかったが、 歌舞伎の有名な殺陣(たて)師の小金吾さんがいて、20人位のスターたち を並べてフェンシングのレッスンを頼まれた。2日目は早くからきていた 白井鐵造がじっとレッスンを見ていたが、途中で私を呼んで「もっと面白い、 派手に見える型はないのか」と聞いてきた。そこでサーベルの剣を横に頭の上 で相手の攻撃を止めて、回して切りつける型や剣先を下に向けて相手の剣を払 って攻撃する型をやってみた。この日は寿美花代も私に「よろしく」と声をかけ レッスンに参加していたが、さすがにトップスターは忙しくレッスン途中で 誰かが呼びに来て中座してしまった。私は主役が充分にレッスンしてないので、 大丈夫か、と心配して後日、大劇場で観劇したが、さすがに寿美花代は舞台では、 見事な剣さばきを見せていた。

そんなことを思い出しながら、今回の招待観劇の案内を見ると宙(そら)組 の公演で、『イスパニアのサムライ』という歴史もののミュージカル劇と 『アクアヴィーテ! 生命の水』というショウである。主演は男役トップスター 真風涼帆、女役の主演は星風まどか。

ミュージカル劇は、1613(慶長18)年、仙台藩がスペイン(イスパニア) に派遣した慶長遣欧使節団の話である。その使節団の中に、夢想願流剣術の名手・ 蒲田治道の姿があった。国王フェリペ3世との交渉が長引き、港町セビリアの 郊外にあるコリア・デル・リオで無為な日々を過ごすこととなる。あるとき、奴隷 として農場に売られ脱走した日本人少女たちを助け出した治道は、匿う場所を探して 宿屋を営む女性カタリナと知り合う。近隣の大農場主から邪な欲望を抱かれながら、 どんな脅しにも屈しないカタリナの凜とした姿に、治道はかつて心惹かれた女性の 面影を見出していた。やがて任務を果たした使節団は帰国することとなるが、出航 の迫る中、治道のもとにカタリナが攫われたとの報せが入り、さあ、どうなるか、 という筋書きである。

宝塚歌劇専属の劇作家であり、この作品の演出を担当する大野 拓史は、ネットの 案内で次のように語っている。伊達政宗の命令により、支倉常長を筆頭に、太平洋 を渡りメキシコ経由でスペインに慶長遺欧使節団が到着したこと、そして蒲田治道 という人物がいたこと、また当時日本から売られて奴隷となった日本人女性が多数 いたこと、などは実際にあった史実である。そのことを踏まえ、使節団として派遣 された仙台藩士を主人公に、その侍らしい心情や異文化との出会いを色濃く描きあげ、 ヒロイックで快活な作品にしたいと思って、作り上げた。

私は主人公の蒲田治道が剣術の名手である以上、剣を使う場面があるだろう。 フェンシングをするのか、日本流の剣術をするのか、それを見るのが楽しみだと思った。

次のショウの『アクアヴィーテ! 生命の水』は、ウイスキーをショウに仕立てた ものである。この作者藤井大介は宝塚歌劇団の演出家であり、自らは「Bar大介」 のオーナーバーテンダーである。ウイスキーといっても、世界各国で作られ、それ ぞれ独特の味わいがある。アイリッシュ、スコッチ、アメリカン、カナディアン、 ジャパニーズ。その味わいを、宙組の各メンバーの歌と踊りと、その姿態で表現したい と語っている。そして、トップスターの真風涼帆は重厚感のあるスコッチ・ウイスキー のロック。女役のトップ星風まどかは,さわやかで甘いがコクのあるスコッチ・ウイス キーのソーダ割り。2番手だがトップに迫る勢いのある芹香斗亜はアメリカン (バーボン)の水割り。とも語っている。

私は宙組の人気のあるスターたちが、どうしてウイスキーの味を醸し出すような演技を するのか、見るのが楽しみになってきた。

開演の日、開演時間午後2時50分の30分前に行くと、大劇場前の広いロビーや廊下 は、多くの人で埋まっていた。老若を問わず女の人が多いように思った。

大和証券と宙組組長の寿つかさの挨拶があり、ブザーと共に第1場が始まった。牡鹿半島、 月の浦、藩主伊達政宗が使節団の出航を見送る場、勇壮に踊る鬼剣舞の一団の中の数人 が突然、政宗に襲い掛かる。伊達家に恨みを抱く和賀一族の生き残りの者たちである。 そこに剣道の名手蒲田治道が現れ、早くも日本刀同士の剣戟の場となった。治道は次々と 敵を切り捨て、騒ぎを納める。政宗は外に騒ぎを悟らせないように、治道も和賀の首領も 一緒に乗せて、船を出航するように命じる。

