映画『男たちの大和』

From Chuhei
 
映画「男たちの大和」を見てきました。
下はそのスチール写真です。
 
 
 
 
  
 
この下の写真は本当の大和が昭和16年9月呉海軍工廠で艤装中の姿です。
 
  
                
 
 十二月十七日、東映の映画『男たちの大和』が封切られた。私は早速梅田のブルク7
で、その日の第一回目、九時二十分の回で見た。百七十四人の座席がほぼ満席
であった。

 

 この原作は辺見じゅん作のノンフィクションである。辺見は戦艦大和の生存

者のうちの百十三名に昭和五四年から三年ほどかけて取材して『男たちの大和』

を書き上げた。

 

 私もこの原作を読んで、特に印象に残った男たちの一人は、レイテ沖海戦で、

大和の機銃座から吹き飛ばされ、一時死体置き場に運ばれていた内田兵曹であ

る。その後、呉の海軍病院で療養中に抜け出し、勝手に最後の出撃前の大和に

隠れてもどっていた。そのまま出撃、さらに負傷して無数の弾丸の破片を体に

残しながらも戦後を生き抜くのである。

 

 もう一人は、当時十五歳の正木特別年少兵ほかの年少兵たちのことである。

大和には貧しい農村や漁村から志願して乗艦していた少年兵たちがいた。私は

この映画で、この男たちがどう表現されているか、深い興味をもっていた。

 

 それと、私が九月に見学に行った、尾道の日立造船内に六億円もかけて作ら

れた原寸大のロケセットや呉の大和ミュージアムで見た十分の一大の大和の姿

が、今度は動きのある映画でどう表されているか。そして昭和六年に始まった

十五年の戦争のなかでの、戦艦大和とはなんであったのか、ということが少し

でもこの映画で感じることができるだろうか。などに期待を抱いていた。

 

 映画はこの内田兵曹の娘(鈴木京香)が、平成十七年四月六日に、老漁師の

神尾(仲代達也)に、北緯三十度四十三分、東経百二十八度四分の東シナ海に船

を出してほしいと依頼するところから始まる。そこは戦艦大和の沈んだ場所で

ある。この神尾が、昔は大和乗り組みの特別年少兵であったという設定である。

したがって映画では原作の正木は出てこない。

 

 そして、昭和十九年二月五日にさかのぼり、神尾たち特別年少兵をはじめと

する新兵たちの大和乗り込みの時の回想に入る。彼らにとっては憧れの大和で

はあったが、そこでは徹底的に厳しく鍛えられる。なにかあると全員整列がか

かり海軍精神棒注入といわれるバッターがうなった。そのなかで、神尾(松山

ケンイチ)たちは魅力的な尊敬できる上官に出会い救われることもあった。一

人は烹炊所の森脇二主曹(反町隆史)、そしてもう一人が機銃射手の内田二兵

曹(中村獅童)であった。

 

 大和はやがてレイテ沖海戦に出撃する。しかしこの戦いで連合艦隊は事実上

の壊滅打撃を受ける。内田兵曹は貫通銃創の上、片目を失う。そして呉の海軍

病院に収容される。昭和二十年四月六日、ついに大和は水上特攻の命を受け、

沖縄の海へ出撃することになった。この作戦を聞いた大和の伊藤第二艦隊司令

長官(渡利哲也)は、「援護の飛行機もなく、しかも片道燃料程度の作戦が成

功すると思うのか」と容易に納得しなかった。しかし最後には、艦隊の艦長や

参謀を集め「われわれは死に場所を与えられた」といった。

 

 また大和の少尉や中尉の間で特攻死の意義づけをめぐり激しい論戦のうえ、

取っ組み合いが始まっていた。そこへ、吉田満の『戦艦大和の最後』にも書か

れている臼淵大尉(長島一茂)が現われ「進歩のないものは決して勝たない、

負けて目覚めることが最上の道だ……」というあの有名な言葉を吐く。彼はま

た黒板に「死に方用意」と書いて若い兵たちに示す。こうして乗組員三千三百

三十三名を乗せた超弩級戦艦大和は、米航空機部隊の待ち構える東シナ海へ沖

縄目指して出撃していく。

 

