From Chuhei
梅田ダンジョン
~梅田地下街の一人オリエンテーリング~
ダンジョンというのは、古いフランス語で城などの地下に造られた牢獄や地下室を意味する。
最近では大抵ゲームの中に登場し、日本では「地下迷宮」単に「迷宮」として表現されるこ
とも多い。
大阪の梅田地下街はその複雑な構造から「梅田ダンジョン」とも呼ばれ、ここを舞台とした
漫画『大阪に実在する迷宮梅田ダンジョン』なども作られている。主人公の少年が軽い気持
ちで、友人との待ち合わせ場所を「梅田駅」に選択。足を運んでみると「梅田駅」という名
称の駅はなんと5つあり、そのままダンジョンで迷子になってしまい、思わず「俺、今どこ
に居るんだよ」と発狂。半日以上さ迷ったが、梅田地下街からは抜け出せない。「とにかくこ
こから早く脱出したい!」と叫び、出口へダッシュ。しかし向かった先は工事中で、地上へ
出ることすら出来ない。遂に絶望し、意識を失う。という筋書きらしい。
確かに、難波から地下鉄で西梅田まで来た外国人が「ヨドバシカメラ」へ行こうと思っても、
なかなか行き着かなかった話などを聞いたこともあり、今や「梅田ダンジョン」は日本の中
でも一番、目的地への脱出が難しい地下迷宮になっているのである。ダンジョンから容易に
脱出するには、まず地上に上がる階段の場所を覚えることである。
私は梅田地下街の一階から地上に上がる階段の正式番号が表示されている案内の地下マップ
を見たとき、実際にそんな番号が階段のどこについているのかどうか、見て回りたいと思った。
地下マップには階段の正式番号が27ヶ所記されていた。そこで、その27のコントロール
(標識)を見て確認して回るオリエンテーリングを一人ですることにした。オリエンテーリ
ングにはスタートとゴールが必要である。スタート場所は行き着くのが難しいとされるヨド
バシカメラ地下入口前のスペースとした。そしてゴールは漫画の主人公が最後に意識を回復
させたという泉の広場の地下噴水前とした。
平成31年1月22日、11時0分、私は地下マップとカメラとコンパスを持って、ヨドバ
シカメラ地下一階入口前を出発した。今日の一人オリエンテーリングのルールは、絶対に走ら
ないこと。原則として地下1階だけを進むことである。一人で競争は出来ないから時間を気に
せず、じっくりと番号が書かれた標識を確かめて回ることにした。最初のターゲットはホワイ
テイ梅田のプチシャン通り南端から大阪駅南地下道に向かう角にある5―68の階段である。
地下鉄御堂筋線の北改札の前を通り、北東に阪急3番街方向に向かう。阪急電車改札に上がる
階段を左に見て、北の階段を下りプチシャン通りを南に進む。ここから如何に大阪駅方面に向
かう西への道を見つけるかがポイントである。赤い観覧車で有名なヘップファイヴの地下入り
口が左に見えてきた。ここだ、ここを右に曲がるのだ。
少し階段を上がり、すこしゆくとさらに1階に出る階段を見つけ、その中段の壁に標識5―68
を発見した。11時6分、すぐに写真を撮った。続いて次の階段に向かう、廊下の奥に5―66
を11時7分確認。同時にその隣のエスカレーターのついた階段の上がる横の壁に5―64の標
識を見つけた。すべて阪急グランドビル1階北側のスペースに通じる階段である。なかなか快調
な滑り出しであった。ここから阪急百貨店の地下北側の一般通路を過ぎて、地下鉄御堂筋線の中
改札の東側まで来た。ここには確かに地上に上がる階段があった。ところがあるべきはずの標識
5―50がないのである。そこで階段を上がって、周りの壁を調べて地上まで上がった。地上出
口は阪急百貨店から大阪駅東口への横断歩道の手前だった。この場所の確認からこの階段は5―
50に間違いないが、「標識が外れているもの」と判定した。11時13分だった。ここから阪急
の雰囲気のする領域から、JRの領域に入る。と、急に空気が変わったように私は思った。多く
の人の流れが、地下鉄改札口から大阪駅東口1階へのエスカレーター付き階段に殺到する。その
案内板の上に標識番号5―42と書かれていたのを確認。11時14分だった。そして11時15
分、同じく案内板で5―38を確認。さらに大阪駅南側の地下道を西南に進む。続いてはっきりし
た標識のある大阪駅への階段5―30と5―22を確認。そして、地下道から大阪駅中央へのエス
カレータの柱の真ん中にある標識?―1を確認したのは11時22分であった。そして大阪駅西口
に出る階段5―2の標識を11時25分確認した。
ここから南に向かって地下道をどんどん進むと、阪神電車梅田駅西改札口が左に見えた。ここから
阪神の雰囲気を持つハービスエントの地下の北側を通り福島方面に向かうガーデンアベニューが西
へ伸びている。が、私は南へ階段を下り、地下鉄西梅田駅の東側通路で左にヒルトン大阪の入口を
見てそのまま進む。と、さらに左に駅前第一ビルの広い階段があった。ここから南に堂島地下セン
ターが始まる。この回りに6か所の階段がある。これらの地上はすべて桜橋の交差点とその周辺で
ある。まず地下鉄駅南出口西側にC―45を確認した。11―4と11―5はJR東西線への通路
の西南角に表示がある。そこを登ると、4は北に5は南に分かれる。その南側にC―60があった。
その西向かいMIDビルへ入ったところがC―61である。その北に西へ進む通路がある。その奥
の階段がC―57であるが、標識が見当たらない。階段を上り探していると、お知らせの張り紙が
