森を駆ける、世界の老人たちの祭典

From Chuhei
 
 
オーストリアの森で行われた世界マスターズオリエンテーリング選手権大会で、私は91歳のランナー、フィンランドのエリッキさんと出会った。写真はスタートへ向かうエリッキさん。
森の中で戦った後、みんなゴールを目指して駆ける。
その後は裸になってくつろぐ。
 
日本の旗を手に取る私
 
 
 
       
森を駆ける、世界の老人たちの祭典

 

 

 

「オオ! ナインティ!」私は思わず一人の老人ランナーに声をかけた。

そこはオーストリア、ナウスタッドのウィッスベルグの森であった。世

界マスターズオリエンテーリング選手権大会最終日、(2006年7月8日)

道からそれたスタートの地点には、各国のランナー達が自分のスタート

時間を待って群れていた。

 

「オオ! ジャパン!」彼は私の胸のゼッケンを見て言った。ゼッケン

には国名、年齢別クラスが記されていた。年齢別は35歳台から、5歳

刻みで90歳台まである。私が声をかけたのは、彼が90歳台のゼッケ

ンをつけていたからである。

 

 彼はフィンランドのランタモ・エリッキさんであった。その日に私が

ゴールした後で分かったことだが、彼は、今91歳である。そして過去の

この大会では男子85歳代でのチャンピオンである。少年時代からクロ

スカントリースキーに親しみ、スキーオリエンテーリングでも幾度か優

勝している。戦争で2度も戦傷を負ったが、いまでも足腰軽く森の中を

駆け抜ける。この時も元気で、私に手を振ってスタート枠に入っていっ

た。

 

 彼のこの日のコースは2,823キロ、登り40メートルである。これは男

子80歳代のBクラス及び、男子85歳代と同じである。そしてチェッ

クの必要なコントロール数は8。距離は短いといっても、平坦な所を行

くのではない。藪、沼地、凸凹な地形等に対応しながら、地図を読み、

コンパスの示す方向に進んでいくのである。目的のコントロールを発見

すると、その器具穴に、電子キイ(SI)を差し込む。そうすれば時間

は自動的に計測されるのである。

 

 彼がスタートして行った後、10分後いよいよ私の番となった。私の

クラスは男子75歳台のB。距離3,382キロ、登り80メートルである。

コントロール数は12。

 

 ビーという発進を知らす音とともに、地図を受け取り、すぐさま地図

上の第1コントロールの位置を確認し、その方向にコンパスを定め走り

出した。地図は1万分の1、等高線は5メートル間隔で記されている。

オリエンテーリング競技用に作られたもので、小さい岩、亀裂、土崖な

どすべて書き込まれている。また草むら、藪、などもグリーン色の濃淡

で、通行可能度が示されている。

 

 それぞれのコントロールには課題があり、私のコースの@は、溝の交

差にあるとされている。しかし広い森の中で、下草もあり溝などはどこ

にあるか分からない。コンパスの指し示す方向に、距離を見計らって進

むより仕方がない。5分7秒で発見。SIキーを差し込むとピーと音が

鳴る。次のAは沢の上部にあるとされる。地図を見ると直線で4センチ

だから400メートル北東にある筈だ。森の中の路なき平地を突き進むと、

大きな沢にぶっかった。ところが私はその沢の中に降りてしまって、そ

こら中をうろうろ探す始末となった。本当は大きな沢に入る手前の枝沢

の上部にあったのだ。ここだけで15分58秒かかった。スタートして

からは21分05秒経っている。これは遅れた、急げ、急げ。

 

 次のBへは350メートル西だ。6分36秒かかった。このような調

子でEまで走り進んだとき、男性のランナーが、地図を示して現在地を

聞いてきた。現在地を見失って迷っている人が多くいるのだ。「ヒアー」

と指で押さえると「サンキュウ」と声がかかる。こんなことで時間を取

りたくないが、これは相身互いなのだ。私は今回、一度も場所を他のラ

ンナーに聞くことはなかったが、初めて外国での競技に参加したときは、

迷いに迷って、「ウエア?」「イズヒア?」とかを、ランナーをつかま

えては、連発したものである。

 

 Fから凹凸の地形が重なる微地形地帯に入る。コントロールの位置も

コブとコブの間、とか、穴、凹地の北東とかが、多くなる。慎重に地図

を読み、コンパスで方向を確かめる。

 

