思い出話 「事務機器について(和文タイプライター)」 |
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中村 清より
思い出話 「事務機器について(2)」
前回の英文タイプライターに続いて、今回は和文タイプライターについて、思い出を語らせて頂きます。
私が小学校の4年生頃であったと思いますが、家に和文タイプライターがあって父が時々使っているのを見ておりましたが、私は触らせてはもらえませんでした。昭和20年6月の空襲で家も家財も総て焼かれてしまったので、それ以後和文タイプは見ることも触る事もありませんでした。
欧米の言葉は表音文字であるアルファベットを並べて単語を作りそれが意味を表すのですが、表意文字である漢字と表音文字の仮名を組み合わせて文章とする日本語は我々 日本人にとっては読み易くその意味も理解しやすいのです。しかし漢字は、使用頻度の高いJIS第1水準だけでも3,000近い文字があり、その活字がどのように並べられていたか、測ってみたわけでは有りませんが、縦30cm横50cm(或いはもう少し大きかったかも)位の枠にぎっしりと漢字の活字が2段になって詰まっていたように思いました。
活字は逆向きに並んでおり、それをピックアップして紙面に打ち付ける仕組み、求める活字を探してカチャンと打つ、又探してカチャン、探して探してカチャン、このようにして一つの文書を作り上げるのに相当な時間を要した様でした。 もっともプロのタイピストであればそれなりのスピードで打っていたのでしょうが、それにしても英文タイプに比べれば、同じような長さの文章を作るのに、より多くの時間を費やしていたのではないでしょうか。
先般のメールで池上忠士さんも西宮市役所市民課で和文タイプをご利用になっていたとか、人名・地名を主とする個人データの処理などは特に大変だったと存じます。その昔、戸籍謄本は手書きで青焼きコピーしたものであった事を思い出しました。
和文タイプライターに関連して、次のような話が思い出されました。
昭和40年前後の頃と思いますが、大阪船場にある大手総合商社の中の或る会社で、創業者の提唱で、和文タイプライターなどを使って時間をかけて文書を作っていたのでは、日本は国際競争より脱落する、それに打ち勝つためには日本語の文章も仮名タイプ(英文タイプと同じような構造でカタカナだけを打つ)を使って作る事、表音文字のカタカナだけでは読みにくいといっても、慣れれば出来ると主張され、漢字を使う事を一切禁じられたものです。「CI社のカタカナ主義」とか云われていましたが、社内の各事務室の部署名表示も総てカタカナ、ユシュッセンイジギョウブ、メンシフブ、キヌカセンブ (漢字で書けば、輸出繊維事業部、綿糸布部、絹化繊部)など、外部から来た人は何のことやら読むのが大変、又同社から来る文書、納品書、請求書なども、宛先名、商品名等すべてカタカナ、私の居た会社もこの会社と多少の取引があったのですが、「あの会社から来る伝票は見難うてしょうないな」と愚痴をこぼしておりました。
この会社の偉大な創業者といえども、当時としてはワープロやパソコンなど夢にも考えられず、平仮名で入力し変換キーを押すと瞬時にして漢字が出てくる、同音異語であれば次候補、次候補と押してゆくと求める漢字が出てくる。更に学習機能で、一度決定して使った字は次回以降優先して出てくる。
こんな便利なものが世に出てくるとは、当時としては夢のまた夢であったでしょう。それが僅か10数年で実現し、現在では当然のようにして使われている次第です。
次回は更に興味ある事務機器について語らせていただきます。ご期待ください。
以上
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