From Chuhei
 
 
私が9月に7日間入院していた、大阪中崎町の大阪北逓信病院です。
 
 

 

   お尻のトラブル   

 

 

 

 三年前、九八歳で亡くなった私の妻の父が、昔から会うたびによく言っていた。

 

「年を取ると食べる事より、食べたものを出す機能を持つお尻を大事にしなければ

ならない」

 

 最初のうちは、その意味が良く分からず「何を言っているのだ」と思っていたが、

私も自分が歳を重ねてくると、痛切な言葉として感じられるようになった。

 

 七〇歳を越える頃から、肛門から直腸が脱出するようになった。今までは排便のと

きに脱出することがあったが、すぐに元に戻った。ところが、排便と関係ないときに

脱出して困る事が多くなった。それに痛みも感じられ気持ちも悪いことが多くなった。

 

 医院や病院の肛門科へいって、診断してもらった。そこで分かった事は、多くの肛

門科は痔の各症状の対応はするものの、腸の脱出などには、あまり積極的な対応をし

たがらないと言う事であった。塗り薬は処方するものの、根本的にどうすればよいか

はっきりしない事が多かった。

 

 神戸住吉にある渡辺肛門医院に行ったときに、そこの若い先生から「これは、直腸

脱です。肛門を引き締める役割をする括約筋がゆるんできて、直腸が外へ脱出するも

のです。治療は手術しかありませんが、直腸自体や筋肉を扱うものだけになかなかに

難しい手術です。私のところではこの手術はやりません」といわれた。

 

 調べてみるとお尻から内臓が飛び出す「脱出病」というのは、「直腸脱」のほかに色

々あることが分かった。先ず、「鼠径ヘルニヤ」がある。股の付け根の腹膜の突起の

なかに、腸が入り込む病気である。ところが、これを「脱腸」とも呼ばれるからやや

こしいのである。

 

 そして「脱肛」は痔核が肛門から脱出するもので、痔の症状である。が、単に腸が肛

門から脱出する事も「脱肛」というからこれまたややこしいのである。また肛門から

ではないが女性には子宮脱という症状もある。

 

 今年の六月はじめ、私は直腸脱の手術をしてくれる病院と医師を、インターネット

で探してみた。が、痔の手術に比べて圧倒的に少ないのである。先ず兵庫県には実績

のありそうな病院がなかった。関西では大阪逓信北病院の斉藤先生と、京都の洛和会

音羽病院の加川先生が直腸脱に関して経験の深い医師として検索することができた。

私は早速大阪逓信北病院肛門科に電話してみた。

 

 斉藤先生との診察の予約は、なんと一ヶ月先の七月四日と決まった。このような先

生には患者が殺到しているのである。

 

 診察当日、先生は私の肛門を見るなり、「直腸脱です」と言った。そしてその場で

手術日も九月一一日と決まった。その方法はデロルメ法の手術を行い、肛門の輪を縫

縮するチールシュ法も合わせて行うことになった。

 

 直腸脱の手術の方法には、色々あって先ずは、腹を切って、腹から腸を引っ張り上

げるというのがある。また、出ている直腸を切り取って肛門と結び付けるというのも

ある。しかし、これらの方法は私の七六才の年齢から無理があると、先生は判断され

た。そのほか腸に結び目を複数作って短くして押し込むというのもある。この方法は

比較的楽だが、元へ戻ってしまいやすい。デロルメ法というのは、直腸の粘膜を剥ぎ

取り、直腸の筋肉を縫いちぢめていく方法である。

 

 手術日の前日から入院して、午後九時下剤を飲んだ。そして手術日の七時三十分浣

腸をした。その後は水も飲めない。そしてT字帯(簡単な布一枚の褌)だけの上に手術

着を着て十時三〇分手術室に歩いて行った。

 

 手術台の上には、手術灯が輝いてその周りを緑色の施術服にマスクと手袋をした斉

藤先生と補助医師、他看護師ら五人が取り囲んだ。腰に腰椎麻酔が打たれ、うつ伏せ

に寝かされたが、麻酔が効いてきて、下半身がどうなっているか何も分からなくなっ

た。ただ右手に常時計測の血圧計をはめられ、左指には血中酸素濃度を計る器械が付

けられて、心電図と共にそれぞれのモニターにつながっている。

 