 またもや、女の人が現在地を聞いてくる。微妙なところでは、地図か

ら目を放せないので、私の地図を指で押さえたまま、見せるだけである。

こうしてなんとか難しい地帯を乗り切って、Iまで来た。ここまでくる

と、ゴールの広場からの大きなスピーカーの声が聞こえ、多くのランナ

ーがゴールの方向に、走って行くのが見える。私もランナーの群れの中

に入って走った。Kの最終コントロールは広場の中にある。

 

 だが待てよ! Jがある筈だ。その位置説明は、亀裂の終わりだから、

森の中だ。一瞬ゴールを目の前にしながら、現在地が分からなくなった。

落ち着け! そこから広場の北西の森に突っ込んでJを取るのに9分40

秒を要した。そして、Kをマークし、広場を走ってゴール。私の要した

合計時間は1時間1205秒。

 

 私の男子75歳台Bクラスは、出走者が全員で54名いた。その内日

本人は私1人である。1位はスエーデンのラージョナスンであった。4

6分16秒で走っている。私は21位である。完走者は33名だから、

コントロールを全部見つけられなかった人が21名いることになる。完

走者でも2時間5805かかった人もいた。

 

 ヨーロッパの諸国はオリエンテーリング競技では、先進の国々である

から、残念ながら日本始めアジアの国々の参加者は、ヨーロッパのベテ

ラン達には、スピードも技術も未だ追いつかない。たいていどのクラス

でも成績表の順位の最後の方に、並んでいる場合が多い。だが私は男子

75歳台クラスというのに期待していた。日本で行われる競技ではこん

なクラスはない。あれば今ならメタルが取れる。この大会でも少しは上

位の順位に食い込めるのではないか。だがその期待は見事に吹き飛んだ。

ヨーロッパの75歳台に出場する男達の多くは、猟犬のように森を疾走

した。彼等に狩猟民族のDNAを感じたほどだった。

 

 したがって、この最終日の決勝の前、7月5日と6日に行われた予選

大会の結果、AとBのクラス分けがおこなわれ、私はBクラスに入れら

れてしまった。そのBクラスのコースでの成績が21位だったのである。

 

 私にとっては、この激しい森のスポーツに、男子75歳台AB合わせて

110人、女子も入れると138人、80歳台は男女で45人、85歳台は12

人、90歳台ではエリッキさんが参加していることが驚異だった。そし

て60歳台では男女678人、65歳台で男女570人もいる。70歳台で男女

338人だ。 よし! こうなったら、80歳でも85歳でも、90歳まで

も参加して、いつかメタルを取ってやるぞ! ヨーロッパ人たちに負け

てばかりおれるか! と私は思った。

 

 年を取れば、まず目がかすんで地図が読めなくなる。膝が痛み始める。

腰が痛くなる。心はあせっても足が動かずスピードが出ない。しかし、

皆この年代のランナー達はこのような問題を乗り越えて、参加している

のではないか!

 

 あの90歳台のエリッキさんは、そのコースを44分17秒で完走した。

このコースは男子85歳台のコースと距離、高さとも同じであった。そ

の85歳台の1位の時間が44分57秒であるから、エリッキさんは85

歳台で出場したとしても、優勝しているのである。すごい! しかしや

がて、日本からそんなランナーが出る日がきっとくるぞ

 

 今回のワールドマスターズオリエンテーリング大会は7月1日に始ま

り、ウオームアップ大会や、パークレース、モデルイベントそして、

予選大会、決勝大会をへて8日に閉幕した。世界の参加国は41ヶ国に

及び、参加人員は4091名であった。日本人36名の内、私たち18名の

グループは、ウイン郊外のホテルから地下鉄と鉄道とバスを乗り継いで、

1時間半かけ毎日、それぞれ決められた大会の会場へ通った。

 

 どの会場でも毎回毎回、生き生きと、ゴールへ走りこんでくる老人達

の姿があり、それを放送する活気ある声から、この祭典への熱気が伝わ

ってきて、私自身も大いに燃えて過ごした日々であった。

 

 

蛇足

 ウオームアップ大会やモデルイベントは、トレーニングための大会で

ある。パークレースはノースタッドの町全体を森にみたてて、コントロ

ールをあちこちに置いて、町中でオリエンテーリングをする。この後で

各国の入場行進がある。これは75歳台男23名中私は6位だった。 

 

 


  ∧
  <○> ─−‐- - - - -  -  -  -
  ∨  宙 平Cosmic harmony