鷲林寺にあるソランジンを祀る荒神堂です。平成18年に新しく建て替えられました。
下は以前来た時の荒神堂と、今の石碑です。
神呪寺と本尊の如意輪観音像です。
ソランジン
今年の5月18日、私は朝からいそいそと支度をして、西宮甲山の神呪寺へ出かけた。
この日は秘仏と言われている本尊の如意輪観音像が姿を現す、ご開帳の日である。石 段を上り、本堂には西の入り口から靴を脱いで入った。列に並んで、観音のふくよかな お顔を見つめた。そして、
「今日はソランジンを呼び出して、話をしたいと思っているので、よろしくお取り図り ください」
と、観音にお願いした。このあと行われる法要のため、本堂に残っている多くの人を 後にして、私は東の出口から出て、2・5キロ西北にある鷲林寺の荒神堂に向かって、 歩き出した。
ソランジンとは、淳和天皇の妃、真井御前(如意尼)が女性による神呪寺創建を進め ていた時に現れて、それを妨げようと堂于に火を点け焼き尽くそうとした荒々しい神と して知られている。縁起が書かれている鎌倉時代の『元亨釋書(げんこうしゃくしょ)』 にも「麁乱神(そらんじん)」の記述があって、「異神降来。其體八面臂」で、「甚可 怖畏」。そして「欲毀道場」と脅迫をしてきたとある。
ところがそのソランジンは、これから私が行こうとしている鷲林寺の荒神堂にまつら れている。寺の境内にある縁起によれば、観音霊場を開くために、弘法大師空海がこの 地に入山したところ、この地を支配するソランジンが、大鷲に姿を変え口から火焔を吹 き大師の入山を妨げた。大師は傍らの木を切り、湧き出る清水に浸して加持をし、大鷲 を桜の霊木に封じ込めた。その霊木で本尊十一面観音を刻んで、寺号を鷲林寺と名付け た。またソランジンは麁乱荒神としてまつられたとある。
しかし、それ以上のことはよくわからない。そこで、なんとか今日はソランジンの霊 を呼び出して、語り合いたいと考えたのである。
鷲林寺は林に囲まれた観音山の中腹にある淋しい山寺であるが、全盛期には堂塔伽藍 など七十二坊が立ち並んでいたと伝えられている。私は本堂の裏の台地の一角にある荒 神堂の前に立った。以前に来た時はもっと小さな粗末なものだったが、今は新しく立派 なお堂になっている。平成18年に当山檀信徒前田栄子氏の発願により再建したと書か れた山主栄善和尚の石碑が立っている。
私は遠い昔に向かって声をかけた。
「ソランジン! 貴方のことをもっと知りたい。本当の貴方は何者ですか?」
「ワシのことを聞いたのはお前か? ワシはこの山そして、摩尼の峰(甲山)一帯を修 行の地としている修験道者だった。そして、ここは修験道の祖、役の小角(えんのおづ ぬ)の開いた山岳修行の聖地だったのだぞ!」
「貴方は尼たちのいる神呪寺に火を付け、空海の入山に、火を吹く大鷲になって妨害し た悪人として伝えられているが、これは本当ですか?」
「ワシの住む山は、麓から見ると大鷲が羽を広げた形になっている。いつしかワシのこ とを大鷲の山の行者と呼ばれるようになった。ワシはこの聖なる地には、修業の妨げに なる女人は一歩たりとも入れてはならないと考えていた。ところがなんと、都から来た という三人の女人が摩尼の峰に登り、やがて、山頂に堂をたて、また山麓の仏性原に道 場と称して拝殿や堂塔を立て始めた。
『ここは聖なる修験の地、直ちに立ち去れ!』
ワシはその道場に、怒鳴り込みに行った。すると、美しい女人が二人の女人の供と現 れ、『我らも如意輪法の修行者である。ここに堂を建てるは、この地を神域とする広田 明神のお告げによる。立ち去るわけにはいかぬ!』
と、恐れる様子もなく、高い音声で言い返してきた。
『女人がこの地に住むは、全くもって穢らわしい! 焼き払って清めてくれよう!』
