東日本大震災支援バスによる

名取市閖上地区 (めで)(しま)東部(とうぶ)(だん)()訪問記

 

                                                   神戸

                                                       山川 泰宏

 

東日本大震災から55ケ月の歳月が過ぎ、愛島東部団地全理事会長遠藤一雄さんとの約束でした。3月、8月の心の支援
の時が再び訪れました。本来ならば震災から
55ケ月過ぎ、仮設住宅の解消のニュースが聞こえるはずでした。名取市閖
上地区の多くの被災者が暮らす、東部仮設団地や箱崎団地などでは、いまだ解消の目途さえ立ち行かない状況でした。


 神戸・市民交流会の事務局長として初めて閖上地区の閖上中学校に神戸の
1.17の竹灯籠を持ち込んで、追悼行事に参加
させていただいたのは、
2012311日でした。冬、いまだ遠い季節、雪、霙交じりの悪天候の中、閖上中学校のグラン
ドは津波の持ち込んだヘドロ状況のまま、そして津波に流された漁船が
2隻横たわり、周辺はまだ瓦礫の山が彼方此方に山
となし、人々の暮らしていた住居跡は土台を残し、残された家々は廃墟のままで 多くの他県からの応援の市民ボランテ
ィアの皆様とともに開催できた第
1回目の追悼行事でした。


 震災から
3年目の2013311日命日はすさまじい強風に、多くの参加ボランティアが並べた絵灯篭や竹灯籠で作る【絆
】予定したグランドから撤退を余儀なくされ、風よけした校舎入り口の時計台のある場所で小さな灯りが灯されました。

折からこの場所に見えた遠藤自治会長と初対面の山川が神戸の竹灯籠とローソクを遠藤氏に手渡したのが愛島東部住宅と
の竹灯籠の交流の始まりでした。
20138月のお盆追悼行事開催に初めて竹灯籠を持参するにあたり、愛島東部住宅に被災
されている関係者の、津波犠牲者のご尊名を書いた竹灯籠を持参させてくださいとの申し入れ、遠藤自治会長や橋渡しし
てくださった、故喜多山了さんとの交わり、そして被災者に希望と明日への勇気を持たれる追悼行事の産声がここに挙げ
たと私は信じています

  2012311日名取中学校に灯された竹灯籠・絵灯篭
   
 

毎年、ボランティア活動で参加しながら、齢78歳の老人になりました。仮設の皆様も年老いてゆく中で、心から、兵庫の
地から参加させていただく私たちと、強い絆がまかれているように感じます。

 ボランティアとは多くの市民に力を貸す作業をするのが生業です、皆さん愛島東部住宅で開催する交流会も忘れてはな
らない、ひと時の時間の流れがそこに存在しています。

 今回の訪問で、取材したテレビ放映が交流会の中に流れたとき、この人たちと共に分かち合ってできた体験が主催者や
参加者に多くの素晴らしい希望の灯りと心の?がりが芽生えたと信じています。

 

 宮城県名取市閖上地区 愛島東部住宅への訪問への活動は 

主催:ひょうごボランタリープラザ

協賛:神戸(こうべ)(こころ)()(旧神戸・市民交流会)会長・事務局 山川泰宏が引き継いで開催しています。

 

 東日本大震災支援バス 201681417日の予定を以下に示します。

  主催:ひょうごボランタリープラザ 鬼本所長・市橋副部長・遠藤・川上・高橋・。

  協賛:神戸・心絆 山川会長以下8

  参加:一般募集ボランティア 観光バス2台 40名(17歳〜78歳)

1日 2016814日(日)

    1730〜神戸クリスタルタワー 出発

    1800〜摩耶埠頭公園 竹灯籠・ローソク 積み込み 一路宮城県名取市

2日 2016815日(月)

    0700〜宮城県菅生PA  到着 各自朝食 対応

    0830〜名取市閖上地区 日和山公園 語り部 

    1000〜名取市「愛島東部住宅」当着 宮城県名取市愛島笠島西小泉68

    

 

 

         【追悼行事支援活動等】

一部     14001500 (1446 黙祷 竹灯籠の謂れと発声 山川泰宏)

