From Chuhei
 
 

『窓から逃げた100歳老人』

 

 

 2005年5月2日月曜日、スエーデンの老人ホームのラウンジでこの日、100歳になった入所者の

アラン・カールソンの誕生日のパーティが催されることになっていた。ところが、そのパーティの主役の

この老人は出席するつもりはなく、1階の窓を開け放つや、外の花壇に出て逃亡したのである。

 

「なぜ? この100歳老人はどうなるの?」

 

「この本の100歳と出ている章を読んでください」

 

「この100歳老人はどんな人なの?」

 

「この本の9歳から100歳までの章、分かれていますが、それぞれを読んでください」

 

 そうすれば、20世紀の時を越え、地球全域にわたる、余りにも破天荒で痛快な老人の生涯のハチャメ

チャさに、貴方は本当に笑ってしまうだろう。そして老人ホームでじっとしている100歳でないことは、

分かってくるだろう。最後はどうなってしまうのか? 貴方は気になって仕方がなくなるであろう。

 

 この本の作者は、ヨナス・ヨナソン。スエーデンのヴェクスユで1961年生まれ、イェーテポリ大学

で学んだ後、ジャーナリストとして活躍した。が、健康を害し田舎に移り住んで、小説の執筆を始める。

2009年に発表した処女作『窓から逃げた100歳老人』はベストセラーになり、30ヶ国語に翻訳さ

れ、2014年に映画も公開された。

  

 私はこの本の題名に惹かれて、この本を購入した。確かに面白い。しかし100歳から進行する話のなか

に、章を変えて、9歳からの過去の話が入り、また100歳の話に戻る、これを交互に繰り返されているの

で、私の頭は、混乱してきた。そこで、主人公アラン・カールソンの9歳からの彼の経歴のあらましを時系

列的に書き並べて見ることにした。

  

9歳から24歳(1905〜1929)

 

 アランは1905年5月2日生まれ、父親はロシア革命に影響されロシアに渡るが、そこで死亡する。

その後母も失うが、彼は子供の時から使い走りをしていたニトログリセリンを作る工場で働き、やがてダ

イナマイト会社を始めるすべての知識をこの工場で学ぶ。さらに独学で爆発物を研究し、実験として調合

した火薬を河原で試していた。ところが火薬を仕掛けた場所に偶然自動車で突っ込んで来た男を爆発で

吹き飛ばしてしまう。アランは拘束され精神病院に4年間も収容される。

 

《アランは爆弾マニアだ! 20世紀は戦争の世紀! 世紀が爆弾マニアをつくった》

 

24歳から34歳(1929〜1939)

 

 アランは爆薬の知識を買われ、大砲を作る鋳造所の点火専門員となる。そこで同じ専門員のスペイン人の

青年と知り合う。スペインの王政が倒れたことを聞いた青年は故国に帰ることを決意する。アランも青年と

内戦中のスペインに渡り、共和国軍側の橋梁爆破作戦に参加し成功したが青年は戦死する。折しも、反乱軍

側の大元帥フランコ将軍が爆薬を仕掛けた橋を渡ろうとするのを、アランが止めて助けたため将軍の知遇を

得て、リスボンから国外に船で出られる将軍の推挙状をもらった。

 

《フランコ将軍は、日・独・伊3国同盟や満州国を認めていた将軍と私は覚えている。スペイン内戦はピカソ

の絵「ゲルニカ」で有名》

 

34歳から40歳(1939〜1945)

 

 アランの乗ったスペインの船は第2次世界大戦勃発のため、アメリカのニューヨークで拘束される。「爆

弾の専門技術者」と主張するアランは、ロスアラモスの国立研究所に送られる。爆弾の知識の深いことを認

められ、物理学者オッペンハイマーの下働きとしての仕事を与えられる。秘密裏に原子爆弾の開発を進めて

いたオッペンハイマーは、その起爆の方法で行き詰っていた。アランは爆薬を使って起爆を制御する方法を

提言する。これにより原子爆弾の完成を確信した副大統領トルーマンはアランを食事に誘う。その時ルーズ

ベルト大統領のの知らせが届き、トルーマンは大統領となる。

 

《トルーマンはソ連の日本への参戦を知り、戦後の日本占領地域をアメリカ有利にするため、ソ連の参戦前

に原爆の使用を急いだ》

 

 40歳から42歳(1945〜1947)

 

