From Chuhei
 
南紀にある佐藤春夫先生の「秋刀魚の歌」の碑です。お墓は東京都文京区にあります。
 
 
 
 

 秋風と私

      

        秋刀魚の歌  

 

 

 拝啓 冥府におわします佐藤春夫先生。私は、毎年秋風が吹く季節になりますと、先生の

「秋刀魚の歌」を、声を上げて読み、その「あわれ秋風よ!」で始まる歌に思いを寄せて、

瞑想にふけるのを常としています1931年生まれの男であります。

 

 先生のご長男、あの千代夫人との間にお生まれになった方哉(まさや)さん(1932年

生まれ、心理学者、星槎大学学長)とほぼ同年配なのですが、3年前、京王線新宿駅のホー

ムで酔漢にぶつかられ、ホームと電車の間に挟まれ,お亡くなりになりましたのは誠に残念で

した。が、冥府での父子再会をなさったことと思っています。

 

 さて、私が初めて先生の「秋刀魚の歌」を知りましたのは、敗戦後間もない1945年の

秋でした。中学校で、新しく赴任した国語の教師が、いきなり、この歌を黒板に書きました。

 

 あはれ 秋風よ

 情(こころ)あらば伝えてよ

 男ありて 今日の夕餉に ひとり

 さんまを食ひて

 思いにふける と。

 

 さんま、さんま、

 そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。 

 そのならひをあやしみなつかしみて女はいくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。

 

 あはれ、人に捨てられんとする人妻と 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、 愛うすき

 父を持ちし女の児は 小さき箸をあやつりなやみつつ 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと

 言ふにあらずや。

 

 あはれ 秋風よ

 汝(なれ)こそは見つらめ

 世のつねならぬかの団欒(まどい)を。

 いかに 秋風よ

 いとせめて 証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

 

 あはれ 秋風よ

 情(こころ)あらば伝えてよ、

 夫を失はざりし妻と 父を失はざりし幼児とに伝えてよ

 男ありて

 今日の夕餉に ひとり

 さんまを食ひて、

 涙をながす、と。

 

 さんま、さんま、

 さんま苦いか塩っぱいか。

 そが上に熱き涙をしたたらせて

 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

 あはれ げにそは問はまほしくをかし。

 

 教師はさらに「自嘲的愁嘆」と書いて、これは近代の歌の一つの傾向なのだと語りました。

戦争に負けたことがないと豪語していた日本が無条件で降伏した後でしたから、この「自嘲

的愁嘆」の思いはよくわかりました。教師も当時の日本人の気持ちを考えて、この歌を取り

上げたのだと私は思いました。

 

 しかし当時、中学生の私はこの歌から「なにはともあれ、焼きたてのさんまを食べたい。

いつからさんまを食べてないのだろう。日本は海国なのになぜ今、さんまが食べられないのか。

どうしたら、食べられるだろうか?」とばかり考えていました。食糧不足は深刻で私は弁当を

持って通学出来ましたが、通学途中で弁当を強奪されたり、学校内で盗まれたりする友人もい

ました。甲子園球場の近くにあった校舎の別館は、進駐軍に球場とともに接収され、格好良く

ジープを走らすアメリカ兵が出入りしていました。私たちは相手構わず恥をかきすてて「ギブ

ミーチョコレート!」などと彼等に物をねだりました。

 

夕方になると球場や校舎の近くにもパンパンと呼ばれる女性たちが今までの日本女性に見ら

れない原色の派手な格好で出没していました。朝、校庭のベンチの横で使い捨てたコンドーム

を見つけたこともありました。

 

三宮の高架下や、梅田の広場で闇市が開かれるようになりましたが、そこにはうす汚れた軍

服と戦闘帽をあみだにかぶった復員兵が肩を狭めてうろついていました。私が敗戦のみじめさ

と、冬に向かう不安から、秋風に吹かれて最も「あわれ」を痛切に実感したのは、この年のこ

の時期でなかったのではないかと、思っています。

 

その後、幾年か過ぎ、先生の幾冊かの著書を拝読したりしているうちに、この「秋刀魚の歌」

の背景にある先生のご事情が次第にわかってきました。

 

歌の「人に捨てられんとする人妻」はあの大作家「谷崎潤一郎先生に捨てられようとしてい

る千代夫人」そして「妻にそむかれたる男」は「妻の女優、香代子さんにそむかれた佐藤春夫

先生」ですね。先生の台湾旅行中に弟さんと奥さんの不倫関係があったと言われています。

「そして愛うすき父を持ちし女の児」は谷崎先生と千代夫人の間にできた鮎子さんですね。妻

も子もかえりみず、千代夫人の妹のせい子さんに恋焦がれ、帰ってこない谷崎先生の小田原の

家で、三人の「世の常ならぬかの団欒」を思い出し歌われたものですね。

 