二部     17001830 (1800 祈り 東日本大震災津波犠牲者 山川・鬼本・高橋

 今回持参した竹灯籠311本 兵庫県佐用町南光竹づくりグループの協力です。

  【交 流 会】18302000

                                    

    2030〜宿舎ユニサイト仙台到着 宮城県仙台市青葉区中央4-2-3   

   
   
   
 

 今回55ケ月の名取市閖上地区の復興状況を説明を受けました。東日本大震災の岩手県、宮城県、福島県の福島原発事
故の地域を除き、被災地の復興状況は温度差が著しく感じます。閖上地区においては前名取市長と住民間の話し合いがこ
じれ、復興住宅への完全移行はあと数年かかるようです。

 一部愛島東部住宅の住民の復興住宅への転居が済んだものもいるが、遅々として進まない復興住宅の問題は、東京オリ
ンピックの誘致に伴う、建設資材の高騰、建設労務者の人出不足、そしてオリンピック誘致の建設業者の東京中心等々、
目に見えないところで自民党政権の復興を加速しますとの甘言が絵に描いた餅のように感じるのは自分だけでしょうか?

 テレビや新聞報道は被災地のすべてを網羅して、国民に知らせているとは信じないほうが良いです。今、必要なのは被
災地の
55ケ月の遅々として進まぬ現実です。

 津波被害から国民の守りますと、多くの震災防災関係の先生方が決めた、東日本を巨大な堤防を構築し、挙句の果て、
人間生活を断念させたような巨大堤防、大手建設業者は一人勝ちで被災地を離れます。

残された多くの被災者市民はどうなるのでしょう?広大な太平洋なの恩恵を人は受け入れ海の幸を生活の糧としています
。津波が怖いのは事実です。しかし、自然に逆らわずに生活するすべをもっと大切にした国づくりこそ、今求められてい
るのではないでしょうか?

 私の生まれ育った茅部郡尾札部昆布の里から陸の孤島とまで言われた漁村でした。長男として漁師になるのが嫌いで、
小学校を卒業と同時に函館市立中央中学に入学、両親や兄弟姉妹とも離れた生活でした。しかし、道路が整備され、潮の
干満で出現する、磯が埋め立てで無くなりました。海藻の生育が無くなり、磯釣りの小魚も減少、磯遊びで採れた馬糞ウ
ニが姿を消し、昆布の里といわれた磯は死の海に、養殖昆布の浮き球が磯とゆう自然を人間の勝手で消滅、限界部落とも
いわれる漁村に変貌しつつあります。

 今、東日本被災地の美しい海岸線が人の命を守るといわれる定義で自然破壊をしつつある現状を見ると何故か悲しく、
あの砂浜の一つ一つが鳴き声を上げているように感じます。

津波は恐ろしい自然災害です、しかし、人間の勝手で自然の恐ろしさを受け入れなかった人々にもっと思慮深く考える、
学者と呼ばれる人たちに思案してもらいたかったと思います。

 

 

3日目  2016816

  0845 宿舎出発(仙台市内の観光バスに乗り換え)

  0930 ヨークベニマル若林店  各自 昼食を購入

  1000 仙台市若林区荒浜 東日本大震災若林観音像  黙祷

      若林小学校の廃校校舎見学

  1030 若林区井土地区 講和・復興支援活動・昼食

  1300 若林班 井土地区の農地の 瓦礫拾い支援

      愛島班 追悼行事竹灯籠 片付け・持ち帰り 

   
 

1530 3.11せんだいメモリアル交流館 到着

    (場所:宮城県仙台市若林区新井字沓形85-4

      講和・視察

  1630 現地出発

  1700 天然温泉極楽湯 仙台南店 到着 神戸行きバス二台に乗り換え

      (住所:仙台市太白区西多賀5-24-1

      入浴・夕食(各自対応)

      愛島東部住宅関係者 多数の見送り、懇談をしつつ名残を惜しんで再会を願った。

  1930 現地出発 一路神戸へ〜

3日目

  0830〜 摩耶埠頭公園 神戸・心絆 事務所に竹灯籠の残材卸

       (今回、竹炭焼きの焼却のため)

  0900  神戸クリスタルタワーにて 解散 お疲れ様でした。

  愛島東部住宅での交流会の模様を紹介します(会費制で参加しています)