 トルーマンはアランに中国の国民党総統蒋介石の夫人宋美麗を引き合わせる。宋美麗はアメリカ留学時ル

ーズベルト大統領夫人と親友であり、アメリカの中国国民党軍支援に影の力を果たしていたが、トルーマン

としては、中国の内戦の状況から共産党軍の侵攻を食い止めるため橋の爆破をアランに託すことにした。ア

ランは宋美麗とともに中国に渡るが、毛沢東の率いる共産党軍の勢力は一層強くなっていた。アランは国民

党軍に捕らわれていた毛沢東の妻、江青の脱走を助けてチベットに逃れる。アランはヒマラヤを越えインド

からアフガニスタンに出て、たどり着ついたイランでは刑務所に収監されてしまう。

 

《当時、宋美麗はすごい美人だと聞いていた》

 

 42歳から43歳(1947年〜1948)

 

 イランの秘密警察は、アランが爆薬の専門家であることを知る。折しもチャーチル英国首相の訪問が予定

され、首相の暗殺計画に、アランは爆薬の調合とセットを担当させられる。計画直前に爆薬をすりかえ、イ

ランの警察長官を爆発で吹き飛ばして、その隙に逃げ出し、テヘランのスエーデン大使館に保護を求める。

トルーマン大統領から、スエーデンのエルランデル大統領に身分証明書の発行を頼んでもらって、11年ぶ

りにスエーデンに帰国することになった。

 

《イランは、石油国有化を巡り当時のイギリスと微妙な関係が続いていた》

 

 43歳から48歳(1948〜1953)

 

 故国スエーデンに帰ったアランの前に、ソ連の物理学者が現れる。その時スターリンは早急な原子爆弾の

開発をベリヤ元帥に命じていた。それをアランに手伝って欲しい、という。アランは潜水艦でモスクワに運

ばれ、スターリンに会う。が、会食の席でアランが、フランコ将軍を助け、アメリカの原子爆弾開発に協力

し、チャーチルの暗殺を妨害したことを話し出すと怒って、アランをウラジオストックの政治犯収容所に閉

じ込めてしまう。そこでヘルベルト・アインシュタインに会う。あの有名な物理学者アルベルト・アインシ

ュタインの弟である。兄と間違えられソ連に拉致されて収容所に入れられていたのである。

 

《必死になって原爆開発を急いだソ連は、1949年8月に核爆発実験に成功した》

 

 48歳(1953)

 

 服役して5年後、ウラジオストック港に山積みになっていた北朝鮮向けの武器弾薬のコンテナを爆発させ、

それが街中に引火して大火災を引き起こす。それに乗じて、アランとヘルベルトは軍服と書類と車を奪いソ

連の高官になりすまして、北朝鮮に逃れ、金正日を通じて金日成に面会を求める。金日成は二人が偽物であ

ることを見破り、その場で銃殺されそうになる。ところがその時、訪れていた中華人民共和国主席毛沢東が、

自分の妻江青を助けたアランと分かり、二人を引き取り多額のドルと、偽造ではあるが英国のパスポートを

与へ国外脱出の便宜を図る。二人はインドネシアのバリ島に向かう。

 

《朝鮮戦争ではウラジオストックから北朝鮮向け武器弾薬が出ていたのは事実だろう》

 

 48歳から63歳(1953〜1968)

 

 バリ島でヘルベルトは、現地の女性アマンダと結婚し、二人の男の子もできる。やがて、そのアマンダは

政党を結成、地方知事となる。数年後にはインドネシア駐仏大使に選ばれ、フランスのパリに移る。アラン

は大使館員の通訳としてヘルベルトとともにパリに向かう。

 

《アランは語学の天才で、各国語を覚えるのが実に早い。この点はダイナマイトを発明してノーベル賞で有

名な、アルフレット・ノーベル(1833〜1896)に似ている》

 

 63歳(1968)

 

 アマンダの通訳として、ドゴール大統領とジョンソン大統領の昼食会に出席したアランはその席にソ連の

スパイがいることを両大統領に告げる。モスクワで知っていた顔だったからである。ジョンソン大統領はア

メリカCIA長官を紹介して、アランにモスクワでソ連の原爆開発の上級物理学者ユーリ・ボリソヴィッチ

と接触しソ連の核に対する情報を探るように依頼する。ユーリはかつてアランを潜水艦でモスクワ運んだ物

理学者である。

 

《パリでのベトナム和平予備会談の時か?》

 

 63歳から77歳(1968〜1982)

 

 ユーリと再会したアランは二人で話し合って、両国の核軍縮のために、ソ連とアメリカにそれぞれ虚実の入

り混じった報告書を送ることにした。この報告が功を奏したのかニクソン大統領とソ連のブレジネフはやがて

戦略兵器削減条約に署名することになる。そしてユーリとその家族はアメリカに渡り、アランはスエーデンに

帰り年金で暮らす事になった。

 

