「ゲストのシンシン」

この後、民族衣装の盛装でお祝いに駆けつけた他部族のシンシンも午後長―――――く続いた。

どこかの村に祝い事があると、民族衣装で盛装して、遠い所からでも、2日も3日もかけてお祝いに駆けつけるのだそうな。

お祝いに来てくれた他部族の人達には、ご馳走を振舞い、お土産にも食料をあげるそうだ。

「ゴロカ族」
「ゲストのシンシン1 「ゲストのシンシン2
「ゲストのシンシン3

「幻の滝」

昼食後「幻の滝」へトレッキングを行った、村人は30分の行程と言うが、我々の足では1時間以上かかるだろうと考えた、

皆足ごしらえもしっかりとここで、スパッツの出番がきた。

登り始めると雨が降ってきた。これは危ないな、と考えていると、民家の途絶えるあたりに大勢のひとがいる、我々のトレッキングを手助けしてくれるひとたちだ、1人に1人どころではない、2〜3人もついてくれるのだ。

「民家」

川に沿った山道は村人が水を汲みに行くためのものだろう、しばらく行くと道が途切れるが、草を刈って歩きやすくしてある、坂になった所などは、ステップが切ってある。

赤土の山道に雨が降ると、ぬかるみになる、登山靴でもすべる、村人たちは裸足だが赤土を足指でつかむように足を確実に運んで、我らをサポートしてくれる。

我々を歓迎してくれる村人の誠意の並大抵でないことをひしひしと感じた。

それでも、雨にぬれた赤土の山道はすべる、村人の手助けがなければ、1時間以上はかかったと思われる山道も村人の助けで、30分で滝につく、水が轟々と流れる見事な滝だ。滝の中には、地元の人が滝にうたれて歓声を上げている、跳びこんだメンバーも何人か。

「幻の滝」

昔山登りを経験した者でも結構きつかったので、山道初体験の妻などは2人の女性に抱えられて、帰ってきたときはヘロヘロになっていた。それでも皆楽しんでいた。

「滝からの帰り」

「南十字星」

雨はいったんあがって、夕刻にはキャンプファイアーで村人と交流した、少しビールが出た、村人は長老が許可した人しか飲ませて貰えないようだった。チンブー州は禁酒の州だと教えられた。飲酒の害を防ごうとしていることが感じられた。

夜にはまた雨が降ってきたが、雨をしのぐブルーシートの下で、地元のバンド(教会で聖歌を演奏していた人達だ)が演奏し村人たちとダンスで交流した。妻は、男女、子供の皆さんと楽しんでいた、オツカレサマ。

「ダンス」

夜中、外に出て、ふと空を見上げると、満天の星空、サザンクロスがはっきり、クッキリみえている、北半球では見られない星、そして、我が父も見たであろう星を見た感激をみなにも伝えたくて、そーッと、妻に教えたところ、女性たちが飛び出してきて、声高に感激の言葉を発するので、コテージの男性たちも出てきて、そらを見上げて感激している、なかには「うるさいなーあああ・・・」と言いながら空を見上げて凍りついた人もいた。

「南十字星」(写真上坂氏提供)

コゲ村」(3日目)

村を去る朝、メンバーが一人一人を呼び出される、村人たちが、エスコートした人、滝でサポートした人、キャンプファイヤーで踊った人等にお土産をもって来てくれる、そして記念撮影。私もエスコートしてくれた少女から「極楽鳥」の木彫りをもらった、妻は10人近くの人から色々なものを貰っている、村人達との分け隔てのない交流のたまものか?

村人たちの感謝の気持ちを有り難く頂く。

「贈り物1
贈り物2」(お気づきですか?写真33の少女です) 「贈り物3

村に来る途中の道で、車が1台ひっくり返っていたところがあり、迎えの車が無事来られるのかと不安があったが、車は無事到着、帰路も難所を無事通過してクンデアワに向かう。


道路の両側を人があるいている、みんな裸足だ、荷物は紐を額に掛け背中に背負うビルムという袋に入れて運んでいる、樹木の繊維を撚り合わせた糸で編んだもので、編目が伸び縮みしてなんでも入れることが出来るもので、芋やバナナ、子豚や赤ん坊まで入れて運んでいるそうな。最近はカラフルな科学繊維で作ったものがお土産として売られている。

クンデアワの州政府議事堂で知事代理の挨拶を受け、茶菓の接待をうける。

 マウントハーゲン空港からポートモレスビーに飛ぶ。

「転倒車」
「州議会議員」 大使館パーティー」

「ポートモレスビー」
 ポートモレスビーLCとの合同例会は日本大使公邸で行われた、LCの例会儀式のあと、パーティーが開かれ、出た料理が素敵だった、刺身、寿司、おでん、そば、里芋の煮物など久しぶりの和食に日本酒まで用意して頂き満足であった。現地ライオンのためには、ビーフ、ポーク、チキン、野菜や、ワイン、ウイスキーなど世界各地の酒も用意していただいた。

大使閣下のご配慮に感謝しながら、久しぶりの日本食を頂き、現地ライオンと交歓する。中には、日本から来て、マグロの買い付けをして日本に卸している人も居て、日本語でも話がもりあがった。

「ポートモレスビー」(4日目)

博物館は民族の歴史や生活、民具等を興味深く見学した。植物園では、「ヒクイドリ」「クスクス」(大きなねずみ)「木登りカンガルー」など今でも現地の人達の蛋白源になっている鳥獣が珍しかった。

 国会議事堂も見学できた、建物の壁画はセビック河流域の「精霊の家」を模したものといわれている。

「精霊の家の模写」

 ヨットハーバーで昼食となる、メニューはビーフサンドイッチ(OGビーフ)とフイッシュフライとフライドポテトの2種類。しかし、南太平洋の眺めだけは最高であった。

「ヨットハーバー」

どこで手に入れたのか、幹事がペットボトルにいれた水のようなものを持ってきて、酒だから飲めという。 PNGでは昔から酒は出来ないという、暑すぎて酒の発酵がうまくできないそうだ。いまでも、地酒はない、ポートモレスビーにはビール工場はあった、ホテルではオーストラリア・ワインがあった。禁酒の州もあるようだ。

 幹事の持ってきた酒は果物のにおいと味がする、バナナで作った蒸留酒だそうな、なんと昔日本の兵隊がバナナから蒸留酒をつくり、それがいまに伝わっているそうだ、無論密造酒だ。

 ラバウルに向かう便が欠航となり、ホテルクラウンプラザで夕食、仮眠をとり、午前2時起床4時30分の飛行機でラバウルにむかう。

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