ワシは素早く火を起こす名人だ。火打石と鉱石と枯葉ですぐに炎を上げることができ る。たちまちワシの起こした火は堂の周りを炎で囲んだ」
「それで、どうなったのですか?」
「女人たちは、堂のそばの小川をせき止め、ため池を作っていた。数人の手伝いの女 どもも現れ、そこから水を運び、火を消してしまった。そして、一斉にワシに『帰れ! もう来るな!』といった。
ワシは二日後に、今度は女人たちが眠っているうちに焼き払ってしまえ、と、堂に近 づき火をつけようとした。その時、『止められよ!』と声がかかって、一人の男の僧が 堂の横から現れた。『ソランジン! お前はこの堂を焼くことは出来ない。お前のする ことは他にある!』
『わしの名を呼ぶ、お前は誰だ?』
『空海と申す!』
『おお! 唐の国から帰ってきて、大僧都となっているあの空海か? ワシはこの聖地 が女人たちに穢されるのを防いでいるのだ。空海! 邪魔だては無用だ!』ワシは構わ ず火をつけて、空海のいる堂の方へ火勢を向けた。空海は木の枝をかざして、火の粉を 払うと印を結んで呪を唱えた。すると、空がかき曇り雨が降り始めた。そして、急に雨 の勢いは強くなり燃えていた火が消えた。同時に雨に濡れたワシの体が冷たく固くなっ て動けなくなった。空海の声が響いた。
『ソランジン! 修験者としてすぐに改めよ! 女人の入山を穢らわしいこととして阻 止すること。みだりに堂に火をつけること。この二つだ! 改めないのであればお前の 体はそのまま動けなくなる。改めるならば次の新月の日、東谷の大石の上に来られよ。 お前に法を授けよう。如何!』ワシはあの有名な空海が、女人たちを背後から支え、新 しい堂塔作りを手伝っていることを、このときはじめてワシ自身で悟った。そこで、し ぶしぶだが一応納得し、空海の条件を了解した」
「それで、東谷の大石の上に行かれたのですか?」
「東谷には大きな岩座がある。新月の日、定められた刻にそこへゆくと、なんと空海では なく、女人が一人で現れた。あの三人のうちの一人で空海の姪にあたる如一と申すと名 乗った。普通の女人ではない。如意輪法の行者であり、空海直伝の法の体得者だった。 まずは共に小滝のある東谷の清流で身を清めた。そして岩座の上に向き合って座り、如一 の先導で繰り返し経を唱えた。
妙適清浄句是菩薩位 欲箭清浄句是菩薩位 觸生清浄句是菩薩位 愛縛清浄句是菩薩位 一切自在主清浄句是菩薩位 見清浄句是菩薩位 適悦清浄句是菩薩位 愛清浄句是菩薩位 慢清浄句是菩薩位 荘厳清浄句是菩薩位 意滋澤清浄句是菩薩位 光明清浄句是菩薩位 身楽清浄句是菩薩位 色清浄句是菩薩位 聲清浄句是菩薩位 香清浄句是菩薩位 味清浄句是菩薩位
ワシはこうして、欲箭・觸・愛縛・妙適・適悦の清浄な行をすることが出来たのじゃ」
「それは、秘密の法といわれた、理趣教大楽の法門『十七清淨句』ですね。縁起にある貴方を 抑えるために空海が妃に教えた『東谷有大石。就上供神無事也。妃従教。爾後神不為障也』と いう、方策の本当の意味がよくわかりました。貴方はもう女人の入山を阻止することなどは出 来なくなったのでしょうね」
「確かにワシは変わった。そして、空海が凄い法を持っていたことに驚いた。しかしこの法を 行うのは、新月の日、東谷の大石の上に限ると厳しく定められていた」
「この『十七清浄句』を含めた解説本の『理趣釈経』を借りようとした比叡山の最澄が、空海 から断られて、仲違いした。という話が伝わっていますが」
「その話はわしも聞いた。空海は誤解を受けないようにと、この法を伝えるのには僧侶仲間に は慎重だったようだな。だが、ワシにはそんなそぶりは全く無かった。そして空海は桜の木で 十一面観音を刻み、その像を本尊として、ワシの住む大鷲の山の中腹に祀れと命じた」
「貴方がその本尊を祀る堂を建てたのですか」