昔、フェンシングのレッスンをしたことのある私としては次の剣戟の場に注目した。コリア・ デル・リオの農場に売られ奴隷として働かされていた日本人の娘たちが脱走して用心棒 に追われているのを、治道が助けようとするが、刀を持っておらず追いつめられる。そこに 放浪の剣士アレハンドロが現れ助太刀するのだが、ここで洋剣対洋剣の剣戟の場が展開する。

この劇の登場人物にはもう一人剣士がいる。名門の剣術学校でその腕前を誇る、農場主の息子 エリアスである。エリアスは治道に決闘を申し込み、ここで日本刀対洋剣の決闘の場が作られて 観客は息をのむのだが、決着はつかずに終わる。結局、宙組の人気の絶大な男役の3人、 真風涼帆(治道役)芹香斗亜(アレハンドロ役)櫻木みなと(エリアス役)に、それぞれ剣士 として剣を振るわせて、舞台を盛り上げているのだ。私はこの男役3人がそろって背が高く、 動きも活発で以前に見た男役のイメージより、さらに男らしく演じている姿は素晴らしいと 思った。しかし半面、これらの決闘の剣戟場面は、上手くフェンシングの手法を使えば、 もっと面白くなる可能性がある、とも思った。例えば剣を巻き上げて跳ね飛ばす技術とか、 相手が攻めてくるのを急に立ち止まって突き刺す動作などである。

宝塚の殺陣(たて)舞台の今後の課題だとも思った。劇の最後は、宿の女主人公カタリナの 救出のため農場主の邸宅に乗り込んだ治道の日本刀対多数洋剣との闘いが繰り広げられる。 国王の農場での奴隷使用禁止の発令による、兵士の出動もあり、カタリナを取り戻した治道 は日本に帰らず、イスパニアの地にとどまりカタリナと共に暮らすことを決める。

パンフレットに書かれていた作家であり東海大学の太田名誉教授の話によると、派遣された26名 の使節団の内9人もの団員が日本に帰らずイスパニアに残り、地元の女性を伴侶として稲作などを して、軒を連ねて生活していた、とある。今でもスペインのこの地方には名前にハポン(日本)を 名乗り、「先祖は日本の侍だった」という人たちがいるとのことで、私は興味を持って面白く この劇を見た。

30分の休憩後、次の『アクアヴィーテ! 生命の水』のショウとなった。スターたちがどんな ウイスキーの味を醸し出すのか、期待していたが、歌を聞いて踊りを見ているだけではウイスキー の味や雰囲気は良く分からなかった。しかし、あの白井鐵造がパリから持ち帰って以来の宝塚の レビユーの華やかな雰囲気、タップダンス、男役と女役の息の合った踊り、一線に並び足を高く上げる ラインダンス、歌いながら観客席に降りてくる客席降り、などは実に活発で懸命にやっている空気が 伝わってきた。そして最後はあの舞台一杯の階段を主役のスターたちは、大きな羽を背中につけて 歌いながらゆっくりと降りてくる。そして宙組総出の大団円の踊りで終わる。ここで私も 『おお、宝塚』と思わずつぶやいた。

幕が下り、劇場から「花のみち」に出ると、観劇中、何もいわなかった妻が「宝塚ホテルが来年ここに 出来たら、この辺の感じは大きく変わる、やろうな」といった。「ホテルの1階と2階がレストランや 喫茶ロビーになるというから、何か食べるには便利が良くなるよ」と答えて、ふと思った。

「今、日本の観光地は外国人観光客でどこも一杯なのに、宝塚にはあまり見かけないのはなぜだろう」 私たちの時間帯は招待興行だがその前の時間帯の客として、入れ替えで出てくる人たちにも外国人は見 かけなかった。ネット上でも、1割には満たないと書かれている。海外公演は今まで十数ヶ国に及び、 すべて大変評判が良かったといわれている、日本独特の女性の演じる歌劇團である。海外への伝達宣伝、 チケット予約の仕方のPR、海外旅行業者との提携などを積極的に進めることにより、スターの体格も 技能もレベルの上がつて来ている状況では、海外から宝塚歌劇を見に行こうという、人たちが増えても 不思議ではない、と私は思うのである。

宝塚南口にあった大正15年創立で歌劇団オフィシャルの名門宝塚ホテルが大劇場の西側に移転して きて来年5月14日に開業する。これをきっかけに世界中から『おお、TAKARAZUKA』と憧れ の声に包まれる歌劇になってほしい、私は心から期待している。

(令和元年11月27日)

********
宙 平
********