《削減条約は核弾頭数やミサイル数に及ぶ》

 

 77歳から100歳(1982〜2005)

 

 アランは家を買い、やがて猫を飼うが、その猫を襲う狐を退治しようと仕掛けた爆薬が、保管してあるほか

の爆薬に引火して家が吹き飛んでしまった。老人ホームに収容されたアランは、規則でがんじがらめなのに嫌

気がさし、100歳で死のうと思う。死ぬチャンスはその時しかない。思い切り酒を飲んで死のうと思いたち、

100歳になった正にその日、アランは公営酒販店目指して、禁酒厳守の老人ホームの窓から逃げ出したので

ある。

 

《アランは常にウオッカをこよなく好んだ》

 

 さて、ここからアランの100歳逃走劇が2005年6月16日木曜日まで続く、そして最後の章エピロー

グで終わる。私はその逃走劇を続けて書く前に、先にエピローグを紹介してしまうことにする。アランは死な

なかった。それどころか、未亡人となっていたあのアマンダと結婚して、インドネシアバリ島に住んでいた。

アマンダの息子達は既に立派に成人して長男は高級ホテルを経営していた。アマンダ85歳のとき(アラン

101歳)アランはノートパソコンをアマンダに贈った。それを使いアマンダはブログに夫アランの世界中を

駆け巡った冒険や旅を書き込んでいった。それを読んだインドネシアのユドヨノ大統領からアランのところへ

使いが来た。「我が国の核爆弾の開発に協力してほしい」とのこと。いつになっても爆弾から離れられないア

ランであった。

 

 アランは老人ホームの窓から逃げ出してから、どこか遠くへ行きたくなり、バスターミナルでバスを待って

いると、若者からスーツケースを見ていてくれと頼まれる。トイレのドアが狭くてスーツケースが入れないか

らだ。ところがバスが来てアランはスーツケースを持ったままバスに乗ってしまう。

 

 ここから、逃走劇が始まる。スーツケースには5千万クローネ(約7億5千万円)が入っていた。犯罪組織

「一獄一会」の親分がブツ(麻薬)を売った金を子分に運ばしていたものである。追いかけるのはトイレから

出た若者、親分から命令された別の子分、そして警察のアロンソン警視。逃走途中、アロンは知り合った中年

の男ユリウスと追いついてきた若者を冷凍室に閉じ込めて殺してしまう。

 

 その死体を外国に送られるプラスチック容器に隠し、さらに屋台の持ち主ベニーに多額の金を渡し、車の提

供と運転を頼む。そして森でベッピンと呼ばれる女性に会う。ベッピンはサーカスから逃げ出した象を飼って

いる。その象の傷を獣医の資格のあるべニーが手当をする。ベニーはバスを買いそれに象が乗れるように改造

する。その時現れた子分の一人は象の糞に滑り象に圧し殺されてしまう。死体をトランクに入れられた車はボ

ンコツ車として海外に売られる。象が乗ったバスを見つけた親分は車で追って来たが、バスに追突。怪我をし

てバスに乗せられ、ベニーの兄のところへ行く。そこで、親分とベニーの兄はかっての悪事仲間の義兄弟だっ

たことが、そこで分かる。

 

 結局、親分の血のついた車を発見した警察は3人の男が行方不明で3重殺人として、アランらに逮捕状を請

求する。が、2人の死体は遠い外国で見つかり、一人(親分)は生きていることが分かり、検察官は逮捕状を

撤回してしまう。アロンソン警視も結局用が無くなり、仲間に加わり、逃亡していた皆がアマンダの待つイン

ドネシアへ象の乗れる特別仕立ての飛行機で向かったのである。

 

 私はこの物語から、「爆弾マニア」アランを巡って、爆薬・爆弾・原爆・核に振り回されている世界のトッ

プ政治家たちを、大いに揶揄して、笑い飛ばしている作者の顔が見えた。どこの国のトップも爆弾が好きで、

今やその本心は核爆弾を持っておきたいのだ。日本とて例外ではない。核爆弾開発に転用可能な原子力発電を

廃止せず、ミサイル技術に通じる宇宙ロケットに力を注いでいながら、表向きは非核3原則をとなえている。

最後にあのユドヨノ大統領も核爆弾の開発を101歳に求めてきた。そして、世界は核爆弾保有の腹の探り

合いの中で回っているのだ。「爆弾マニア」アラン万歳! である。

 

 しかしやがて、深刻な内戦の続く国家や、テロ組織も核爆弾を手に入れる時が必ずあって、人類全体が「核

爆発汚染破滅」の序曲を不気味に奏で始めるのである。

 

                           (2015年9月19日)

 

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宙 平

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