あり、そこに「この出口(9号・C―57)は23時41分に閉扉します」とあり、この張り紙だ
けで標識番号を確認することが出来た。この辺りは良く知っているつもりでも、使ったことのない
階段もあり、なかなか手ごわいオリエンテーリングになったと私は思った。この時11時42分で
あった。
真東に、JR東西線北新地駅西改札前を通過し南に曲がった突き当りに11―21。続いて、その
左に11―23を確認した。ここにはエレベーターもあるが、長い階段を上がると、北新地の北側
の道路に出る。次いで東改札前を通過して、右側の突き当りに11―41、そして長いエスカレー
ターの横に付いている階段、11―43を確認した。11時50分だった。この辺りは、うす暗く、
店舗もなく人通りも少ない。「地下牢」を語源にもつ、まさにダンジョンの雰囲気である。御堂筋か
ら駅前第3ビルに向かう地下通路に出て、F―85を確認した。梅田新道交差点北西の階段である。
次いで私は第3ビル地下道から地上に通じるF―82の標識を確認したが、F―92が分からない。
そこで地下通路を戻って梅田新道交差点南西、大和証券の前の階段まで来てやっとF―92を確認。
12時2分になっていた。
さぁ、ここからは第3ビル・第4ビル東側地下通路を北に向かって進む。F―70とF―62は地
下通路から上がる折り返し階段の壁に標識があった。下からだけでは分からない。そして地下通路か
ら少し右へ入った階段を上がるとF―54があった。さらに地下通路を進む左側第4ビル北東端の階
段の上部にF―51の標識があった。12時14分だった。これで地下マップに書かれていた階段標
識はすべて確認した。さぁ、ゴールの泉の広場へ。地下道を東に進んで、地下鉄谷町線東梅田駅改札
西側の通路を北上。曽根崎警察署コミュニティープラザの前から、ホワイテイ梅田イーストモール扇
町を東へまっすぐ進み、泉の広場地下噴水前にゴールした。12時21分であった。噴水は四方から
吹き上げて、きらきらと輝いていた。
最初は簡単に考えていたが、標識の表示してある場所を探すのに、その階段を登り降りしたりしたの
で、スタートしてからゴールまで1時間21分の時間がかかった。オリエンテーリングとして、色々
な特色ある領域の地下道が組み合わさって、広く複雑な地下街となっているところを歩いたので、な
かなかトリッキーで面白い標識巡りコースだと思った。
そして私は改めて、こんなに地下道が広がった経過に思いを馳せた。昭和8年、地下鉄御堂筋線梅田
駅が出来たところから、地下道が始まり、昭和14年、阪神電車が今の梅田地下駅まで乗り入れ、少
し地下道が広がった。先の大戦の時、私は空襲警報で阪神梅田駅に逃げ込み、1トン爆弾の直撃を受
けたらどうなるか心配したことがある。戦後昭和38年になって大阪地下街株式会社により、阪急百
貨店の南側地下と東側地下にホワイテイ梅田地下街が出来た。私が「ミツヤ」などの喫茶店でコーヒ
を飲むことを覚えたのは、この地下街だった。その後もプチシャン通りなど範囲を広げた。昭和40
年地下鉄四つ橋線西梅田駅が出来、昭和41年堂島地下センターの地下街が桜橋からさらに南に延び
た。地下鉄谷町線東梅田駅が昭和42年にでき、地下街を伴う駅前第1ビルが完成したのが昭和46
年。最後の第4ビルの完成が昭和56年だった。そのビルの地下をつなぐディヤモール大阪が出来た
のは平成7年。その頃はここに本屋があったのでよく行った。平成9年には地下鉄西梅田からさらに
西南に長く伸びる地下道ガーデンアベニューが福島の近くまで伸びた。福島の阪神ホテルにはここを
歩いて行ったことがある。こうして、まるで生き物が成長していくように梅田地下街は広がり巨大な
ダンジョンとなってしまったのである。このような経過があるから、同じ地下1階でもそれぞれの地
区により高低差があり、それをスロープや階段でつなげている。またその階段が地下2階に通じると
ころもあるので、まことにややこしくなっている。
私が今、一番心配するのはこの巨大ダンジョンでの事故の発生である。北海道の地震で地下鉄も
止まったような、一斉停電となり無停電装置も作動できないようなことが、このダンジョンで起き
たらどうなるか。サリン事件のような危険ガスの充満、火災による煙の充満、耐用年数が来ている
コンクリートの崩壊、高潮、津波、豪雨による浸水。このような危険に遭遇したら、なにはともあれ、
自分のいる場所から一番近い地上への脱出する階段を見つけて、駆け上がらなければならない。
その為にも、この梅田ダンジョンに入るときは、常に地上への階段のある場所には、関心を持ち、頭
に留めて行動する必要がある。そうであるからこそ、階段の番号を見つけて回るオリエンテーリングは、
その有効な手段であることに間違いないと、私は強く思った。いや、実際にはオリエンテーリングの競技
などを無理にここでしなくてもよいのだ。地下の階段にはそれぞれ、正式番号があり、それがどの階段の
どこにその番号が表示してあるか、と思って地下街を歩くことが大切なのだ。それが脱出できる階段を
意識することにつながり、有効なのである。
(平成31年1月31日)
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宙 平
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