 やがて、バックグランドミュージックが流れているのに気が付いた。その曲は「太

陽がいっぱい」だと思ったその時、腸が少し引っ張られる気がして、下腹部と胃が痛

くなった。そして、ゲップが出て吐きたくなった。

 

 口の下に嘔吐皿が置かれたが、朝からなにも飲み食いしていないので、何も出ない。

その時ブッと音がして、先生のアッという声と笑い声が聞こえた。後で聞くと、この

とき直腸の先から液体が噴き出して、先生の施術服を汚したらしい。肛門外科の先生

は大変な仕事であると思った。

 

 手術時間は四〇分から五〇分までと聞いていたが、一時間を越えて少し不安になっ

た。時計は目の前で時を刻んでいるが、うつぶせの姿勢を続けるのが疲れてきた、そ

の上相変わらず胃が痛い。果たして手術は上手くいっているのか? 難航して時間が

かかっているのではないのか? こんな大層な手術をして、その後便が普通に出るの

だろうか? 自分で探してきて、自分で決めた手術だ。どうなろうと仕方が無い。

 

 やがて時間は一時間半をこえた。もうやめてくれ! 早く仰向けになって眠らせて

くれ! そして、一時間四五分になって、がやがやと声がして医師達の雰囲気が変わ

り、手術は終わった。

 

 妻もこの日は、手術室の前で待っていて、予定時間を越えても終わらないので心配

したそうである。しかし斉藤先生が出てきて礼を言って尋ねると「時間がかかりまし

たが大丈夫です。慣れていますから」と妻に話しかけたそうである。

 

 ストレッチャーで病室に戻ってきた私は点滴の管につながれていた。その後斉藤先

生の診察があり、私の直腸は肛門より一三aも脱出したので、思った以上に縫いちぢ

めるのに時間がかかったということであった。先生の経験では最近では一番長く脱出

した直腸の長さだったそうだ。「記録ですか?」と聞くと以前には、女の人で三〇a

も脱出した人の手術をしたという話しであった。

 

 その日の夕方には食事が出来て、翌日には少し痛みながら便が出た。看護師は毎日

変わったが皆同じように体熱と血圧とお尻の検査をした。そして六日後の九月一七日

に退院した。肛門の周りを縫いちぢめた糸を抜いたのはそれから七日後の二五日、外

来診療であった。

 

 私も最初から分かっていた事だが、この直腸脱という症状は、手術をしたからすぐ

に何もかも良くなって私の若かった時のお尻に戻るというわけではない。

 

 直腸は脱出しなくなったが、私の腸や肛門にとっては、大革命が起こったわけだか

ら、しばらく回復には時間がかかる。

 

 第一は毎日規則正しく、一定時間に便が出るように、自分自身を躾けていくことで

ある。まだ、腸や括約筋の神経が混乱していて思わない時に、急に便意を感じること

が、しばしばあるからである。当分は念のため下着にナプキンを付けるようにと言わ

れている。。

 

 また、食事は刺激物をさけ、酒も適切にして整腸を心がける事である。特に便秘や

下痢は避けないと、手術した腸を痛める事になる。

 

「お尻が筋ボケすると健康が逃げていく」と言われている。筋ボケさせて直腸まで脱

出させたのは、私の長年の生活習慣にも責任がある。会議や競技の前に神経質にトイ

レでお尻に過度の緊張を強いてきた。その報いが年老いて症状となって出てきたので

はないだろうか。もうこれからは、筋ボケさせないようお尻と大切に付き合おう。も

う無理な緊張をすることは止めよう。お尻には強い圧力はかけない。そして常にやさ

しく、しなやかに活性化するように努力しよう。

 

やはり、義父がよく言っていたように、年を取ればお尻は一番大切にしなければな

らない場所なのである。

 

 

■■◆      宙 平
■■■     Cosmic Harmony
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