さくら夙川駅    宙平氏  平成19年3月24日投稿

From Chuhei
 

3月18日(日)開業のJRさくら夙川駅、当日午後5時半頃です。
 
 
新しい駅に当日降り立った切符。と、夙川JR線南の日切地蔵尊のお堂です。
 


 

さくら夙川駅    

 

  

 地蔵堂のおやじさんへ

 

 今年の三月十八日にJRは、さくら夙川駅を新しく開業しましたよ。貴方が「駅が出来るまで俺は生きていられるかな」と言っておられた言葉が今でも私の耳に残っています。

 

 東海道本線(JR神戸線)と夙川が交差する西南の土手の上に日切地蔵尊を祭る地蔵堂があります。貴方はいつもその地蔵堂の前の公園のベンチにすわっておられました。急な雨に私がこのお堂で雨宿りしているとき、貴方も入ってきて、ここにある置き傘を使っても良いのですよ、と話しかけられたのが始まりでした。傘を返しに行ったときも貴方に会って、それから後も、時々そのベンチで話しをするようになりました。

 

 貴方は私より、四歳か五歳上で、当時八十歳位のお年のように思えました。仕事の引退後、病で入院し、そして病院を退院してからは、家の近くの夙川の土手をゆっくり歩いて、このベンチで休むのを日課としておられていることも分かってきました。

 

「膝を痛めていましてね。あまり歩けないのですよ」と淋しそうに語り、そのうち出来ればこの夙川を上流まで行って見たいと、話しておられましたね。私が西宮のシルバー人材センターの会員に入っていることを話すと「良いことですね。年を取ると、地元の人とのつながりが大切ですよ」と言っていただきました。私はいつか貴方のことを、地蔵堂のおやじさんと呼ぶようになりました。

 

 その頃、JRが西ノ宮と芦屋の間の、この付近に新しく駅をつくるということが伝わっていました。貴方は若い頃、鉄道の多くの駅を回って仕事をしていたと話し、近くに駅が出来れば、久しぶりに故郷の信州の山の見える所へ旅行したいと語っておられましたね。実際どのような仕事をやっておられたのか聞けなかったのですが、貴方の旅をしたいと言う気持ちは伝わってきました。そして、遠いところへ行くとき足が悪いと梅田や三宮でJRに乗り換えるのが大変だから、近くに駅が出来るのは有難い、と言われていました。

 

 私は毎日軽くジョキングをしたり、散歩をしたりしていますが、地蔵堂へ立ち寄ることが多くなりました。貴方がおられないと、どうされたのか気になるようになりました。

久しぶりにお会いしたとき、やはり新しい駅の話しになりました。私は阪急の「夙川」も阪神の「香櫨園」も夙川の上にプラットホームのある駅だから、JRも川の上に駅を作るのではないかと言ったところ、貴方は「何処に出来るか。一度心当たりがある人に聞いてみよう」と言われました。

 

 それから又、しばらくたってお会いしたとき、貴方はすぐに「駅はね。夙川より一筋東にある県道、大沢西宮線の上ですよ」と言われました。貴方のお話しによると、JRは先に同じ神戸線に作た、甲南山手駅の成功もあり、地元から特に要請したわけではないが、夙川に駅を作る計画をして、西宮市に相談した。西宮市は前から、JRの西ノ宮駅の駅名に『ノ』の字があるのが市名と一致しないので『ノ』をなくすよう何度も要望していたが、JRはそのための費用の二億円を西宮市に負担して欲しいと主張をしていた。

今回の新駅開業の機会に,市は『ノ』を、それほど費用を負担せずになくすことをさらに要請した。そして新駅の場所は県道の大沢西宮線の上を提案した。この県道は前から拡張工事が行われていたが、JRのガード下が狭いのが最大のネックであった。JRが新駅に伴い県道のガードの拡張工事をすれば、兵庫県を通しての補助金も出るからである。そして市としては、新駅周辺の整備や駐輪場などを設けることもJR側にアッピールした。