「いや、その場所はワシが決めたが、空海がここに七堂伽藍の寺を立てたのじゃ。恐るべき大僧 都空海の力。またたく間に工人たちが集まり寺は完成した。寺は鷲林寺と名付けられた。ワシは 修験道者であるから、寺の僧侶にはならない、といった。空海はそれで良いと、堂の幾つかを修 験道の道場として使うことを認めた。
そしてワシを呼んでこういった。『修験道者ソランジンよ! あの摩尼の峰を見よ! あの峰 の東には仏性原の神の寺(今の神呪寺の前の場所)があり、女人の行者達が修行に励み、また峰 のこなた西にはここに鷲林寺が完成して、男の修行僧を迎え、また、修験道者、山伏を集めるこ とも可能になった。
ここは、摩尼の峰を中心として五大(地・水・火・風・空)響き合い、陰と陽が調和する絶好 無二の地である。すなわち鷲林寺は陽、神の寺は陰、陽の本尊は十一面観音、陰の本尊は、これ も我が桜の木に刻んだ如意輪観音である。
ソランジンよ! この聖なる天地の二つの寺の結界を守れ、邪悪なる者の侵入を防ぐのだ。ほ かに経験深き修験道者たちを集め、従事させても良い。そして鷲不動明王と称せよ。
しかしながら、修行を求める者、病や悩みを持ち、救いを求める者、善男、善女を今後は広く この二つの寺に受け入れよ』ワシは初めて空海の大きな意図を知った」
「真言宗の開祖で知られる空海ですが、修験道にも、また真井御前たちの如意輪法にも理解を示 して、摩尼の峰を中心にした密教世界を作り上げたのですね」
「ワシは二つの寺の結界の守護者となり、修験道に励んだ。修験道者たちも集まり、鷲林寺を中 心に行場も拡大された。近くでは旭滝の滝行、そして遠く石の宝殿、三国岩なども行場として使 われるようになった。空海はワシを鷲不動明王といったが、一般的にはソラン荒神と呼ばれるよ うになった。ワシの祈祷と鷲林寺に湧き出る水は、万病に効く妙法・霊水と大変評判になって、 多くの人たちが寺に集まるようになった。そしてこの二つの寺はともに伽藍、堂塔、僧坊を増や し、遂に摩尼の峰を中心に寺域が完全につながったのじゃ。まさに陰陽の合体である、めでたい ことであった」
「摩尼の峰(甲山)一帯が、聖なる宗教世界として、輝きに満ちた時があったのですね」
「仏性原の神の寺は神呪寺となり、真井御前は空海の灌頂を受け如意尼と名乗っていたが、高野 山での空海の入定の一日前に、如意輪観音の真言を唱えながら遷化した。三十三才短い生涯だっ た。空海とは二十九の年の差はあったが,如意尼は空海にとって、ただ一人の理趣教大楽の行の 相手であったと、ワシは思っている」
「東谷の大石で、如一さんとの、貴方の行はどうなったのですか」
「新月の日は、至福清浄の時であった。ワシは必ず東谷へ出かけた。如一も欠かすことなく来た。 それ以外の場所や時間に会うことはなかった。しかし如意尼遷化のあと、もう一人の女人如円が 神呪寺の住職として跡をつぐと、しばらくして、如一は小林(宝塚)に平林寺を開き、そして、 紀州伊都郡の妙楽寺の尼寺の住職となった。それ以後は会っていない。
そうだ! お前がワシを呼び出した今日は神呪寺の如意輪観音が姿を現す日だな! 東谷の大 石で如一の霊を呼び出して、『十七清浄句』を唱えて行が出来るかもしれぬ。すぐに東谷へ行く ぞ! 熱くなれ! ソランジン」
「熱くなれ! のソランジン。私をぜひとも東谷の大石まで連れて行ってください。お願いします」
「ダメだ。密教は秘密の教え。特に『十七清浄句』は秘中の秘。本当の行の場所は絶対秘密。さらば じゃ! さ・ら・ばぁぁ………」
(平成26年6月16日)
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:★:cosmic harmony 宙 平 *−*−*−*−*−* |