南阿蘇トレッキング紀行(8)

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山越えが終わると、少し前に来た阿蘇に近づく。、この後の目的は石橋の里として有名な美里町と山都町である。
いつものように、観光案内所へ行き、見所を詳しく聞く。美里町には大小あわすと、数え切れない石橋がある。この中で有名な三箇所の石橋を紹介してもらい、それに向かって走る。
最初の石橋は、みごとな石橋で、緑川の支流津留川と釈迦院川の合流地点にはL字形に並ぶ規模や形態がほぼ同じ双子の石橋がある。周囲の景色にこの石橋が溶け込み、じつに美しい。しばらく見とれていた。

今日では石橋の技術を継承する人は少なく、今このような石橋を作ろうととしても、不可能のように思われ、いつまでも残してほしいものである。
 
 
二つ目の大窪橋は、田園の平坦な場所にあり、壁石が厚くアーチが高く、橋の中央部分が反り返ったように盛り上がっているのが特徴である。橋を囲むように桜の木が植えられていて、春の季節には大窪橋を飾るのだろう。その風景が浮かんで来そうだ。
最後の霊台橋がある付近は緑川流域の中でも難所中の難所であったそうで、「船津峡 」 と呼ばれる険しい峡谷で、雨が降ると対岸に渡るにも船も役に立たないほどだったといわれている。
霊台橋は単一アーチの石橋としては日本最大の大きさを誇るもので、昭和40年代までは大型トラックやバスが通る橋として活躍していたが、現在は橋を保存するため、すぐ横に新しい橋が設置され、観光用として保護されている。
三箇所の石橋を見てきたが、それぞれ個性を感じ、見ごたえがあった。

 
美里の石橋のあとは、石橋の中でも最も興味をもっていて、是非見たかった通潤橋である。通潤橋のある白糸台地は水の便が非常に悪く、そのため農作物も満足に作れないばかりか、毎日の飲み水にも事欠く村であった。そのため布田保之助(ふたやすのすけ)」は、対岸の笹原川からこの白糸台地へ水を引くことが出来ないものかと考え、「武者返し」と呼ばれる熊本城独特の石垣の組み方を応用して造ったといわれている。石橋の角は城壁に似ているが、側面には湾曲した箇所があり、実に美しい。
通潤橋は人を渡す橋ではなく、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を通し、水を渡す水路橋である。水路は水の吹上口が取入口より約6m低くなり、逆サイホンとも呼ばれる連通管によって対岸に水を送る特異な構造になっている。
田植えや水不足の時期は放水は中止で、それ以外は、土・日・祝祭日の正午に定期的に放水されているとか、我々が行った時は平日で放水はなかったが、放水された姿は黒部ダムの放水のイメージでもって想像する。
 
 
三つの石積み水路 石橋へ流れる調整弁のある水路の入り口

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