佐藤先生は谷崎先生の推薦で『田園の憂鬱』を発表されるなど、親しい仲であったのですが、

千代夫人に同情しやがて、それが愛となって深まり、千代夫人を譲って欲しいと谷崎先生に申

し出られます。(谷崎先生の方から持ちかけたという説もあります)せい子さんに夢中だった

谷崎先生もそれを了承し約束されるのですが、しばらくして、せい子さんに結婚を断られると、

ふと我に帰り、その約束を取り消されるのですね。せい子さんは千代夫人と正反対の自由奔放

な性格で谷崎先生の『痴人の愛』の女主人公ナオミのモデルとされてます。

 

佐藤先生は約束取り消しに怒り、谷崎先生と絶交して、故郷の和歌山の新宮に帰ってしまわ

れたのでした。そして、1921年11月、先生が29歳の時、『人間』に発表されたのがこ

の「秋刀魚の歌」でした。 佐藤先生は千代夫人への熱い恋情を秋風にたくしながらも3年後、

小田中タミさんと結婚されるのですね。

 

「つれなかりせばなかなかに 夢とわすれてすぎなまし そもいくたび濡れにけむ かの袂こ

そせつなかれ」

 

先生が千代夫人を想って書かれたこの詩から題名を取った瀬戸内寂聴さんの著書『つれなか

りせばなかなかに』によりますと、その後の1926年に、和田六郎と言う青年が弟子として

谷崎先生の家に居候をするようになるのですが、この青年が千代夫人に夢中になり、深い関係

に発展するのです。谷崎先生はこの関係を観察して夫人と和田青年の恋愛をモデルにして作品

『蓼食ふ蟲』を書かれたということです。そして千代夫人は和田青年の子供を宿し、二人を結

婚させるかどうかという問題にまでなってしまいます。結局子供は流産し(堕胎という説もあ

ります)和田青年は去って行きました。が、それを聞かれた佐藤先生は急いで駆けつけて、千

代夫人、そして谷崎先生と話し合いを持ち、正式に千代夫人は谷崎先生と離婚し、佐藤先生は

タミ夫人と別れ千代夫人と結婚することを宣言し、三人の連名する挨拶状として世間に公表さ

れたのですね。

 

 1930年8月、当時の大新聞はこれを報道し、今でも「谷崎潤一郎、妻譲渡事件」として

語り伝えられています。そして歌の中の女児であった鮎子さんも佐藤先生が引き取られ、後に

先生の甥の方と結ばれるのですね。

 

 今、秋風に吹かれながら「秋刀魚の歌」を、声を上げて読むとき、先生の千代夫人に対する

強い思いが、さんまの焼け焦げる音や匂いのイメージとともに、私に伝わってきます。

 

 ところが世間のこの歌に対する評価は、私が中学校で習った「自嘲的愁嘆」の歌の範囲を出

ません。「他人の妻に想いを寄せたが、断られ、今は一人さんまを焼いて、涙を流している哀

れなる男の姿」というのが、一般的な感想です。それは、「あわれ」が5回、「涙」という言

葉が2回も出てくることにもよるのかも知れません。その言葉の裏に熱いマグマのような恋情

が燃え盛っているのが、判っていないのです。

 

 佐藤先生! 私はこのことが残念でならないのです。先生は強力な恋の追求者です。決して

弱い哀れな負け犬ではありません。私は「秋刀魚の歌」の中に、恋のリベンジを想って「諦め

ないぞ!」と叫び、強く千代夫人に語りかける先生の姿が見えるのです。これは他人の妻へ愛

をうったえる熱い大人の恋の歌ではないでしょうか。「いかに 秋風よ いとせめて 証(あ

かし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと」という言葉にもそれは表れていて、この歌の発

表により、先生の恋情はさらに一層強まったのではないでしょうか。

 

 私は「秋刀魚の歌」に感動し、人生節目の幾多の「あわれ」を乗り越えてきた一人の男とし

て、この歌は決して弱々しい愁嘆だけの歌でないことを確認したいばかりに、こうして、先生

に突然のお手紙を冥府まで差し上げた次第です。

 

 先生と千代夫人のお墓は東京の文京区伝通院にあります。私は、5年間文京区に住んでいま

したので、お墓には何度かお参りしたことがあります。秋のうちに東京にまいりました時には、

先生のお墓の前で「秋刀魚の歌」を、声を上げて読みますので、この歌の本当の意味が私の申

し上げた通りであれば、秋風に乗せて何らかのサインをして頂きますよう、何卒宜しくお願い

申し上げます。では、その時を楽しみに改めて心から先生と千代夫人のご冥福をお祈りいたし

ております。                                  敬具

 

                      (平成25年9月24日)

 

 

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:★:cosmic harmony
      宙 平
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