 出撃前の最後の上陸で神尾は恋人の妙子(蒼井優)から空襲の機銃掃射で母

スエ(白石加代子)が妙子を庇って亡くなったことを、聞かされた。やがてそ

の妙子も広島の原爆で亡くなるのである。この上陸ではほかの男たちにも、家

族との色々な別れがあった。そして海軍病院の内田は軍規をおかして、大和に

もぐりこんでいた。ここのところは普通では考えられにくいが、原作のノンフ

ィクションで、面接による実話からきている。

 

 最後の大和の戦闘場面では、尾道のロケセットと最新CGとデジタル合成作

業が、上手く使われ、さすがに見ごたえある迫真の画面が展開していた。執拗

な敵機の攻撃に甲板が血と肉の破片でいろどられ、そのなかで血みどろの兵士

が、戦い続ける。

 

 この戦闘場面は、決してアクションの面白さだけを強調したものではなかっ

たと思う。むしろ私は、この激しい場面から戦争のむなしさ、むごさ、哀れさ

などを感じた。

 

 その上、大和の特攻作戦の無謀さを、司令長官の言葉で表し、さらに戦争そ

のものの意味について、臼淵大尉の「負けて目覚める」という発言から、メッ

セージを投げかけようとしていた。そしてこの映画の「男たち」の主役は下士

官以下の兵士が中心でその実態を描こうとしていた。そして兵士だけでなく、

神尾の母も恋人も戦争で死ぬのである。

 

 ただ私として、少し物足りないのは、このような巨大戦艦が作られた歴史の

流れ、そして大和が無謀な特攻作戦に参加させられるにいたったその背景など

が、あまり描かれていないことであった。

 

 戦艦大和は十五年戦争の進行中に、多額の国家予算を割き、他の三隻の同型

艦とともに計画され、建造されたものであった。当時は「守るも攻めるもくろ

がねの……」と歌われたように軍備の柱であり、最大の期待の星であった。今

でも大和に人気が集まるのは、世界でも比類を見ない能力をもつ、日本で作ら

れた憧れの戦艦であったからだ。この戦艦が生まれて、昭和十六年十二月八日

の米英相手の戦争が始まったといえる。しかしながら、このとき、すでに戦艦

は時代遅れとなっていた。航空戦力が、制空権とともに制海権を制圧するよう

になっていたからだ。ここに大和の悲劇があった。追い込まれた戦局のもと、

成算のない沖縄突入をせざるを得なかった。しかしそれは三千三百三十三人を

死に追いやる全く不条理なものであった。そして大和が沈み、ようやく戦争は

終わりに近づくのである。

 

 私はこの映画を見る人に、このような歴史と背景と戦争進行の流れを知って

もらって、もうこれからは決して、知らない間にこの恐ろしい戦争への流れに

乗って巻き込まれ、大和のような悲劇に突き進むことのないようにして欲しい

と、心から思った。

 

 この映画は決して、お涙頂戴映画を意図して作られたものではないが、劇場

で映画の最中、涙を流している人が多かった。私も涙など流すつもりはなかっ

たが、私と当時あまり年齢の変わらなかった海軍特別年少兵の姿になぜか涙が

流れて止まらなかった。映画の中にもあったが、彼らの僅かの給料を実家の母

に、郵便局から送っているという兵も当時はいたからだ。

 

 涙が流れたあとは、目がすっきりして気持ちよく映画館を出られた。映画館

ではclose your eyes YAMATOという長渕剛の主題歌が流れていた。

 

   それでも この国を

   たまらなく 愛しているから

   もう一度 生まれ変わったら

   私の名を 呼んで下さい

 

   Close your eyes 瞳を閉じれば

   あなたが私に 微笑みかけるよ

   Close your eyes 瞳を閉じれば

   希望へ駆け昇る あなたが永遠に生きている

 

 

 


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