 

「結局、新駅の場所はね。県道拡張の補助金と、西ノ宮駅の『ノ』をなくす問題がからみ決まった。新駅が出来たら、今のJR西ノ宮駅の名前も西宮駅になりますよ」と貴方は笑っておれましたね。

 

 私は貴方の詳しい情報に驚きました。JRの関係者に、よほど親しい人がおられるのかなとも思いました。

 

 そしてやがて、貴方のおっしゃった通り県道とJR線の交差するあたりを中心に工事が始まりました。JR線の盛り土の両側がコンクリートで補強されていきました。そして県道のガード下の拡張工事も進みました。

 

 昨年度中に駅名も「さくら夙川」と決まり、今年の平成十九年三月十八日開業となりました。そしてJRに対抗する阪急は、すぐに特急を夙川駅に停車させ、阪神は朝の区間特急を香櫨園駅に停車させるようになりました。今年になって、駅の入り口も県道のガードの南西、南向きに姿を現すようになりました。

 

 私はこれらの新駅が出来つつある状況を見ながら、貴方からぜひ又、お話しを聞きたいと毎日のように地蔵堂へいきましたが、情報を頂いたその後、貴方とお会いすることはなかったのです。私自身は貴方のことを、地蔵堂のおやじさんと呼び、親しいつもりでいましたが、貴方とお会いできなくなると、お名前も、お住みになっている場所も、お聞きしていなかったことに気がつきました。

 

 この地蔵堂に、毎朝掃除をしてお花をあげて、お世話を続けておられる女の方がおられました。この方は郷免町の阿弥陀寺の檀家さんの方だと以前に貴方から聞いていました。ある朝、私は思い切って、この前のベンチにいつも座っておられた貴方のことをご存じないか聞いてみました。

 

「あっ、宮崎さんのことですね。昨年の暮れに亡くなられ、ご葬儀がありました」と言う答えが返ってきました。

 

 貴方は、この地蔵堂のある土手の直ぐ下のお宅に、地震で奥様をなくして以来一人で住んでおられたということでした。昨年の暮れ体調を崩され入院されたが、残念なことになった。大阪におられる息子さんが葬儀を取り仕切られたのではないか、と言われました。

 

 せめて「さくら夙川駅」の開業の時には、貴方と一緒にここでお会いしたかったのに……。私は貴方が「旅行をしたい」と言っておられたことを思い出して、三月十八日の開業日には、貴方に代わって「さくら夙川駅」から旅立とうと思いました。

 

 ところが、オリエンテーリング競技の仲間から私に連絡が入って、三月十七日と十八日に富士山の山麓の森林で行われる大会に出ることになりました。私はJRの大阪から富士往復の切符に、開業日の三月十八日中に大阪からさくら夙川駅に帰ってくる切符を買い足しました。

 

 三月十八日は、日本全国快晴の日でした。白雪をかぶった富士山は、濃紺の空にくっきり浮かび上がっていました。午前中に競技を終えた私は、自動車と新幹線を乗り継いで、大阪に帰ってきました。大阪から新快速をJR尼崎で乗り換え、私は始めての「さくら夙川駅」に降り立ちました。時刻は午後五時半頃でしたが、まだ明るくプラットホームには記念の撮影をしている人がいました。

 

 私は貴方を思い出し、「さくら夙川駅に今立っていますよ」と呟きました。改札を通るとすでに、記念入場券や記念Jスルーカードは売り切れにもかかわらず。切符の窓口には人が並んでいました。県道を歩いて北を見るとその先に甲山が大きく見えました。「甲山は低いが、堂々として親しみを感じるいい山ですよ」といつか貴方の言われた言葉を思い出しました。

 

 もう間もなく、夙川のさくらは一斉に開き、美しい川の流れの上を覆うことでしょう。そして貴方はそれこそ、風となって夙川の上を、さらに、さくら夙川駅の上を、花びらと共に吹き渡っていることでしょう。

 

 


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